■【映画】『妖怪大戦争』。バカを言っちゃいけない、戦争なんか腹が減るだけです。
腹をかかえて大笑いできる最高の娯楽映画なのだけれども、その底には深くシブトイ思想が流れている。子供だましと侮ってはいけないのだ。
●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
No.12 『妖怪大戦争』
監督: 三池崇史 日本公開:2005年8月
出演: 神木隆之介、宮迫博之、豊川悦司 他
■「その夏、僕はまっ白な嘘をついた」
なーんて品のいいキャッチ・コピーにつられて、’少年が体験する夏の思い出’的な映画だと思って見ると肩透かしをくらうに違いない。
確かにそれが物語の軸を形成しているのだけれども、この映画の魅力はむしろ、その「いわゆる物語的流れ」を逸脱し、隙あらばそれをひっくり返そうとする「もう、無茶苦茶でんがな」的展開にある。
人を驚かしては、「いーっ、ひっひぃ」と影で笑うのが妖怪の本分だとするならば、けだし、それも当然のことなのかもしれない。
見るものがそこを愉しめるかどうかで評価が大きく分かれる。『妖怪大戦争』というのは、そういう映画なのだ。
■ストーリー■
今年10歳になるタダシは、両親の離婚により母と鳥取にやってきた。しかし都会で育ったもやしっ子のタダシはクラスメートにもいまいち馴染めない。そんなある日、夏祭りで「世界に平和をもたらす正義の味方」麒麟送子に選ばれたタダシは、なんと妖怪の姿が見えるようになってしまう。
同じころ、人間に深い恨みを持つ魔人・加藤保憲は、捕獲してきた日本古来の妖怪と人間に打ち捨てられた機械の怨念を混ぜ合わせ、新種の悪霊である“機怪”を作り出し、世界壊滅を目論んでいた…。果たしてタダシは日本の妖怪軍団と力を合わせて世界を救うことができるのか!
■DVD 『妖怪大戦争』
■★★★ (38件のレヴューがあります)
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■
■日本の妖怪たちのとぼけた味がなんとも絶品である。
妖怪たちのまとめ役的立場の猩猩を演じる近藤正臣、河童の川太郎を阿部サダヲ、油すましは竹中直人、そして日本妖怪の大御所ぬらりひょんを忌野清志郎。
個性あふれる面々が特殊メイクで誰だ誰やら分からん状態で集う「妖怪会議」のシーンが面白い。
■猩猩や川太郎が、魔人・加藤のたくらみを打ち砕くべく力を合わせて戦おうと旗を振るのだが、妖怪たちは戦うことにまったく興味なし。いやー、俺はちょっと、とかなんとかいってみんな後ずさりしながら逃げていく。
結局、残っているのは猩猩とその仲間の川太郎と川姫(高橋真唯)だけ。
と、思ったら小豆洗い(岡村隆史)がポツンと残っている。
■「お前、いいやつなんだなぁ~」、なんて川太郎に感激されてしまっては今さら足が痺れて立てなかっただけだなんて言えないじゃん。
という岡村隆史のほとんどセリフなしでの演技がツボにはまってしまった。
そもそも、ざるでシャカシャカ小豆を洗う音をたてるだけの妖怪がついていって一体なんの役にたつのか?という話である。
実はそこがラストの伏線になっているとは考えも及ばない、というか及ぶはずがない(笑)。
■そういったとぼけた妖怪たちに対して、魔人・加藤保憲(豊川悦司)とその僕(しもべ)である鳥刺し妖女アギ(栗山千秋)は真剣だ。
加藤の根っこの部分には虐げられた日本の先住民の怨みがこもっているという設定なのだから、おちゃらけるわけにもいかないのである。
■栗山千秋は自称アニメ、SFオタクだそうで、この役も結構楽しんだに違いない。
そういった「背景のある『悪』」というのは女性にとってよっぽど魅力的なものなのか、栗山千秋演ずるアギは加藤にゾッコンで、アギの真剣さの源泉はそこにある。
けれど大抵の場合そういう恋慕が実ることは無く、見ていて結構切ないものがある。
おちゃらけだけでなく、そういうところもしっかり描きこんでいるところが映画全体に深みを与えているように思える。
人間(?)的な感情に従って動くアギを描くことで、純粋であるが故に冷酷な「悪」としての「加藤」の輪郭がはっきりと見えてくるという効果もあるだろう。
■一方、人間としての視点は怪奇雑誌の編集者である佐田(宮迫博之)の目で語られる。
今、現在進行形で空想と現実の狭間に生きるタダシより、その感覚を記憶の奥に微かに感じる佐田のほうが、誰の心にもある、草の匂いとか水溜りの匂いとか、そういったものが混ざり合った「何か」をその感覚に思いおこさせ、妖怪の世界をよりリアルに感じさせるのだろう。
佐田が少年時代に川で溺れかけたときにその命を救った妖怪・川姫。
そのときの川姫の肌のぬらぬらとした、少年らしからぬ猥雑さをも含んだその感覚が佐田の記憶の奥底で疼いている。
このあたりは映画という表現手段ならではの部分で三池監督の技がもっとも冴えるところである。
いや、正直、年甲斐もなくドキドキしてしまいました。
■『妖怪大戦争』といえば、バックベアードを首領とする西洋の妖怪軍団をゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちが迎え撃つという80年代のマンガ映画を思い浮かべる世代である。
米ソ冷戦の時代。
何事も、平和を脅かす「悪」と戦う「正義」との「対決」の構図で捉えることのできる時代であったように思う。その流れの中で違和感無く、この勧善懲悪の物語を受け入れていたように思う。
けれど原作者の水木サンにとってそれは忸怩たるものであっただろう。鬼太郎とは本来、’朝は寝床でぐぅ、ぐぅ、ぐぅ’というダラけたもので、「正義」とは無縁の存在であるはずなのだ。
冷戦が終わり、民族とか貧富の格差だとか、そういった’政治’と言ってしまうよりももっと身体感覚に近いところで分断が生まれ、善と悪との境界線が見えづらくなってきたこの時代。そこで今回の『妖怪大戦争』が撮られたことに何らかの時代的な意味を求めるのは考えすぎだろうか。
■この映画には「プロデュースチーム『怪』」として、宮部みゆき、京極夏彦、荒俣宏、そして水木しげる御大が参加している。
単に妖怪の描き方の質が高いというだけでなく、それぞれの作家の世界観が物語の各断面に現れていて面白い。
その中で、やっぱり、しみじみした気分にさせるのが、水木サン自身が登場するシーンである。
■加藤とタダシたちの戦いが、どう伝わったものやら、「東京で盛大な祭りをやってるらしい」と聞きつけた日本全国120万もの妖怪たちが一気に押し寄せ、その混乱の中で加藤の野望は(しょーもないことで)打ち砕かれる。
それを遠巻きに見ていた妖怪大翁(水木しげる )と従者。
従者 「今回は勝てました」
妖怪大翁 「バカを言っちゃいけない、ケンカなんか腹が減るだけです。」
それを「戦争なんて腹が空くだけだ」と読み替えたとき、己のタダシさを声高に主張することのアホらしさが沁みてくる。
こういった戦争体験世代の声は幾百幾千の論より遥かに重い。
<2008.03.21 記>
■DVD 『妖怪大戦争』
■★★★ (38件のレヴューがあります)
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■STAFF■
監督・脚本 : 三池崇史 <三池崇史監督作品を検索>
脚本 : 沢村光彦、板倉剛彦
撮影 : 山本英夫
特殊メイク : 松井祐一
加藤保憲/アギスタイリスト:北村道子
美術:佐々木尚
美術デザイン:百武朋、井上淳哉、竹谷隆之、韮沢靖
造形:松井祐一、百武朋
音楽:遠藤浩二
プロデュースチーム「怪」:水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆき
■CAST■
稲生タダシ/麒麟送子 :神木隆之介
佐田(雑誌「怪」編集者) :宮迫博之(雨上がり決死隊)
稲生俊太郎(タダシの祖父):菅原文太
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猩猩 :近藤正臣
川姫 :高橋真唯
川太郎 :阿部サダヲ
一本だたら :田口浩正
小豆洗い :岡村隆史(ナインティナイン)
大首 :石橋蓮司
ぬらりひょん :忌野清志郎
油すまし :竹中直人
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「怪」編集長 :佐野史郎
宮部先生 :宮部みゆき
読書好きのホームレス :大沢在昌
山ン本五郎佐衛門 :荒俣宏
神ン野悪五郎 :京極夏彦
妖怪大翁 :水木しげる
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鳥刺し妖女アギ :栗山千明
加藤保憲 :豊川悦司
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コメント
キヨシローさんがぬらりひょん

思いがけない配役に、びっくりでしたが
絶妙な大抜擢(?)でしたね。
その後の大病からの復活、嬉しい限りです
投稿: 臨床検査技師 | 2008年3月23日 (日) 10時54分
臨床検査技師さん、こんにちは。
スローバラード、トランジスタ・ラジオ。
RCサクセションは沁みますよね。
青臭い高校時代の空気は、私の場合、尾崎豊というよりは忌野清志郎でした。
このあいだテレビで復活コンサートの様子が流れているのを見ましたが、見た目も声量も全く衰えを感じさせず、そのロック魂にグッときてしまいました。
投稿: 電気羊 | 2008年3月23日 (日) 13時47分