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2008年4月26日 (土)

■「みなさん、お気の毒に」を乗り越える道。『爆笑問題のニッポンの教養』 哲学、木田 元。

今回のテーマは、哲学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE035:「哲学を破壊せよ」 2008.4.22放送
中央大学名誉教授  哲学 木田 元。

■木田先生は今年80歳になるという1928年生まれ。

敗戦時に16歳。広島に落とされた原爆のきのこ雲をその目で見、闇市で生計を立てていたという。

ここで「終戦」といわずに、「敗戦」というところにリアルさを感じる。

■面白いといっては語弊があるが、この世代の人の話が聞くものの心を惹くのは「敗戦」による「価値観の崩壊」を体験していることと大いに関係があるのだと思う。

この世に「絶対」というものはないのだ、ということを実体験として理解している世代だから言葉が現実から浮き上がらないのだ。

いくら我々の世代が「生きていることの意味」を考えたところでそれは「空想」の域を出ることはなく、一歩引いて眺めれば、所詮虚しい言葉あそびに過ぎないのではないかという恐れをどこかに抱えているものである。

その意味で、木田先生の人類の未来に対する悲観主義を覆そうとする太田の試みが、「みなさん、お気の毒に」とニヤリと笑った一言を前にして淡くも崩れ去ってしまうのも当然の結末であろう。

■プラトンの「イデア」を源流とする【絶対的存在】を認める哲学が一神教であるキリスト教と合流して今の「物質主義」、「技術文明」の基盤となっていて、現代の我々の不幸はその「技術」にこき使われていることにある。

木田先生が今回指し示した考え方をまとめると、こういうところか。

■現代文明が危機的状況にあって、その蹉跌はプラトン、アリストテレスから始まるという考え方。

ハイデッガーとニーチェはそこに気がつき、【絶対的存在】などというものは実は初めから存在しなかったのではないか、と疑い、確信に至った。

我々日本人にとってそういった哲学が難しいのは、その「そもそも」の【絶対的存在】というものを持たないがゆえに、ハイデッガー、ニーチェがたどりついた結論の革命的意味について、たとえアタマで構造的に理解したと思っても、自分の「人生」という文脈の上では本当の理解に至らないからである。

■いや、さらに言えば、

「ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず」

というような日本人が古来から備えていた生々流転の世界観を、明治維新以降、西洋的価値観で塗りつぶしてきたことで、却ってその理解を二重に難しくしているのかもしれない。

その二重の罠をかいくぐり、「こういうことか」とハイデッガーの本質に迫るためには木田先生をもってしても30年の思索を必要としたというのだから、それは我ら凡人には到底たどりつけない領域だろう。

我々にできるのはせいぜい「現存在」だとか「死へ臨む存在」だとか「神は死んだ」とか、そういった形而上学的なことばをコラージュのように散らばせて、さも解ったかのように己の知性を飾りたてることくらいである。

それはそれでいいんじゃないか、とも思う。解らないなりにそういう言葉を浴びることもひとつの体験なのだ。

■大切なのは「自分」の肉体を通じて感じることなのではないだろうか。

そのアプローチは、

「(西洋の合理的思考と生命を流れと捉える日本人的思考の間を)行ったり来たりしている間に理解できてきたこともある」

という木田先生のコトバに言いあらわされている。

■世の中に「絶対」ということはない。

四季のある自然のなかで、幸いにも、我々日本人はその思想を無意識のうちに取り込んで生きている。

桜が散るさまや紅葉といった「その瞬間」を美しいと感じるこころ。それを科学のメスで解体していっても、そこにあった「美しさ」は既に消えてしまっていることを理解するこころ。

そういった「我々の身体に既に埋め込まれている」思考回路を通じて世界を捉えること。

簡単に言えば、感じたことを「そのまま」味わうこと。

その「感じ」を尊重すること。

科学的、技術的解析で現れてきた「結果」からものごとを構造的に理解しつつも、「結論」を出すにあたっては自分の受けた「感じ」に素直であること。

■それを忘れることがなければ、科学・技術といったものを「道具」として上手に使いこなしつつ、【競争至上主義】に日々侵されている「人間の尊厳」を恢復する道へと何とかつなぐことが出来るのではないか。

と、同時にそれは「言葉あそび」に陥らずに思考を深めていく唯一の道なのではないだろうか。

「みなさん、お気の毒に」、という木田先生の80年もののシニカルな微笑みを乗り越える道は必ずある。

戦わずして絶望するわけにはいかないのである。

ね、太田さん。

                           <2008.04.26 記>

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