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2008年5月

2008年5月31日 (土)

■ホンダ・フリード、FREED。その名の通り「コンパクト」の枠に囚われない清々しさ。

ホンダから、新しいミニバンが登場した。

FREED(フリード)である。

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■全長はモビリオに対して15cm長く、3cm低い。’佇まい’もミニバン風である。

■全長:4.2メートル、全高:1.7メートル 排気量:1.5L

モビリオの実質的な後継車だ、などといわれるが、諸元表を眺めてみると「モビリオ後継」というよりは、ステップワゴンのダウンサイズ化という印象だ。

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■モビリオ。低床フロアを生かし、ヨーロッパの路面電車をイメージした低いサイドウインドウが印象的。いいセンスだと思うのだけれど、残念ながらセンスの良さだけでクルマは売れないのだ。

■ホイールベースこそ2740mmと、モビリオと同じだけれどもホンダが売りにする「低床」をさほど前面には押し出さず、実際、後方にむけて斜め上方へ真っ直ぐつながったフラットなフロアは、いわゆる’ミニバン’のそれである。

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■少し分かりにくいが、ドアの下側のキャラクターラインとほぼ平行にフロア面が作られているように見える。

■モビリオに対して居室前後寸法は190mm長く、室内高は95mm少ない。

ちょっと背もたれが立った、キチンとしたモビリオの座り方に対して、ちょっとゆったりした座り方になるのだろうか。

後ろ側が高くなるフロアは2nd、3rd席と座面が高くなる劇場式のシート配置となり、それぞれの視界が開けることで居室全体の一体感が生まれやすい空間を作りだす。

「コンパクトカー」の枠内で無理やり3列を作ろうというのではなくて、「ミニバン」の文脈をコンパクトに作ろうとするとこういうことになるのだろう。

■けれど、やりすぎは禁物で、無理に斜めったフロアによって生じる違和感や、後席の座る位置が高いことによる落ち着きのなさ等につながりかねない。

このあたりのバランスがうまくいっているかは実際に座ってみないと分からない。

けれど少なくともホンダは、これが「ちょうどいい」んですよ、と自信をもって提案してきてるのだから、まあ、そんなにひどいことにはなっていないのだろう。

■4月の販売台数(概算)からすると、

コンパクト3列: シエンタ        2500台、
          モビリオ         500台、
         キューブ・キュービック   500台。

Mクラス全高1600mm ミニバン: 
          アイシス        1900台、
          ラフェスタ        500台。

Mクラス全高1800mm ミニバン:
          ボクシー        5600台、
          ノア           4900台、
          セレナ          4300台、
          ステップワゴン     3500台。

セレナとかボクシーのようなタイプのミニバンがえらく台数を稼いでいる割りにコンパクト3列の販売台数は大したことはない。

■売れるはずの「コンパクト3列」なのだけれども、世に出してみれば思ったほど台数が伸びないなぁというのが正直なところで、捕らぬ狸の皮算用。

コンパクトカーの文脈の上にのっかったまま、やっつけで3列を作っても響かない。

お客さんにとって、これは「コンパクト」クラスのクルマだから・・・、なんていうことはまったく関係なく、作り手が無意識のうちに囚われている見えない壁がそれの邪魔をする。

■そういう意味でホンダ・フリードは画期的なクルマであると思う。

プラットフォームと言われるハードウエアの部分はコストの安いコンパクト・クラスを使いながらも、商品としてはミニバンの文脈に軸足を置いて、明らかに「コンパクト」を逸脱している。

それが清々しい。

■たぶん、このクルマは売れるだろうし、全長4200mmが1.5Lクラスミニバンの定番となっていくのだろう。

初代オデッセイといい、ストリームといい、エポックメイキングは常にホンダから始まる。

ちょっと悔しいけどネ。

                                        <2008.05.31 記>

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2008年5月30日 (金)

■ETV特集 『石ノ森章太郎・サイボーグ009を作った男』。深刻な傷が癒えるとき。

NHK教育でこんなに面白い番組に出会うとは思わなかった。

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■ETV特集 『石ノ森章太郎・サイボーグ009を作った男』 2008/5/25(日)放送

■今年は石ノ森章太郎さんの没後10年なのだそうだ。

それで企画された番組なのかはよく分からないけれども、009の物語を追いながら、植島啓司(宗教学者)、姜尚中(政治学者)、養老孟司(解剖学者)といったそうそうたる面々が「石森章太郎」を読み解く。といった趣旨の番組だ。

このドキュメンタリーの語り手は精神科医の名越康文さん。グータンに出てくる当たりのやわらかな先生というイメージしか無かったが、実は漫画評論家でもあったのだそうだ。(うーん、そういわれると日本人全員が漫画評論家といえるのかもしれないが・・・)

■数ある石森作品の中から、「何故、サイボーグ009なのか?」というと、石ノ森さん自身が生前に残した「ひとつだけ作品を選べといわれれば、さんざん悩んだあげく、サイボーグ009を選ぶだろう」ということばの行間に潜む深いもののせいでもあるし、実際、死の寸前まで「完結編」の構想を練り続けたものの、未完に終わってしまっているという神話性によるものでもあるだろう。

■第1期「誕生編(?)」を養老先生が、第2期「地下帝国ヨミ編」を姜尚中(カン・サンジュン)さんが、第3期以降の「天使編、神々との闘い編」を植島先生が語るという構成。

「地下帝国ヨミ編」のラストで、島村ジョーとジェット・リンクが流星となってひとつの完結を迎えて以降の「009」については、正直、ついていけないところもあって番組後半は入り込めなかったのだけれど、前半の養老先生、姜さんのあたりはぞくぞくするほど核心に迫る、深さと重さがあった。

■養老孟司先生は、石ノ森章太郎さんのひとつ年上の同世代である。

1945年の終戦を7歳前後で迎えていることになる。

ここがキーポイントで、名越先生ともども「へぇー」そういうことか!と養老先生の読み方に目からウロコだったのである。

■養老先生はいう。

石森さんの漫画の登場人物たちは、「役割」とか「機能」が明確になっている。009に出てくるサイボーグたちのそれぞれの「能力」がいい例である。

で?

たぶん石森さんは、「モノ」だけを信じたのではないだろうか。

人間同士のつながり、「愛」、というようなものや、イデオロギーというような「絶対に正しい」とか「正義」とかいったものが信じられない。

そういったものを徹底的に疑っていって、たどり着いたのが「機械」とか、「技術」とかいった手で触って確かめられるもので、「【モノ】だけが信じられる」という価値観であったのではないか。

そのどこか悲観的な大人の見方が、根本の部分では楽天的で明るい手塚治虫の作品と袂を分かつ部分なのだ、と。

■名越先生が深くうなづく。

石森さんの作品では、何か巨大なゴーレムのようなものが現れたときに実はそれは機械であった、という落ちが多く、そこに強い違和感を感じていた。「ゴーレム」は「ゴーレム」でいいじゃないか、と。

けれど、今の養老先生の話からすると、「ゴーレム」ってなんだ!?というとき、その正体が「確かな存在」の「機械仕掛け」であることは必然だったのかという深い納得に至るワケだ。

■いやいや、まったく名越先生と同感!

最近、この話題が多いのだけれども、敗戦を肌身で感じた世代というのは戦争前の軍国少年が突如として教師から教科書を墨で黒く塗れといわれた世代であって、その価値観の崩壊ゆえに信じられるものといったら食い物に直結する【モノ】だけだ。

【愛】とか【正義】なんてものはナンの腹の足しにもならないのである。

そして【モノ】とか、【技術】だとか、そういう目に見える確かなものだけを信じて猛烈に働き、この世代が戦後の復興を成し遂げたという構図が、ある。

その世代の気持ちを本当の意味で理解できるのはその時代を生きた同世代だけであり、それが養老先生のことばの説得力なのである。

と同時に、養老先生の唯脳論的世界観に対して時に感じる「違和感」にも、なるほどと妙に納得がいってしまうのであった。

■さて、昭和25年生まれの姜尚中(カン・サンジュン)さん。

朴訥に、けれど真摯に語るその姿勢に、いつも深い共感を覚える政治学の先生である。

熊本生まれの在日二世で、少年当時の娯楽といったら漫画しかない、という環境で育ち、それゆえにこの時期の漫画についても、いつもの調子で熱く語りはじめるのである。

■姜さんは「サイボーグ009」にアイデンティティの亀裂を見る。

彼ら00ナンバーのサイボーグたちは「悪の組織」ブラックゴーストによって改造された「兵器」である。

004アルベルト・ハインリヒの言動によく現れるのだけれど、彼らには「自分はもう人間ではない。人殺しのための兵器に過ぎないのだ。」という「悲しみ」が常に付きまとう。

そこに姜さんは、日本に生まれ日本語で暮らしながらも「日本人」ではない、という自らの出自を重ねるのだ。

■「強引で暴力的なもの」によって生まれてきた自分はいったい何者なのか。

それは決して純粋なものには成り得ず、常に「矛盾」をはらんだ存在だ。

在日二世として成長した姜さんにとっては、純粋な、絶対的なものなどはあり得ない。

「正義」を振りかざす「9.11以降のアメリカ」に対する強い反発には、それだけの理由がある。

世の中を「正義」と「悪」とで色分けしようとする二元論の危険性について、肌身をもって知っているのだ。

姜さんの政治的態度が一貫していて、かつ、人のこころをつかむ強い魅力をもっているのは、そういう「根っこ」に裏打ちされているが故のものなのである。

■引き裂かれたアイデンティティを描くのは009だけではない。仮面ライダーにせよ、キカイダーにせよ、その生まれは「悪」にある。

特に漫画版「人造人間キカイダー」については、「機械」と「人間」のあいだで引き裂かれた存在であることが左右非対称というカタチで表現され、かつ、その衝撃的なラストシーンは「完全な人間」になることで「圧倒的な【悪】の強さ」を身につける、という極めて皮肉なものとなっている。

その『人間に対するどうしようもない悲観』が石森作品に深みを与え、子供だけでなく、むしろ大人の心を惹き付けるのである。

■「石ノ森章太郎さんは、何かアイデンティティの問題を抱えていたに違いない」というのが姜さんの結論なのだけれど、実はその通りだという石ノ森さんの青年時代の話がそこにつながる。

マンガの才能を認められ東京に出てきた石ノ森章太郎さんは売れっ子になり、大学受験の勉強をする暇がないほどに忙しい毎日を送っていた。有名なトキワ荘の時代である。

実はこの時代、石ノ森さんはマンガで一生やっていくつもりはなく、映画監督か、小説家になることを夢見ていたという。

今のわたしは、本当の私ではない。

という意識。

人生の岐路に立つとき、誰もが抱く感覚だろう。

■けれど石ノ森さんの場合は、どうしようもなくツラい出来事と重なり合ってしまう。

トキワ荘でともに暮らし、石ノ森のマンガに対する最大の理解者でもあった大切な姉を喘息の発作で失ってしまうのだ。

それも、入院中に病状が安定しているときを見計らい、友人と映画を見に行っている最中に突然の急変で亡くなってしまったのである。

想像するだに、そうとうに深刻な「傷」であろう。

自らを責め、悔い、また責める。

それが延々と続いていく。

■マンガを描くことと姉の存在が重なっていったのかどうかは分からない。

けれど、マンガを描いている「自分」を見つめるとき、その影響は確実にあって、「許しがたい、どうしようもない自分」が作品に暗い影を落としたとしても不思議ではない。

そういう観点で「地下帝国ヨミ編」のラストシーンを読み返すと、ぐっと胸に迫るものがある。

ブラックゴーストと共に死ぬことが自分の使命なのだと理解する島村ジョーと、もう手遅れだと分かっているのにジョーを助けに行って自らも運命をともにするジェット・リンク。

やるべきことをやりとげ、「死」を目の前にすることではじめて訪れる「許し」。

当時28歳の石ノ森さんは、ラストの流れ星のシーンを一体どういう気持ちで描いたのであろうか。

と、しばらくそのページを開いていた。

                           <2008.05.30 記>

Photo
■2012 009 conclusion GOD’S WAR
 ―サイボーグ009完結編〈1(first)〉

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■『スカルマン』 最終回。それ、何ていうスターウォーズ?

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2008年5月27日 (火)

■NHKスペシャル 『北極大変動 第1集 氷が消え悲劇が始まった』 ポイント・オブ・ノーリターン。危機的状況を訴える炭鉱のカナリア。

ホッキョクグマが絶滅の危機に瀕しているという。

原因は安定的に存在した北極海の氷が急激に減少していることにある。

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■【左】発信機をつけるために麻酔銃で眠らされた母熊から離れない生後1歳に満たないシロクマの兄弟。【右】母熊が食料を取れなくなって母乳が出なくなり餓死してしまった子熊。■NHKスペシャル『北極大変動 第1集 氷が消え悲劇が始まった』(5/25(日)放映)より

■かつて4メートルもあった北極点の海氷の厚さが、07年には70センチにまで薄くなってしまっている、という数値に愕然とした。

北極といえば、ぜーんぶ氷の大平原に強風が吹き荒れる何人も寄せ付けぬイメージであって、そこに植村直己さんの犬ぞり単独行のロマンがあったりするわけである。

それは人間の行ないなどではビクともしない、不動の壁であったハズだ。

それが、肩幅よりチョッと広くひろげた両手のあいだで収まるような、そんな現実的な氷の厚さになってしまうということに感覚的な不安を覚えるのだ。

■実のところ地球温暖化の報道には、もうすっかりうんざりしていた。

アル・ゴアの「不都合な真実」以来、北極の氷の減少は「流行り」であって、ニュースステーションが「こーんなに氷の面積が小さくなってるんですよ!」と煽れば、訳知り顔の学者さんが教養(?)バラエティ番組に出てきて、「北極の氷が溶けても水面はまったく上昇しません。皆さんアルキメデスの原理を知らないんですね。」なんて小バカにした笑みを見せる。

同じ時期の定量データの推移も見せずに「衝撃的映像」だけで語ってしまおうとする報道番組(?)の姿勢にも、グリーンランドやアラスカの陸地の氷の分はどうなんじゃい、という想像力もハタラカナクなった、物事を単純にしか捉えられない老害学者にも、反感を通りこして悲しい感情すら浮かんでしまうのだ。

■けれど、腐ってもNスペ。

今、進行している現象のメカニズムを理解し、正確に伝えようという心意気が感じられる。

■北極圏で起きていることは、我々の想像力を超えた極めてダイナミックなものであるようだ。

番組に出ていた日本人の研究者が使った、

「ポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまっている」

というコトバが、その危機的状況をうまく言いあらわしている。

つまり、もう後戻りできないところまで来てしまっているということだ。

N_3

■グリーンランドを覆う大氷原にあいた、いくつもの大きな穴。

氷原の表面を流れてくる水が大量にその穴へと吸い込まれていく。

その水は氷原を支える地面との間に流れこみ、海へと押し出されていく氷原の動きを加速させると考えられている。

■また、これまでの北極海の海氷は夏場にも溶けきらず、積み重なるように冬場にその厚さを増して安定を保っていたのだけれど、夏場に溶けてしまうようになってからは、冬期には凍結するものの次の夏にはまた溶けてしまうという不安定なものになり、その範囲を広げるようになってしまった。

それだけでなく、薄くなった氷は太陽光を海へと透過させてしまい、温まった海は上昇気流を発生させ、グリーンランドとノルウェーに囲まれた海域へ氷を押し流す推進力となっている。

■環境が変化したとしても、ある程度はその変動を抑え込むような復元力というものがある。その復元力ゆえに、北極は北極として安定して存在し続けられたのだ。

だが「ものには限度がある」なんていうけれど、ある「臨界点」を超えたとき、「複雑なシステム」は爆発的な(或いは自己増殖的な)変化を見せるようになる。

それが、複雑系の研究者であるスチュアート・カウフマンのいう「相転移」であり、先の日本人科学者のいう「『ポイント・オブ・ノーリターン』を超えてしまった」、ということの意味である。

■もし北極に起きていることが「相転移」であるとするならば、もう人間の手におえるものではないだろう。

それが人間の経済活動由来の二酸化炭素濃度増大によるものであったとしても、やはり止めることは出来ない。

拳銃の引き金をひくことはたやすいが、発射された弾丸を止めることが出来ないのと同じである。

■この番組では、海氷が溶けてしまって食料となるアザラシがまったく生息しなくなり、飢えて子供に母乳を与えることすら出来ずに死んでいくホッキョクグマに焦点をあてている。

極寒の厳しい環境では生物の多様性は単調で、環境の加速度的な変動に追いついていくことが出来ない。

そういう意味で、ホッキョクグマは気候変動における「弱者」なのだ。

「子供」と「動物」という二大キャッチー項目を併せ持つ「シロクマの子供」をことさらクローズアップする演出には多少の厭味は感じるけれども、素直な気持ちで見るならば、彼らを守りたい、と思う。

その共感と想像力を人間同士の中にも生み出せないものだろうか。

■中国の四川大地震の意味するところは分からないが、少なくともミャンマーのサイクロンは現在進行している気候変動とすくなからぬ因果関係を持っているだろう。

我々人類への影響を考えた場合、一番にしわ寄せが来るのがアジア・アフリカの貧困地域である。

たとえ、ミャンマーのような直接被害が無かったとしても、すでに食料の供給不足というカタチで不幸が襲い掛かかっているのだし、その影響を増幅させているメカニズムが地球温暖化対策に伴う農作物のエネルギー消費への転換にあるということが、非常に皮肉な構図を描き出している。

■我々に出来ることは、これから起きるであろうことを自分の頭で考え、やるべきことをやり、やるべきでないことをやらないことだ。

自戒の意味をこめて繰り返そう。

大切なのは難しいことじゃない。

相手を思いやる「想像力」を発揮することなのだ。

                          <2008.05.27 記>
■翌日放送された、第2集 『氷の海から巨大資源が現れた』も海底ガス田の開発の最前線が紹介されていて興味深かったが、メッセージとしてはボヤけていて今ひとつガツンと来なかった。本丸はプーチン帝国を支えるガスプロムだろ、と思うのだけれど、そっちへの突っ込みは中途半端な印象だ。やっぱりガードが硬かったのかな?
   

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Pocketstudio'z logさんの「NHKスペシャルの北極クマ特集を見た。」  
ウイング マレーシア・クアラルンプール さんの、「北極大変動」

    
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2008年5月25日 (日)

■【書評】『ウルトラマンの東京』 実相寺昭雄。そこに在り続ける風景。

第一期ウルトラシリーズが撮影された1960年代後半。

異色の演出でファンの記憶に深く残る作品を何本も生み出した故・実相寺昭雄監督が現代の東京の街を歩きながら当時の風景を語る、なんとも味わい深い本である。

Photo ウルトラマンの東京 (ちくま文庫)

■多摩川、赤坂、新宿副都心・・・。

実相寺監督がウルトラマン、ウルトラセブンのロケで使った場所に立ち、ほとんど消え去ってしまった当時の面影が、絶妙な語り口と「絵てがみ」のような味わい深いイラストで描き出されていく。

「ウルトラの時代」について語る実相寺さんの本は何冊も出ているけれども、その中でも監督としての生の実相寺さんに触れる、何か人間的な温かさのような、そういう得がたさを感じさせる本である。

■ロケ地の空気がそうさせるのか、気分はすっかり当時の撮影現場になっているようで、バックの風景だとか、太陽の加減だとか、フィルムの残量だとか、ともすると話は具体的でテクニカルな部分へと入っていく。

「周辺」が具体的にクッキリと描かれていることが当時の空気を再生し、かえって生の実相寺さんそのものを浮き上がらせる効果を生んでいるのかもしれない。

■この本が書かれたのは1993年。

バブル時代の急激な変貌が1960年代の風景をすっかり塗り替えてしまった時期である。

けれどもその人の大切な風景は、たとえ無表情なコンクリートに塗り固められてしまったとしても、その向こうに変わらぬ姿で在り続けるのだと思う。

それはその人が生き続ける限り、消え去ることは無い。

そしてその人がこの世を去ったとしても、その人のことを、或いはその人が残した作品を覚えている人がいる限り、その面影の向こうに何らかの形で残っていくものである。

■実相寺さんが亡くなって、はや一年半。

けれど、テレスドンが闊歩する赤坂の夜のビル街やメトロン星人が幻覚タバコを自販機に仕込んだ向ヶ丘遊園の駅前といった、かつてテレビの画面で体験した風景は、おぼろげな印象ではあるけれども確かに私のなかで生きている。

映像作品を見るということは作家の人生の一部をその胸に刻み付けるという行為なのかもしれない。

その意味で60年代後半の風景は私のなかに色濃く生き続け、たぶん消え去ることはないだろう。

                          <2008.05.24 記>

■文庫 『ウルトラマンの東京』 実相寺昭雄・著
    

■DVD 『怪獣のあけぼの』
■円谷プロの怪獣倉庫が無くなる前に記録に残しておかねば、という思いで実相寺さんが企画したドキュメンタリー。
ウルトラ怪獣のぬいぐるみ造形を手掛けた高山良策の生涯を軸に、その類まれなる高度な怪獣造形を戦前の美術史という新たな視点で照らし出す力作。
胃がんで亡くなる寸前まで映画監督であり続けた実相寺さんのウルトラへの熱い思いが込められています。
     

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2008年5月24日 (土)

■【映画】 AVP2 エイリアンズ VS. プレデター。とんでもなく濃密な102分!

前作のAVPのラストシーンは「次回作を震えて待て!」ってな感じだったので、もう期待しまくって見たのだけれど、ある意味、その期待を大いに上回る大満足の作品であった。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.14  『AVP2 エイリアンズ VS.プレデター
           原題: ALIENS VS. PREDATOR
          監督: コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス 公開:2007年12月
       出演: スティーヴン・パスカル レイコ・エイルスワース 他

     Avp2
     ■AVP2 エイリアンズVS.プレデター 完全版

■プレデターとエイリアン、そこに巻き込まる人間たち。

その三重奏が上手く回転している。

常軌を逸した獰猛さと繁殖力をもったエイリアン。

それに対するプレデターがまったく人間に媚びないところが、この映画を成功へと導いている。

そう、この作品の主人公は「プレデター」でも「タフな母性本能でピンチを切り抜ける強い女」でもなく、得体の知れないプレデターとわらわら増殖したエイリアンと容赦なく殺戮されていく町の人間たちとが織り成す「異常な状況」そのものなのだ。

■ストーリー■
エイリアンとの死闘を終え、地球から帰還しようとするプレデターの宇宙船。だが、その宇宙船に収容された一体のプレデターにはチェストバスター(エイリアンの幼体)が潜んでいたのだ。

プレデターの圧倒的な戦闘能力を身につけた「プレデリアン」は船内のプレデターたちを次々に虐殺。コントロール不能となった宇宙船はアメリカ、コロラド州の森林地帯へ墜落する。その森へ狩りに来ていた親子を皮切りに、エイリアン’たち’は次々と増殖しながら森林に閉ざされたガニソンの町へと侵攻していく。

一方、プレデターの母星(?)でも船の異変を察知、増殖したエイリアンを掃討するために一人の戦士が地球へと向かうのであった。

■【DVD】 AVP2 エイリアンズVS.プレデター 完全版

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■この映画に「ドラマ」を期待してはいけない。

墜落したプレデターの宇宙船に接触した親子。普通はそこを基点として物語を拡げていくものだが、父親はあっさりとフェイスハガーに取り付かれる。ああ、この残された子供が軸となっていくんだなと思いきや、次の瞬間、その子もやられてしまう。

なるほど、息を吹き返した親子が町へ戻っていくところから物語が・・・、なんて考える間もなく二人の胸を突き破ってチェストバスターが飛び出してくる。

容赦ない。

感情移入しようとする観客の気持ちをバッサリ刈り取る。

この序章の展開は、この映画は一味違うのだよ、という観客に対する宣戦布告なのである。

■前半3分の1くらいの時間をかけてガニソンの住人たちを点描していくのだけれども、ここでは決して一人ひとりに深くは踏み込まない。

振り返ってみるとこのあたりのサジ加減が実に絶妙で、後半に一気に収束していく「状況」にダイナミックさをもたらしている。

ここでいう「収束」はストーリーの密度であると同時に、文字通り、前半で点描された住人たちが無慈悲に刈り込まれていく状況そのものである。

遺棄された装甲車に乗り込む数名の男女の向こうには多くの犠牲者の点描があるわけで、その積み重ねの濃密さ故に残された彼らに「厚み」を持たせることに成功しているのだ。

一人ひとりの丁寧な描写という一般的技法に拠らない、斬新な組み立て方である。

この映画を「薄っぺら」と評するひとは、きっと、その斬新でドライなやり口に乗り切れなかったひとなのだろう。

そういう意味では観客を選り好みする「高飛車」な映画なのかもしれない。

■いや、もう少し深く掘り下げてみると、「AVP2」の宿命としてそういうドライな描き方しか出来なかったのかもしれない。

何故かならば、この映画の「3つの要」の一角をしめるプレデターが、その仮面の下に感情を隠して冷静沈着に「処理」を進めていくというキャラクターであるからだ。

もし人間に主役を置いて、そのキャラクターを深く描きこむやり方をしていたのであれば、対するプレデターもそれに応えざるを得ない。いきおい、プレデターと人間との共闘へとストーリーは流されていくだろう。

それでは前作「AVP」の焼き直し。

■「AVP」でひとりだけ生き残った女性登山家レックスとプレデターとの共闘は、それはそれで新鮮で面白かったのだけれども、どちらかというと禁じ手に近く、それを続けてしまっては「甘く」て陳腐な作品に成り下がるのは目に見えている。

エイリアンとプレデターと人間との3角形を「筋」を通してキッチリ描くためには、そういうドライな手法が必要だった、ということか。

■さて、モンスター映画としての「AVP2」はどうなのか?

アマゾンの評価を見てみると、画面が暗くてぜんぜん分からん!という意見がかなりあるようだ。

確かに、画面に出てきたのが「プレデター」なのか「プレデリアン(プレデター由来のエイリアン)」なのか、よく分からなくて混乱するような場面もあったりはする。

けれど「エイリアン」は見えないからこそ「エイリアン」なのであって、エイリアン(ビッグチャップ)をあからさまに見せた「エイリアン2」以降がむしろ邪道とすらいえよう。

もちろん、「見えない」という状況を描くセンスは「水蒸気の魔術師」リドリー・スコット監督の足元にも及ばないが、やりたいことはわかる。

要するに原点回帰をやりたかったのだ。

■プレデターの装備も毎度のことながら抜群でかっこいい。

「掃除屋」必須アイテムらしき、魔法の水もなかなかシャレている。

エイリアンの生態も、ここで文字にするには躊躇してしまうのだけれども、かなりな「チャレンジ」を試みている。

それが「気に食わない」というマニアも多いと思うけれども、やっぱり表現者としては新たな挑戦をしてみたいものなのだから、まあ大目にみようじゃないですか。道徳的にどうか、という気はするけれど。

■で、ラスト。すべての武器を使い果たしたプレデターが装備を剥ぎ取り、ゆっくりと仮面を外すシーン。

「決意」が滲み出るこのシーンが実にキマっている。

ここまで「感情移入」を頑なに拒否していた「掃除屋」が、初めて感情をむき出しにしてプレデリアンに素手で向かっていく。

また、これが強い!

濃密な102分を締めくくるのに相応しい、力の入る「対決」であって、まさに「エイリアンVSプレデター」の看板に偽りなし。

すべてを消し去る「炎」を背景に浮かび上がる彼等のシルエットが、えも言われぬカタルシスを与えてくれる。

■いやー、久々にツボにはまる映画であった。

ここまでドキドキする映画はどれくらいぶりだろう。

「エイリアン」から、また見返したくなってしまった。

                           <2008.05.24 記>

Avp2box
■AVP2 エイリアンズVS.プレデター 完全版
コレクターズBOX (FOX限定プレデリアン・フィギュア付)

Photo Photo_2 Photo_3

■STAFF■
監督: コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス
製作: ウォルター・ヒル他
脚本: シェーン・サレルノ
音楽: ブライアン・タイラー
撮影監督: ダニエル・C・パール
美術: アンドリュー・ネスコロムニー
衣装: アンガス・ストラティー
特殊メイク: ドーン・ディニンガー
クリーチャー造形: アマルガメイテッド・ダイナミクス・インク
視覚効果監修: コリン・ストラウス&グレッグ・ストラウス、他

■CAST■
レイコ・エイルスワース
ジョン・オーティス
スティーヴン・パスクール
ジョニー・ルイス
デヴィッド・パートコー、他

 
■AVP2 公式サイト■

    
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2008年5月22日 (木)

■「ヒト」を「ヒト」たらしめているもの。『爆笑問題のニッポンの教養』 霊長類社会生態学、山極壽一。   

今回のテーマは、ゴリラ。

いままで【類人猿】という言い方でゴリラを認識していたけれど、分類学上のゴリラは【サル目ヒト科】の動物で、DNAの実に98%が【ヒト】と同じという極めて人間に近い動物なのだ。

京都市動物園を舞台にした爆問初の前後編、二部作。

力が入ってます。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE037:「私が愛したゴリラ(前・後編)」 2008.5.13、20放送
京都大学大学院教授
霊長類社会生態学、山極壽一。

■30年野生のゴリラを見続け、密林で寄り添うように雨宿りをしてその鼓動を直に感じたこともあるという山極先生。

そのまなざしはゴリラをいとおしむものであるけれど、同時に【ヒト】とは何か、という根源的な問いをゴリラの中に見出そうとする研究者として客観的な観察眼でもある。

一体、何がヒトとゴリラを分けているのか。

■ヒトは笑う、ヒトは泣く。

対してゴリラは悲しみに涙を流すことはなく、子供のときのゲタゲタ笑いも大人になると消えてしまう。

ゴリラにも「気持ち」はあるのだけれど、そこに「《私》がどう感じている」ということはあっても、「《相手》がこう感じている」と、相手の気持ちを自分の中に取り込む、ということは無いのだという。

それは「共感」する能力があるか無いかの違いなのだ、というのが山極先生の結論。

おー!

そいつあ、大好きなP・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と同じ結論じゃあないですか!!

■子供が転んで「うわーっ」と泣き出す瞬間。

その寸前に、子供は親と目を合わせ、それを引き金にして「うわーっ」と泣き出すものである。

笑うとか泣くとかいった行動は、「ワタシ」の中だけの現象ではなく、「相手」との関係の中での現象であって、例えそれが孤独のなかで流す涙であったとしても、確実にその心の中には「誰か」の存在があるものだ。

■さらに一対一の関係を超えて、「笑い」や「泣く」という現象は集団の中で伝染していくものである。

そのときヒトは集団との一体感に「安心」とか「興奮」とかいった独特の感情を覚え、さらに、そのことを「うれしい」と感じる。

■そこで太田は「ゴリラは何がうれしいのか?」という問いをたてる。

いい質問だね、と熟考した山極さんは、「ゴリラも鼻歌を歌う」という話を持ち出した。

なんとも「人間的」じゃあないですか。

■「ゴリラの行動を見ていて、いいなぁ、とおもうこの気持ちは理屈じゃない。そこに(人間の)本来的な価値観があるのじゃないかな。」という山極先生のことばは、30年、ゴリラを見続けてきた人の言葉であるだけに、深い。

「人類は何故、世界を支配できたのか。」

とよくいわれるけれど、その問いかけ自体が「【支配】することが【勝者】である」という価値観によるものに過ぎない。

ドーキンスが【利己的な遺伝子】というとき、そこには「利己」の基準となる価値観が既に存在してしまっているのだ。

それを疑え。

山極先生が冒頭に語った「ゴリラはどういう価値観で生きているのかを知りたい」というそのことばに、現代の閉塞感を打ち破る鍵が隠されているのかもしれない。

■ゴリラは何万年経っても人間にはならない。選んだ道が違うのだ。と生物学者としての山極先生はいうのだけれども、と同時にそれは、「人間は何万年経ってもゴリラにはならない」ということを語っている。

「ゴリラの価値観を知りたい」というその心は、決して「ゴリラの幸せ」を目指そうというものではない。

我々は、もう「エデンの園」に戻ることは出来ないのだ。

■我々は「道具」を獲得し、「コトバ」を獲得し、今の繁栄に至っている。

さらにその先を考えたとき、決して「道具」や「コトバ」を獲得する過程で失ったものを取り戻すのではなく、「道具」や「コトバ」を獲得した道の先に、何かを見出すのだろう。

何万年というスケールの中での話ではあるのだけれども、その時期は「今」なのじゃあないだろうか。

山極先生はそういう気持ちで、ゴリラの向こうに人間の未来を見つめている。

■その上で、人間を人間たらしめているのは「共感」という能力である、という山極先生の認識を改めてかみ締めてみると、何やらぼんやりと、人間の未来を切り拓く、何ものかの姿が見えてくる気がするのだ。

少なくとも、それは「競争至上原理」ではない。

「生きもの」としての自分の直感を信じる限り、

それだけは確かだ。

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                         <2008.05.22 記>
    

Photoゴリラ 山極壽一・著

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■利己的な遺伝子 <増補新装版> リチャード・ドーキンス著
■生物は遺伝子の「乗り物」に過ぎない、というドーキンスの考え方は好みではないけれども、その「遺伝子の支配」を乗り越える概念として最後に提示される「ミーム」というアイデアはとても素敵だと思う。

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2008年5月20日 (火)

■ウルビーノのヴィーナスを見に行く。その挑発的な「まなざし」が私を揺さぶるのだ。

最終日の閉館間際、上野の西洋美術館に駆け込んだ。

やっぱり見とかにゃイカン、と思ったのである。

__1538
■ティツィアーノ・ヴェチェッリオ ≪ウルビーノのヴィーナス≫ 1538年

■誘うような「まなざし」が、私を捉えて離さない。

画面を縦に二分割することで奥の間から切り取られた空間を観客のいるところへとつなげている、というような、そういう理屈は全部素っ飛ばして、見るもののこころにグッと侵入してくる。そういう絵である。

しわの質感がリアリティを強調する白いシーツの上で、ぼやっと、やさしくやわらかく浮かび上がる裸体の美しさは思わず溜息が出るほどである。

その艶かしい存在は、まなざしをこちらに向けることで、幻影ではない確かにそこにある存在として、見るものに直接的な関係を迫ってくる。

この絵の前では「第3者」ではいられないのだ。

■同じ部屋に飾られた「ミケランジェロの下絵にもとづく、ポントルモの≪ヴィーナスとキューピッド≫」とは極めて対照的である。

__1533
■ポントルモ ≪ヴィーナスとキューピッド≫1533年

■ヴィーナスとその息子であるキューピッドが何やらひそひそと会話をしている。ヴィーナスの右手がキューピッドの矢を抑えているところに道徳的な意図が感じられる。

そのヴィーナスの足元では悪徳の仮面が美徳の仮面を隠し、その下の薄暗い闇から「苦しみ」が顔を覗かせている。

ここには明らかに「物語」がある。

けれども、ヴィーナスもキューピッドも悪徳の仮面も「まなざし」をこちらに向けることはない。「物語」はこの絵画の枠の中で完結してしまっているのだ。

それを見る「私」は、物語を第3者として眺めている。

この物語は「私の存在」に直接挑みかかっては来ない。

■唯一、暗がりから覗く「苦しみ」の表情のみがこちらを不安に誘い込もうと試みる。

けれどその不安な感情さえも、「寓意」を理屈で捉えてしまった理性の前に「意味」として消化され、あくまでも物語の外にいる第3者である「私」を突き崩すことはない。

要するに、この絵は理屈っぽいのだ。

他のルネサンスのヴィーナス画も同様で、「物語」はその絵の中でのみ語られ、額縁の枠のなかで完結し、見るものへ挑みかかってくるようなことはない。

■その中で、ウルビーノのヴィーナスがひと際輝いて見えるのは、その「挑発」ゆえのことなのだと思う。

これは、かなり衝撃的なことであっただろう。

そしてそのスキャンダラスな血脈は、ゴヤの《裸のマハ》、マネの《オランピア》へと強く受け継がれていくのだ。

__1797_1800
■フランシスコ・デ・ゴヤ ≪裸のマハ≫1797_1800年

__1863
■エドゥアール・マネ ≪オランピア≫ 1863年

■うちに帰ると、女房から「女の人の裸の絵を見てきたんでしょ?」と、からかわれたのだけれども、ある意味、それは実に正しい。

グラビアのヌード写真で一番ドキリとするのは、こちらに熱く向けられた濡れたまなざしであって、そのとき「私」は、その写真の向こうにいる「女」の存在に確かに揺さぶられている。

その「直接的な関係」こそが「エロ」の本質であって、客観的な、お行儀のいい「エロ」などというものは存在しない。

そしてウルビーノのヴィーナスこそが、陰湿な中世の暗がりを吹き飛ばす渾身の「エロ」い一撃であり、ルネサンス、つまり「人間的なものの恢復」の本質は、実はそこにあったのではないだろうか。

■美術館に展示されているからといって、必ずしも高尚なものであるとは限らない。

ウルビーノのヴィーナスの挑発は、それを見るオトコをたぶらかすという意味で、そこいらの週刊誌を彩るグラビア写真となんら変わるものではないのだ。

Bc1 5079
■(左)≪角柱にもたれるヴィーナス≫ 紀元前1世紀頃の作品、ポンペイで出土
(右)ポンペイと同時にベスビオ火山の噴火で埋没した町、エルコラーノ出土の壁画≪ヴィーナス≫ 0050-79年頃

■それはルネサンスが志向したギリシャ、ローマ時代におけるアフロディテ/ヴィーナスの位置づけについても、やはり同じことがいえるのではないだろうか。

今回の展示でも特に目を惹かれた≪角柱にもたれるヴィーナス≫。

角柱に半身をあずけることで艶かしい曲線美が強調されている。もともとの2000年前のこの像は、腰に巻きつく布は赤く、上半身を薄く覆うベールは薄い桃色に彩られていたそうで、それは美術の教科書に載るような「彫刻」であることをキッパリと拒絶している。

そこにあるのは極めて俗物的な、「エロ」の魅力なのである。

■西洋も、東洋も、日本も無く、

古代も、近代も、現代も無く、

人間が人間として人生を愉しむ、

その最も刺激的な一面として「エロ」がある。

金持ちも、貧乏人も無く、

エリート官僚も、ネカフェ難民も無く、

いくらムッツリ隠そうが、

「エロ」に対峙するときオトコは皆おなじである。

カネも地位も名誉も、そういった社会的な「重たいもの」を全てかなぐり捨てて、没頭できる楽園がそこにある。

人のこころを動かすものを「美」というのであれば、これほどに強烈な「美」は存在しない。

だからこそ、

美の女神ヴィーナスは永遠にオトコの心を虜にするのだ。

  
ああ、来て良かった。

                           <2008.05.19 記>

Photo_3芸術新潮 2008年 04月号

Photo ヴィーナス 特別版

       
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2008年5月18日 (日)

■新型アルファード/ヴェルファイア。外見も中身もルックスは絶品。

トヨタの新型アルファード(ALPHARD)/ヴェルファイア(VELLFIRE)がデビューした。

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08carview02
■助手席側Aピラーの根元に小さな補助ミラーが追加されている。子供巻き込み防止の新法規対応なのだろうけど、そのさりげない処理が上手い。

■NEWアルファードは上品で高級なコンセプトを維持しながら、より洗練された印象を受ける。

外観的には前型では比較的、なだらかだった「ハナ」がくっきりと強調され、切れ長のヘッドランプのデザインもあいまって随分と立派になった。ありていに言えばカッコいい。

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■タテ2段組みのヘッドランプがエヴァ弐号機を思わせる、なんて書くとオタクがばれてしまいそうなのでやめておこう。

■一方、NEWブランドのヴェルファイア。

これは強そう。

高速で後ろに付かれたら、すごすごと先をゆずってしまいそうである。

ヘッドランプとバンパー、グリルのデザインでこうも印象が変わるものか(もちろん色もあるけれど)。

アルファードとヴェルファイアは兄弟車でありながら、まったく異なる客層にアピールしていて、いやートヨタはホント、商売上手だなぁ。

Photo

■内装はアルファード、ヴェルファイアともに、ゆとりのある心地よさを演出している。

品のいい高級感を醸し出す天井の間接照明が心ニクい。

Photo_2

■シートも上品。是非とも実車ですわり心地を試してみたいものである。

「リラックスキャプテンシート」と名付けられた2列目シートが「売り」のようで、しっかりと作られたオットマン(ふくらはぎを支える部分)と前席の後ろから出てくるフットレストによって下手なビジネスクラスのシートより快適そうである。

■車両寸法は、2WDの標準車で全長:4850、全幅:1830、全高:1890。

前型アルファードに対して全長で10mm長くなり、全幅は25mm広くなり、全高は45mm低くなった。ロー&ワイドになったスタイルはとても安定して見える。

全高は低くなったが室内は10mm高くなり、さらに驚くべきことに室内前後寸法は75mmも拡がっている。全長で10mm、ホイールベースで50mmしか拡がっていないのにである。(ということは、フロントオーバーハングとリアオーバーハングを足した寸法は50mmマイナス10mmで都合40mm短くなっているということなのだ!)

このへん、たかが数センチ、されど数センチで非常に苦しいところだ。アルファード/ヴェルファイアの担当者は鼻血を出しながら、さぞや頑張ったに違いない。ご苦労様!!

■タイヤは205/65R16から215/60R17に変更。見た目のどっしり感をさらに向上させている。

そのかわり、最小回転半径は5.6mから5.7mに悪化。ぎりぎり許容範囲か。

同じホイールベースで215/55R17を履くエスティマの回転半径も5.7m。アルファードは全幅が広い分余計にタイヤを切ればいいじゃんと思うのだけれども、このあたりに電動パワーステアリングの出力の限界があるのかもしれない。

■V6エンジンは3.0Lの1MZからエスティマと同じ3.5Lの2GRエンジンにサイズアップ。280psを叩き出す余裕の出力も魅力だが、吸排VVT-i(バルブタイミング制御)や6AT化などによる燃費の7%向上も見逃せない。

燃費でいえば2.4Lの直4エンジンはもっとスゴイ。

エンジンこそ旧型と同じ2AZだけれどトルクバンドが広くなった(と思われる)出力特性と4ATからCVTへのトランスミッションの変更で実に20%も燃費が向上しているのだ。(旧:9.7km/L → 新:11.6km/L、10・15モード)

実用燃費がどれくらい良くなるか分からないけれど、20%向上って言われたらやっぱり期待してしまうところだ。(このへん、先行しているエスティマの評価ってどうなんだろか・・・。)

■エンジン、トランスミッションもそうだけれども、車体下回りの骨格構造もエスティマと共用しているようだ。

ホイールベースは2950mmで同じだし、ガソリンタンク容量も65Lで同じ。全幅はエスティマに対して30mmも広いにも関わらず室内幅は5mmしか大きくないというあたり、下にもぐってみた訳ではないが、フロアパネルまで流用している可能性が濃厚だ。

床面の高さはエスティマに対して150mm程度高いだろうから、その分何かで嵩上げして制振、防音構造をつくりこんでるのだろう、きっと。

■エスティマに少しだけ乗った感想なので大きなことは言えないが、この新しいプラットフォームはあんまり出来がいいという印象は無い。

トヨタのお家芸である騒音や振動対策がイマイチに思えるのだ。

素性がMクラスのSUVであるRAV4のプラットフォームをミニバン向けにアレンジしたものだから、上級のLクラスのクルマとしては限界があるのかもしれない。

その跳ね返りなのか分からないが車両重量が重くなっている。

廉価グレードの車両重量で比較すると旧型エスティマに対し新型エスティマは60kg(V6)~100kg(直4)程度重い。

■下のクラスのプラットフォームを使う狙いは構造を簡素化することで車両重量やコストを安くするというところにあると思うのだが、どうもそのへんが上手くいっていないようだ。

エスティマのプラットフォームを使っている為かどうかは分からないが、新型アルファードも旧型に比べて60kg程度重くなっている。

たぶん同じ苦労を抱えているのだろう。

■でもね。大衆車のエスティマならまだいいけれど、ファーストクラスを想起させるアルファードでエアコンのファン騒音みたいな下品な音は聞かせられないでしょ。その瞬間に「夢」が覚めちゃまずいから。

足回りだって、しなやかに路面の小さな段差をいなしてくれないと困るわけで、そのあたり、エスティマからどれだけ向上させてくれているか楽しみなところではある。

アルファード/ヴェルファイアは見た目に違わぬ上質な走りをしてくれるのか?果たして!

・・・あ、ちなみに235/50R18なんて太っといタイヤを履いてるスポーツグレードは「それなり」のハズなので期待してはいけません。念のため。

                           <2008.05.17 記>

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■ 新型アルファード ・ ヴェルファイアのすべて

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2008年5月15日 (木)

■花三話、その3。キュウリって、可憐な花に失礼じゃないか。

キュウリグサ。とても清楚な感じのする花である。

2008_04_02_01
■キュウリグサ(胡瓜草) ムラサキ科キュウリグサ属 花期3~5月
花径2~3mm、5弁。

■ささやかに咲いている、そういう印象。

中央の黄色と花びらの青が淡くのっていて、とても上品で美しいと思う。

3mm程度の小さな花だから、ただ往き過ぎるだけの毎日では決して味わえない、野の花ウォッチャーの贅沢である。

20080430_
■キュウリグサ(胡瓜草)

■花枝の先がくるくるとゼンマイのように巻いていて、それがほどけるように順番に花がさいていく。

花自体は以前に紹介した【ハナイバナ(葉内花)】とサイズもカタチも似ているが、花のつき方が違うし、色も違うので見分けるのは容易だろう。

2008_03_23__01_
■ハナイバナ(葉内花)

■ところで名前の【キュウリグサ】っていうのは、葉を揉むとキュウリの匂いがするからなのだそうだけれど、もうちょっとなんとかならなかったのだろうか。

近縁の【ワスレナグサ(勿忘草)】は、いい名前もらってるのにね。

もっとも、ワスレナグサ(勿忘草)の英名は’ forget me not ’なのだそうで、どうやら問題なのは日本人のセンスのようなのだが・・・。

                         <2008.05.15 記>

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■花三話、その2。オッカノウエ、ヒッナゲシノ、ハラデ~。

最近、だいだい色が目立ってます。

20080430_04
■ナガミヒナゲシ(長実ヒナゲシ)  ケシ科ケシ属 花期4~5月
花の直径3~6cm、4弁。地中海、中欧原産。

■風にそよぐヒナゲシ。

と書くと字づらはいいのだけれど、どうもこのオレンジがしっくりこない。

と思ったら1961年に初めて世田谷で観察された新参者で、地中海原産なのだそうだ。

この色はラテンの情熱だったんだね。

日本の爽やかな新緑の空気とは微妙にずれるわけである。

2008_05_14__
■ちょっとピンボケ(・・・ロバート・キャパじゃないので深い意味は無いデス。)

■で、咲き始めたな、と思ったらすぐにこんな感じで細いケシ坊主だらけになってしまう。

いや~、風情ないよなぁ。

■ところで昨日だったか、茨城のフラワーフェスティバル開催直前にアツミゲシという違法のケシが数十万本(!)の単位で咲いているのが分かって大慌てで抜いたそうな。

それじゃあ、このナガミヒナゲシはどうなんじゃい、と調べたらやっぱり阿片は取れないらしい、・・・ちぇ、ツマンネ。

                         <2008.05.15 記>

  
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■花三話、その1。雨の後に・・・。

水もしたたる、なんていうけれど雨上がりの野の花もなかなか味わいがある。

2008_05_14__01
■アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧) アカバナ科マツヨイグサ属 
花期5~9月 花の直径約1cm 熱帯アメリカ原産。

■5月に入って目立ち始めた赤い花。熱帯アメリカ原産。

赤花夕化粧、風流な名前である。

夕方から咲き始めることからこの名前がついたというが、実際には昼から咲き始めている。

2008_05_14__01_2
■コメツブツメクサ(米粒詰草) マメ科シャジクソウ属 花期5~9月
3mm程度の花5~10個が球状に集まる。ヨーロッパ原産。

■シロツメクサ(クローバー)の仲間。

似た花にコメツブウマゴヤシがあるが、ウマゴヤシと違って葉に毛が生えていない。

その葉の上でころころとした雨粒が楽しい。

                           <2008.05.16 記>

  
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2008年5月13日 (火)

■NHKスペシャル セーフティーネット・クライシス。「ごく普通に暮らすこと」が出来ないなんて理不尽じゃないか。

■NHKスペシャル 『セーフティーネット・クライシス』を見た。

このあいだ『ルポ 貧困大国アメリカ 』を読んで、自由競争の名の下に拡がっていくアメリカの貧困の実態に驚いたわけだが、いまの日本もそういう状況に陥りつつあるのでは、という「感覚」はやはり正しかったようである。

バブル崩壊から抜け出す過程で、さらには、小泉改革の影で『切り捨て』られてきた人たちの「生きていく姿」を追ったNHKらしい実直な番組で、日曜の夜に深く考えされられた。

■リストラによって正社員から非正社員になることで会社が負担していた分も自分にのしかかり、不安定な収入のなかで健康保険の費用が払えなくなる。

滞納が一年におよび、保険証を取り上げられると今まで当たり前のように3割負担であったものが一挙に全額負担。

風邪をこじらせたな、と思っても、一万円以上の出費は確実で食うや食わずの生活の中でその費用が払えるわけもなく、ガマンをして、気がつけば手遅れ。

腕利きの溶接工だったお父さんがその抜け出せない罠にはまり込み、末期の肺がんで病院に担ぎこまれたのに、払う金がない、と病院を抜け出した。という話に胸が詰まる。

■2000年4月に開始された介護保険制度。

高齢者の一人暮らしが増加して、家族のかわりに社会がヘルパーさんを雇って高齢者を支えていこうというこの制度は、なるほど、とうなづける仕組みである。

けれど2003年頃からの小泉改革の波に洗われ、そのスタンスは「社会による支援」から「自立支援」へと急激に変質する。

■「ムダ」を切り捨てろ。

右半身マヒをかかえ、ヘルパーさんの支援でなんとか暮らしていたお母さんのもとに「要介護度の変更のお知らせ」が届く。

ヘルパーさんをつける時間は半分で生活していけるだろう、というのだ。

今までヘルパーさんに付き添ってもらって買い物に出かけることがリハビリとして効果があったのだけれども、そんな「ゆったり」した努力は非効率、「ムダ」なのである。

何とかその生活を維持しようと自費でヘルパーさんにお願いしようとするのだけれど、月6万円の出費はとても続けられるものではない。

「わがままは言わないけれど、普通の暮らしをしたいだけ。

 頼りたくて頼ってるわけじゃない、・・・。」

という、そのお母さんの感極まった声が耳に重く残る。

幸い、そのお母さんのケースは、地元の自治体が国のサービスを補填するカタチで少し改善したようだけれど、カメラの隅に映った「しぶや区」の文字が、本当に一部の裕福な自治体でしかそれは望めないのだよ、と語っていた。

■95年に17%であった母子家庭は、05年に21%になり、2030年には31%にもなると予想されるという。

カメラは、月収7万円で3人の子供を抱えた母子家庭のお母さんを追った。

子供の世話と持病の悪化でとても長い時間は働けない。けれど、月収7万円で家族4人が暮らしていけるわけもない。

そこで生活保護をうけ、「最低限」とされる月26万円の収入になるまで補填されることになった。

■けれど、2003年に厚生労働省は生活保護の考え方を切り替え、「働ける能力を向上させて100万世帯を自立させる」という数値目標を掲げる。

結果、その家庭の生活保護は打ち切り。

「持病は計画的に治してフルに働けるようにせよ。」

「高校生はアルバイトで家計を支えられるだろう。」

そう指導するお役人さんは、果たして、その論理を自分の家族に向けることが出来るだろうか。

「目標」が「目的」とすり替わり、本来の意味を失う典型的な例である。

結局、長男は高校を中退せざるを得なかった。

■慶応大学の金子 勝さんのコメントが鋭い。

「ようやく立ち上がろうとしたところを無理に自立させる。

 これは『自立支援』ではなく、『自立強制』だ。」

まさにその通り、と強くうなづく。

■釧路市の母子家庭にアンケートをとったところ、「中学で不登校」の全国平均が3%であるのに対して21%。「塾へ通っている」生徒の全国平均60%に対して5%であったという。

番組では、そういう生徒たちが集まることが出来る「場」をつくって勉強を教える活動をしているNPOの例を紹介していた。

勉強をする機会を得られる、ということももちろん重要なのだけれども、「ここにいていいんだよ。」と、あたたかく迎えてくれる「場」が大切なのだろう。

■ぜいたくは言わないが、ごく普通に暮らせる、最低限の生活は送れるという安心感。

家庭は貧しくても、教育のチャンスは平等に与えられる。子供は社会の宝であり、18歳になるまでは社会が守っていこうという意識。

確かに企業が生き残らなければ雇用もなく、収入も安定せず、そういった「安心」を支えることは出来ない。

■けれども、何のための経済の安定なのか。

「企業が生き残る」というのが「社会の安定」のためだというのならば、企業が生き残る目的は、「社会」とひとくくりにされない、われわれ市民ひとりひとりの日々の生活のレベルまでに想像力をめぐらせた上での「生き残り」であるはずである。

果たして、そういう姿勢を保った企業がどれくらいあるだろうか?

生き残りに汲々としているあいだに、ここでも「手段」が「目的」とすり替わっていないだろうか。

■そう、世の中に苦言を呈したとき、はた、と自分の胸に手をあててみる。

今、自分にできることは何か。

などとカッコいい使命感に燃えて、今の生活を投げ出してまで、身近にいるであろう困窮した人やまともな教育を受けることが出来ない子供たちのために行動を起こすだろうか。

いや、一瞬の妄想はあったとしても、一晩眠れば自分の生活に戻り、その生活を維持していくことを最優先にして生きていくのである。

■それを卑怯と呼ぶならば、呼べばいい。

偽善者と呼ぶならば、そう呼べばいい。

わたしは、わたしのいまの生活を守ろうと思う。

それが偽らざる心境だ。

■そういう、自分も含めた、人間に対する「諦め」のようなものがある。

けれど、誰もが「今の状況はまずい」と思っていて、会社の同僚の佐藤さん(仮名)や学生時代の友達の山田さん(仮名)が、話のふとした拍子に同じ思いをもっていることを確認できれば、その「ああ、みんな同じ思いなんだな。」と確認ができたならば、「社会」という捉えどころの無いものがゆっくりと動き出すのではないかと思うのだ。

そういう意味で、今回のこの番組の意義は非常に深いと思う。

この番組を作り上げたNHKのスタッフの方々に拍手。

初めは少しずつかもしれないけれど、動きだすこと自体がとても重要だ。

これからの日本が住み良い世の中になっていくことを祈りつつ、日本国憲法の一節を載せたいと思う。
   

■日本国憲法 第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を
  有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び  
  公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

                             <2008.05.13 記>

■関連記事■
■個人の自由と国家の役割。『日本の、これから』 納得していますか?あなたの働き方。
<2007.06.26 記事>

■【書評】『 ルポ 貧困大国アメリカ 』。国家の病理は個人的つぶやきに現れる。
<2008.05.01 記事>
  

■番組HP■
■NHKスペシャル 『 セーフティーネット・クライシス 』
■2008.05.11放送。
■再放送■2008年5月13日(火) 深夜 【水曜午前】0時55分~2時23分 総合

  
■関連データ■
19762005_2
■日本の自殺者数と自殺率:
 1998年に自殺者が急増し、持続している。
 
Photo
■自殺率と完全失業率の相関関係:
 失業率だけで今の状況は読めないのだろうけれど・・・。
   
Photo
■所得階層別人数の推移:
1998年から2005年にかけて年収200万円以下の、いわゆる貧困層が急増している(24%増)。 
   

■トラックバックさせていただきます■
’「ほとんどブタ」駄目人間ぶーにゃんの生い立ちと世の中寸評’ さんの
「 NHKスペシャル「セーフティネットクライシス」を視聴して。第2話~競走馬社会の「駄馬」は… 」

’お気に入り’ さんの
「 セーフティーネット・クライシス~日本の社会保障が危ない~」

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■ちょっと早過ぎやしないかい?台風2号。

ずいぶん雨が強いな、とおもったら台風2号が接近中。

2008_05_13_600_2
■2008年5月13日06:00現在

中心の気圧は975hPa、最大風速35km/h。

結構、強いです。

本土上陸は無いようだけれども、

台風ってこんなに早い時期に接近することあったっけ?

今年は台風の当たり年かも。

                    <2008.05.13 記>

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2008年5月12日 (月)

■NHKスペシャル・ミラクルボディ・第4回 反応の限界を超えろ

トップアスリートの驚くべき世界を明らかにしようというこの企画、結構面白い。

今回はトップアスリートたちの驚くべき反応速度を超ハイスピードカメラで追った。

N
■WBC世界ミニマム級・前チャンプ、イーグル・デーン・ジュンラパン
2008_5_4(日)放送 NHKスペシャルHPより

■史上最速で500本安打を達成したヤクルトの青木宣親。

日ハムのエース・ダルビッシュ有の速球に対応する、その青木の「動き」をカメラが追う。

ボールがダルの手元を離れて、青木がそれをバットで捉えるまで0.4秒。

青木が「ストレート!」と判断したことがフォームに現れるまでが0.22秒。この瞬間、ボールはマウンドとバッターボックスのちょうど中間にいる。

その0.22秒の間に「判断」をして、残りの0.18秒で「対応」する。

本人曰く、あくまでもボールの軌跡で判定しているのだけれども、球種やコースを見極めたらあとは「見ているようで、見ていない」のだそうだ。

脳の研究者にいわせると、どうやら小脳を使っているらしい。今までの「経験」を蓄積して、投手毎、球種毎のレパートリーを備えているのではないか、とのことであった。

■WBC世界ミニマム級・前チャンプ、イーグル・デーン・ジュンラパンはさらに凄い。

カウンターパンチの使い手であるイーグルは、相手の左が動き始めてから0.16秒で反応を見せる。

初めの1ラウンドで相手のリズムを覚えたら、あとは動きが読めてしまうのだという。

■小脳での経験の蓄積で無意識に体が反応し、意識はあとからついてくる。というのは、「マインド・タイム ―脳と意識の時間―」という本で知ってはいたが、どうもコレくらいのレベルになると、さらに凄いことをしているようだ。

相手の動きを読む→反応する。

という小脳に出来上がった「自動的反応回路」を意識的に回避する、ということをやってのけているのである。

つまり、「フェイント」に惑わされずに「意思で動く」ということだ。

■日本剣道選手権なんかになると、もうまったくついていけない。

テレビで見ていてもボクシングなら多少はついていけるのだけれども、剣道の動きはまったく分からない。

バーン、と音がしたと思ったら、もう決まっている。そういう感じ。

速い選手だと動き出しから面が決まるまで0.10秒なのだそうな。

この速い動きも凄いのだけれどもそれに対処できる相手の選手はもっと凄いのだ。

■決勝戦での面の相打ちのシーンを超高速度撮影したもの(60倍)をやっていたが、それでもどっちが決めたのか判断できない!!

その差、実に0.009秒。

一方が「胴」へ行くと見せかけて「面」の動作に入る、その瞬間から相打ちの瞬間まで0.16秒。相手がその動きを察知して「相打ち」に至るまでが0.09秒。

その0.16秒の中に双方の「判断」が入り乱れる。

ため息が出るほど凄い世界。

けれども、実は、その0.009秒の差を正確に判定してしまう審判が一番スゴかったりするのである。ふー。

                          <2008.05.12 記>

Photo_117
■マインド・タイム ― 脳と意識の時間 ―
ベンジャミン・リベット 著 岩波書店 (2005/7/28)
<Amazon評価>
★★★★☆(レヴュー数 10件)

■関連記事■
■【書評】『マインド・タイム』 身体は意識より0.5秒先行する!?
    

■NHKスペシャル ミラクルボディー第4回 
 反応の限界を超えろ~特撮・一瞬の闘い~

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「お気に入り」さんの
NHKスペシャル ミラクルボディー「反応の限界を超えろ~特撮・一瞬の闘い~」

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2008年5月10日 (土)

■世界はシンプルである’ハズ’だ。『爆笑問題のニッポンの教養』 素粒子物理学、橋本省二。

今回のテーマは、素粒子物理学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE036:「世界を支配する『ちいさな』話」 2008.4.29放送
高エネルギー加速器研究機構准教授
素粒子物理学 橋本省二。

■今、目の前にある物体をどんどん拡大していくと分子が見えてくる。その分子はいくつかの原子で構成されていて、その原子の構成要素である陽子は3つの「クォーク」から成り立っている。

古代ギリシャの哲学者・デモクリトスの「原子論」から2400年。「唯物論」の延長としての現代物理学が覗いている世界である。

■「重さ」とは何か。

最先端の物理学が乗り越えようと奮闘努力する大きな壁がそこにある。

何しろ、「クォーク」には「重さ」が無いのに陽子には重さがあるというのだから、訳が分からなくなっているのである。

■何か理屈がなければ’ならない’。

そこで橋本先生たちが考えているのが、

実は『真空』は『空』ではない

という禅問答的世界なのである。

■「0」と思っていたのが、「+1」と「-1」が同じだけ詰まっている、というイメージだろうか。

「真空」だと思っていた我々の世界(宇宙)には「クォーク」と「反クォーク」が詰まっていて、だから、そこを「クォーク」が移動しようとすると「抵抗」が生まれる。

それが「重さ」の正体だ、というのである。

■うーん、よく分からない。

宇宙には光や力を伝える「エーテル」が満ちているという、アインシュタイン以前の19世紀の物理学に戻ったということか?

いや、一見、昔に戻ったようにみえるけれども、見る方向を変えれば’らせん’状に「スパイラル・アップ」して「真実」へと一歩近づいているということなのだろう。

■けれど、そこへ至る「道」はすでに常人の想像力を遥かに超えた領域へと踏み込んでしまっている。

超高速コンピュータによるシミュレーションでしか「検算」出来ない世界。

それを検証するには巨大な粒子加速器によって、ほぼ光速に近い速度で素粒子同士をぶつけるという、温度にして120兆度に達する状況が必要となってくる。

もはや、「その領域に我が身を置いてみる」というような理解の仕方はまったく通用しない世界なのだ。

太田が「しっくりこない」のもそこなのだろう。

■最先端の物理学が我々の肉体的感覚から遠く離れてしまったのは今に始まったことではない。

1945年8月6日。

相対性理論という「理解の外」の理論から生まれた原子爆弾という「超現実」が広島を直撃した、その瞬間、学問としての物理学は「人間のスケール(物差し)」を超越してしまったのかもしれない。

「科学」という名の思想は、目の前にあることの不思議を「理解する」という極めて人間的な行為であることをやめ、その好奇心は「神が如何にこの世界を創りたもうたか」というおよそ人間には実感することのできない領域へと知らず知らずのうちに踏み込んでしまっているのではないか。

■世界はシンプルである’はず’である。

その「教義」は数式という文法で語られる。

そこでは「主観」というものは「確率」として消化され、難しい数式の中に埋もれていく。

何しろ数式というやつは個人的な解釈を決して許さない。「わたし」を排除することこそが数式の属性(property)なのである。

■従って、太田が提示してみせる「いくつかのクォークの関係性の中に「重さ」を生み出す仕組みがあるのではないか?」という空想は、数式の文法から離れたものであるがゆえに、ふふん、といなされて終わってしまう。

そして、数式の文脈の上での議論である限りに於いて、その「言語」を理解できない(感覚として捉えることのできない)一般市民に反論の余地は残されていないのだ。

太田の焦燥はその危機感の表れなのだろうし、「女房からしばられているわたし」という「数式」にとても収まりきれない土俵でしか反撃出来なかったのも仕方の無いことである。

■科学は客観的事実でのみ語られ、その法則は一定で再現可能なものである。

もちろん技術者としての自分はその科学の文脈の中で思考し、仮説を立て、実験で検証するというスタイルに従っているし、それを変えるつもりは微塵もない。

遥か彼方といえども、今の最先端の物理学の世界もその延長線上にある。というのも理解できる。

けれど、橋本先生。

世界がシンプルな数式で表せるとするならば、「奥さんの束縛から飛ぶことを恐れる先生自身」もまた、シンプルな数式の「解」のひとつに過ぎないということになってしまいやしないだろうか?

そこに不合理をみるかどうかに、「科学」を「道具」とみるか「宗教」とみるかの境界線があるように、私には思える。

■何のための「科学」なのか。

今の時代の空気を眺めると、その「科学」の文字を、「報道」だとか「経済」だとか「平和」だとかいろいろと読み替えることも出来るだろう。

すべては同じ構図にあてはまる気がするのである。

われわれが当たり前として信じているものを「」(かっこ)付きにして相対化し、改めて「わたし」の中で咀嚼する。

我々ひとりひとりがその努力を怠ったとき、気がつけば後戻りの出来ない不幸の中にいる、なんてことになりゃあしないかと心配なのだ。

                         <2008.05.10 記>

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図解入門 よくわかる素粒子の基本と仕組み
―高エネルギー物理学と巨大研究プロジェクト

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■関連サイト■
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’こんなことしてません?’ さんの
 「爆笑問題のニッポンの教養 橋本省二:素粒子の話」

’どんぐりの背比べ’さんの「世界を支配する小さな話」

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2008年5月 8日 (木)

■フォーシーズンズで、いのちの洗濯。

GWの終わりに目白のフォーシーズンズホテルに泊まった。

旨いメシに、気持ちのいいベッド。

たまには、これくらい思い切った贅沢もいいだろう。

Photo
■7Fからの眺め。

眼下には同じ敷地にある椿山荘の庭園が広がる。

まわりのビル街とのコントラストがいい。

椿山荘ってのはただの結婚式場かと思っていたら

明治の元勲、山縣有朋が造った庭園だったのだそうで、

そういわれると急に奥深く見えてくるからミーハーなものである。

Photo_2
■椿山荘のチャペル。

昨日の雨空とは打って変わったいい天気。

この日に式を挙げた人は

日頃の行いが良かったのだろうね。

Photo_3
■新緑からのぞく青空が清々しい一日であった。

                          <2008.05.08 記>

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2008年5月 5日 (月)

■セイヨウタンポポに圧されるカントウタンポポ。その背景は結構深い。

タンポポが一斉に綿毛を出し始めた。

Photo
■セイヨウタンポポ(西洋蒲公英) キク科タンポポ属 花期:周年

■春に咲くカントウタンポポかな、と思ったら年中(3~10月頃)咲いているセイヨウタンポポであった。

上の写真の左側に開きかけの綿毛があるのだけれど、ガク(総包片)が反り返っているのでセイヨウタンポポであることが分かる。

Photo_2 Photo_3
■左)セイヨウタンポポ 右)カントウタンポポ(関東蒲公英) 花期:3~5月

■左側の花がセイヨウタンポポで、右側のしゃきっとしてない花がカントウタンポポである。

並べて比べてみれば全体の印象もちょっと違うのだけれども、単体で見分ける自信はあまりない。やはり、ガク(総包片)が反り返っているかどうかという分かりやすい特徴で見分けるべきだろう。

■その名前のとおり、カントウタンポポが在来種で、セイヨウタンポポがヨーロッパ原産の帰化植物。

カントウタンポポが春にしか咲かないのに対し、セイヨウタンポポは周年繁殖が可能なのでどんどんと勢力を伸ばしているようである。

子供の頃(70年代)の記憶だと、タンポポというとなんだか「やわらかい」イメージがあるので、その頃はまだハッキリクッキリのセイヨウタンポポはさほど広がっていなかったのかも知れない。

■まさに、帰化植物に圧される在来種、という構図なのだけれども、調べてみると実は結構壮大な背景があって驚いた。

カントウタンポポは有性生殖。セイヨウタンポポは無性生殖なのだそうだ。

へぇ、セイヨウタンポポって変わってるんだな。と思いきや、タンポポ業界(?)の中では有性生殖のカントウタンポポの方が特殊な存在なのだという。

タンポポのグローバルスタンダードは無性生殖なのだ。

■それだけでも、へぇ~なのだけれども、日本在来種のタンポポが有性生殖を維持できたのは氷河期に冠氷しなかったことによって古い種が残存できたからなのだそうだ。

セイヨウタンポポとカントウタンポポのせめぎ合いは、実に地質学的スケールで展開されていたのだ。

■日本の「ゆるい」環境で生き残ったカントウタンポポ。

従来の「甘えの構造」的日本社会と最近の世の中の動きを重ね合わせてみると、なんとも示唆的な話である。

                          <2008.05.05 記>

■追記■

今回取り上げた2種以外に、最近、ちょっと小ぶりなタンポポの群生も目立ってきている気がする。

Photo_4
■ブタナ(豚菜)別名:タンポポモドキ  キク科エゾコウゾリナ属 花期:5~7月

妙にくねくねしていてひょろ長く、よく見ると茎の途中で分岐している。

調べてみると、これは「ブタナ」という雑草でタンポポとはまったく別の種なのであった。

うーむ、タンポポ侮りがたし。

Photo
■花色でひける野草・雑草観察図鑑

  
■■■ 花の写真 ■■■  
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2008年5月 1日 (木)

■【書評】『 ルポ 貧困大国アメリカ 』。国家の病理は個人的つぶやきに現れる。

日本でも「格差社会」というコトバはすっかり定着したけれども、この’作品’は、さらにその先の姿を映す鏡として現在のアメリカという国の実態を生活者のレベルで見事に切り取っている。

Photo
■『 ルポ 貧困大国アメリカ 』 堤 未果 著
★★★★☆(47)

■我々が「アメリカ人の生活」といってイメージするのは、経済リポートの背景に写るマンハッタンの高層ビル群や、ハリウッド映画に出てくるロサンゼルスとか郊外の大規模なショッピングモール、そしてTVドラマで描かれるアッパー・ミドルの「素敵なおうち」、なわけである。

だが、ここのところの「サブプライムローン」問題で、そこに映し出されている「薔薇色」の裏に、実は出口の見えない暗い闇が広がっているという実態がようやくあらわになってきた。

しかし実は、膨れ上がった債務に苦しむ一般市民を食いものにする「確信犯的時限爆弾」としての「サブプライムローン」が埋め込まれた2005年から2006年、著者が足で稼いだこの本を信じる限り、絶望的な状況は既にそこに見え始めていたのだ。

■無料給食制度のジャンクフードや揚げ物でぶくぶくと太る貧困地域の子供の皮肉。

2005年のハリケーン・カトリーナの被害を自然災害から人災へと拡大させた緊急支援組織の「民営化」と「自由競争」の論理。

高額な医療費によって破産する中間層。その立場の強さから支払いを渋る民間医療保険会社と入院費を支払えずに日帰り出産をする妊婦たち。

■学費を支払うために膨らみすぎたカードローンの肩代わりに徴兵される学生たち。

多重債務者たちを派遣社員として雇い、イラクの最前線に戦争を支える「民間作業員」として丸腰で送り込む軍の下請け派遣会社。

■すべては「市場原理主義」の産物である。

とする著者の「事実」の切り取り方にたとえ偏向があったとしても、「自由競争」の敗者として抜け出すことの出来ない貧困の苦しみに喘ぐひとりひとりの声を丹念に集めたジャーナリストとしての熱意と誠実さは強く伝わってくるし、それゆえに説得力も生まれてくる。

国家の病理は、その「しわ寄せ」がいった「負け組」たちの個人的つぶやきにこそ鮮烈に現れるのだ。

■そして当然の流れとして、読むものの関心は現在進行形の日本の格差問題へと注がれる。

ネカフェ難民、マック難民。

その語感にはカナ漢字まじりの少しとぼけた当たりの柔らかさがあるのだけれども、より自分に近いところにあるという意味で、実は深刻な事態を指し示しているのかもしれない。

確かに昔から駅の周りには浮浪者がいたし、サラ金地獄なんてのも今に始まったことではない。

けれど、今回は「何となく」違う気がするのだ。

■そこで、自殺者推移を調べてみると(以下のグラフ)1998年に自殺者が急激に増加しており、そこから3万人以上を維持し続けていることが分かった。

この頃に日本の社会の中で「何か」が変わったに違いない。

19762005
■日本の自殺者数 年次推移(1976~2005)【クリックすると拡大します】
【出典】特定非営利活動法人 自殺対策支援センターHP

一般に言われるように、本当に働いても働いても貧しい生活から脱却できない「ワーキングプア」が増加しているのだろうか。

その辺の探求は改めておこなおうと思うけれども、いくつかのデータをざっと見る限り中間層が減少し、年収200万円以下の層が増えていることはどうやら間違いないようである。

■私が多感な10代を生きた1980年代前半は、確かに「一億総中流」を信じることが出来た時代であった。日本は、どんな社会主義国よりも平等な「社会主義」が実現されている国であるという、一種の誇りさえ抱いていた。

だが、今や「世知辛い」グローバル・スタンダードという名の自由競争の波に洗われて、「金を儲けて何が悪い」という誰かのセリフを表面的には批判してみるのだけれど、本音のところでは「正直な人だな」と思ってしまう時代である。

情けは人の為ならず。

という言葉が本来と逆の意味で捉えられるような世間になってしまう前に、「富の再配分」なんて堅苦しい経済用語をもっと我々ひとりひとりの生々しい人生に引き寄せる、そんな努力が必要なのではないだろうか。

「日本人」の恢復、というのはそういうところから始まるのだとおもう。

                                <2008.05.01 記>                  

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■『 ルポ貧困大国アメリカ 』 堤 未果 著 (岩波新書)
★★★★☆(46)

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★★★★ (21)       ★★★★☆(42)      ★★★★ (12)
・とりあえず「シッコ」くらいは見ておこうとおもう。

      
■過去記事■

■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>

                     
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