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2008年3月

2008年3月28日 (金)

■エンデバー帰還。土井さん、お帰りなさい。

スペースシャトル・エンデバーが15日と18時間の飛行を終え、無事、ケネディ宇宙センターに帰還した。

■予定では日没前に着陸することになっていたのだけれど、大気圏再突入直前にケネディ宇宙センタ上空に雲が立ち込めたため、シャトルは地球のまわりを90分かけて一周してから改めて再突入、結果日没後の着陸となった。

シャトルの着陸はものすごい迎角をとるから、そもそも姿勢とか高度とか把握しにくいだろうに夜間の着陸では左右の景色もほとんど分からんわけで、ほとんど目隠し状態でのランディングになるのじゃなかろうか。

■しっかり誘導されていて、対地モニターみたいなものもあるのだろうけれども、パイロットとしてはやっぱり肉眼で把握したいところだろう。

かなりの経験と技量をもったパイロットなのだろうなあと、改めて尊敬のまなこである。

youtubeの動画を見ていて、大昔にあった「ミッドナイト・ランディング」という着陸シミュレーションゲームを思い出したが、シャトルはやり直しきかないもんな(苦笑)。

■それにしても、気象条件が悪くて着陸をやり直すのに「地球を一周する」ってのも、ほんと、スケールのデカイ話である。やっぱり「宇宙船」は世界が違う。

まあ、ともあれ、無事に帰還できてよかった、よかった。

そして土井さん、お帰りなさい。

                       <2008.03.28 記>

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■MRJ事業化決定。技術屋の夢と、ビジネスと。

YS-11から40年ぶりとなる国産小型旅客機、MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)が2013年度以降の市場導入に向けて事業化される。

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■MRJは、これから世界で需要が増大すると考えられているローカル便向け、70~90席の小型ジェット旅客機である。

日本お得意の複合材を採用することによる軽量化や空気抵抗の軽減、エンジンの低燃費化により「地球にやさしい」機体を目指す。

競合する他社の機種よりも3割程度燃費が良くなるというのだから、機体の塗装を削ってでも燃費を稼ぎ出そうとする航空会社にとっては魅力的な機体になるだろう。

市場への導入は2013年度以降。

■雌伏40年。

ボーイングの下請けに甘んじつつも技術を磨いてきたのであろう三菱重工がついに勝負に出るときが来た。

・・・と、自分の中のナショナリズムが疼くところなのだけれども、その一方で、なんだかとても不安なのである。

■この小型ジェット旅客機の市場は、カナダのボンバルディア社とブラジルのエンブラエル社が切り開き、既存の欧州社製プロペラ小型旅客機を駆逐したのだそうだ。

さらに、これからこの市場に参入してくるのはロシアのスホーイ・スーパージェット100、そして昨年末に量産初号機がロールアウトした中国のARJ21。

こうして並べるとカナダ以外はいわゆる「BRICs」だ。

その強みは開発費(人件費)を低く抑え、低価格でも採算のでる仕組みにあるのではないのか。

■MRJについては過去に開発費が500億円から1200億円に膨れ上がった経緯もあり、これから本腰を入れて開発にとっかかろうとするならば、航空機の開発の「定説」として、さらに開発費がかさむ可能性は高いといえるだろう。

「損益分岐点が350機、利益確保に600機」という数字をどこかで見たが、その前提となる開発費が分からないにしても、このビジネスが「開発費」と「契約機数」のせめぎ合いの上に成り立っているのだろうことは想像に難くない。

YS-11がビジネスとして失敗したのは、薄利多売、というより採算割れで契約機数をかせいだことによるものだという。

■中国のARJ21が1機、約30億円弱といわれる。

今回、三菱重工と全日空との間で取り交わされた契約は25機で600億円だから、乱暴に計算すると1機あたり24億円。

平成のYS-11は、そのビジネスにおいても先達の二の舞を演じてしまうのではないか。

日本の技術屋の端くれとしてMRJが成功して欲しいという思いが強い反面、そのビジネスが成功するかどうかがとても心配なのである。

なにしろ、技術屋が夢を語ることとビジネスで成功することがうまく噛みあった事例に出くわすことは極めて稀で、またそれ自体、技術屋として日々悩ましくおもうこと、そのものであったりするのだから。

                        <2008.03.28 記>

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■【文庫】 YS‐11〈上〉国産旅客機を創った男たち
■【文庫】 YS‐11〈下〉苦難の初飛行と名機の運命
 

 
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2008年3月27日 (木)

■「サザエさん」的幸福論の果てに。『爆笑問題のニッポンの教養』 教育社会学、本田由紀。

今回のテーマは、労働。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE031:「我働くゆえに幸(さち)あり?」 2008.3.18放送
東京大学教育学部准教授 本田由紀

■「ニート」とは、仕事も通学もしていなかった非労働力人口のうち、年齢が15〜34歳までの層を指す語であり、2004年頃から一般に広まったことばである。

今回は、この「ニート」に焦点をあて、労働における社会と個人の関係について丁々発止の議論が繰り広げられた。

■バブル崩壊後、’90年代初頭から’05年にかけて就職氷河期といわれる、「仕事が無い、就職できない」時代があった。

いわゆるロスト・ジェネレーションという世代である。

私が就職したのは90年代はじめの頃なのだけれど、それ以降後輩が全く入ってこない時期が続き、係の宴会の万年幹事となってしまった怨みとしてその時代は私の人生に強く刻み込まれている。(←なんて器の小さいヤツなんだろう(笑)。)

■それはさておき、本田先生が強く主張するのは、

「ニート」=「若者がだらしない」

という「個人」に責任をおっかぶせる世間の見方に対する反論である。

■就職氷河期時代が到来するまでの日本では、新規学卒のふにゃふにゃの子供を学校が企業に引渡し、会社の中で育てていくという「赤ちゃん引渡しモデル」が成立していた。

それは欧米で一般的な、学校で大きくエネルギーをためて、えい!とばかりに企業が求める高いポテンシャルに飛び移る「棒高跳びモデル」とは極めて対照的である。

ところが、バブル崩壊後の失われた10年において、企業は「赤ちゃん」の受け取りを拒否、ふにゃふにゃの赤ちゃんはそのまま社会に放り出されることになった。

それが「ニート」の人たちであり、そんな人たちを「個人責任論」で切り捨てるのはあんまりじゃないか!と本田先生は憤るのである。

■それに対して太田は、決して努力不足といいたいわけではないが、ひとのせいでは無いと言いたい。つらいこと、理不尽なことは普通にあることじゃないか。つらかったらやめちゃえばいい。つらい社会から退却して引きこもったままでいいじゃないか。と主張する。

社会に文句をいったところで、それは結果論であって、あの時代はあの時代でしかたなかったんだと、それよりも「被害者」と呼ばれるひとに、もっと先をみろ!と言いたい。

生活できなきゃ幸福が味わえないのかよ!

というわけである。

■それは、田中と太田の長い下積み時代を背景にしたことばであり、収入が無いつらさより、自分の中で発想が生まれないことの方がよっぽどつらかった。というセリフに重みを与える。

いや、それでも、

と本田先生は食い下がる。

意欲があれば何でも出来るというのは酷であって、つるつるでとっかかりのない壁をどうやって登ればいいのか。

それでも登れという突き放しは本人にプレッシャーを与えるだけで何の解決にもならない。社会が足場をつくってあげなければいかん、という。

■ここにきて、太田が「腑に落ちない」という、その理由が少しみえてくる。

いままで日本では、仕事とか家庭とかいったものの、その意味について問わずにやってきた。それが破綻をきたしているということは、先生自身の人生も「間違えていた」ということになるのでは?

その太田の問いが先生の「一般論」を一気に突き崩す。

ある意味、その通りです。

■本田先生の強い使命感。

その源泉は、詰め込み教育のレールに乗って、それに抗うことが出来ずに無意味な「進学の為の勉強」を強いられた、その少女時代の怨みにあった。

本屋で「サザエさん」を立ち読みすることが唯一の抵抗であった、という微笑ましさの裏に、平和で平凡な家庭の象徴である「サザエさん」にはとても似つかわしくない深く、ドス黒い感情が今でもグルグルとのたうっている。

それは、「主観」がもつ圧倒的な説得力をもって先生の使命感に「意味」を与え、照らし出す。

お仕着せのレールの先を切り取られ、脱線すべくして脱線させられたロスト・ジェネレーションの「子供たち」、その幾万の怨みが本田先生のこころの「鏡」に強く映し出される理由がそこにある。

■一般論はその鎧を脱ぎ捨て、極めて個人的感情に立脚したときに、やっとその核心を見せはじめる。

ここにおいて、太田と本田先生は同じ地平に立つこととなった。

その時に生まれる「理解」は、論の違いを乗り越えて深くこころに届きあう。

いいドラマであったとおもう。

■今回の番組は、社会的問題としての「ニート」について何ら解決の糸口を与えるものではなかったが、人生は一般論でくくりあげるものではないという、「主観」という次元での回答に達する、とても意義深いものであった。

そこに提示される「不合理」は、何も就職氷河期にぶち当たった「かわいそうな」世代だけのものではなく、サザエさんに象徴される「お隣と変らない」、「世間と一緒」、という社会的同質性に立脚した「しあわせ」なんてものが元々幻想に過ぎなかったのだという意味で、世代を問わず、それぞれの人生に遅かれ早かれ必ずやってくるものなのだと思う。

そしてその極めて個人的な苦難こそが、一般論を乗り越え、人生を自分のものとして取り戻すチャンスでもあるのだ。

そんなことを考えながら、自らが今直面している不合理のことを想うのである。

                           <2008.03.26 記>

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■ 「ニート」って言うな! (光文社新書)
■本田 由紀、内藤 朝雄、後藤 和智 共著■
★★★★☆(46件のレヴュー)
    

■関連書籍■

■ ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版)
■堤 未果 著■
★★★★★(25件のレヴュー)
■今、読んでいるところなのだけれども、どエライ本である。社会的問題としての「ニート」の根っこにある「自由競争」の延長線としてアメリカの現実を捉えると背筋が寒くなるものがある。

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■【爆笑問題のニッポンの教養】の本 ■
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■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』
     

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■爆笑問題のニッポンの教養

  

■関連サイト■
■『爆笑問題のニッポンの教養』番組HP

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2008年3月26日 (水)

■道端の春。つくし、ハコベにホトケノザ。

道端は、もうすっかり春のにぎやかさなのである。

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■つくし(土筆) :トクサ科の多年生シダ植物。

実は、つくしが生えているのを意識して見たのは初めて。少なくともガキの頃は草むらで遊んでいたはずなのだが、あまり記憶に無い。

よく見れば道端のいろんなところに生えていて新鮮な驚きを味わう。

2008_03_23___01
電信柱の根元にも。

「つくし」自体は胞子茎というものだそうで、それが枯れると光合成を行なう’スギナ’が生えてくるらしい。

上の写真では早くもスギナがわさわさと生え始めている。

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■ナズナ :アブラナ科 ナズナ属 別名、ぺんぺん草。

セリ、ナズナ。ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ。

スズナ、スズシロ。

言わずと知れた春の七草のナズナである。

馴染み深い草だけれども、逆さにしてシャラシャラ音をたのしむという遊びをした記憶は無い。

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■ハコベ : ナデシコ科ハコベ属の2年草。

これも春の七草、ハコベラ。

花径5mm程度の可憐な花である。

3月初旬に撮影した「コハコベ」(下の写真)と同じ草かと思っていたが、コハコベの茎が紫色がかっているのに対し、このハコベは緑色。茎が緑色の「ミドリハコベ」はオシベが8~10本。この花のオシベは3本であることから、たぶん「ハコベ」なのだと思われる。

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■「コハコベ」3月4日撮影。

2008_03_23__01_
■ハナイバナ :ムラサキ科ハナイバナ属の一年草。

ハコベにまぎれてひとつだけポツンと咲いていたのだが、思わず見落としそうになってしまった。

花径2mm程度の小さな花。

葉と葉の間に咲くことから「葉内花」と呼ばれるようになったらしい。

キュウリグサという花とよく似ているが、花の中央部の「りん片」という部分が黄色であることで見分けられるそうである。

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■ヤハズエンドウ :マメ科ソラマメ属 別名カラスノエンドウ

赤紫色が緑に映える。

ハコベやナズナにくらべて極めてセクシーである。こんな女性に言い寄られたら思わずよろめいてしまいそうだ。(あくまでも妄想、妄想。)

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この個体は葉が細いのでホソバヤハズエンドウか?

と思ったが、「ホソバ(細葉)」は葉の先が凹まないらしいので、これもヤハズエンドウのようである。

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■ヒメオドリコソウ :シソ科オドリコソウ属の一年草。

変ったホトケノザだなぁと思っていたら別の草であった。よく見れば、葉のつき方も花のつき方もまったく違う。

ホトケノザのような奔放さは無くて、おしとやかな雰囲気を漂わせる花である。

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■ホトケノザ :シソ科オドリコソウ属の一年草。

こちらが本物のホトケノザ。

とはいっても、春の七草の「ホトケノザ」は別の「コオニタビラコ(子鬼田平子)」という草で、とてもややこしい。

茎の周りをぐるりと一周する葉が仏様が座っている台座のようであることから「ホトケノザ(仏の座)」という名がついたらしい。

最近知った花なのだけれど、実はあちこちの空き地でわんさか咲いているのに改めてびっくり。花をつけるまでは、なかなか目にとまらないものなのだ。

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■ホトケノザが群生しているあたりにわらわらとハナホシテントウがおりました。

かたまって冬を越した成虫たちが春の陽気に目を覚ましたのだろうか。

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■よく分からない4弁の黄色い花。

もう少し腰を入れて調べてみよう。

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■道端に拡がるオオイヌノフグリの群生。

地べたにしゃがんで眺めると、そこには別世界のような美しさがある。

電車の時間を気にしながら足早に通り過ぎていくときには決して現れない、今まで気づくことのなかった世界がひろがっている。

時間を気にしない道草ほど贅沢なものはない。

                         <2008.03.26 記>

  
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2008年3月24日 (月)

■『鹿男あをによし』 最終回。テレビドラマの悩ましさ。

今シーズン、存分に楽しませてくれたドラマ『鹿男あをによし』が終了した。

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■原作の良さも当然あるのだろうけれど、えー、どうなちゃうの?というハラハラ、ドキドキにあふれたドラマの王道をいく作品であった。

その見るものを強く引き込む力は、映像の見せ方や音の入れ方を含む、飛びぬけて素晴らしいテンポと間によるものであったとおもう。

■その頂点は第9話のラスト、三角縁神獣鏡が小治田教頭の悪あがきで奪われ、手に入らぬものならば壊れてしまえと走ってくる列車に向けて投げられたその場面。

逆光の中へジャンプ一発、神獣鏡をあぶないところでキャッチして小治田教頭(児玉 清)を追ってきた小川先生(玉木 宏)と藤原先生(綾瀬はるか)の向こうにトンっと着地する’鹿に乗った’堀田イト(多部未華子)

えっ!?と驚く「間」を十分にとった上で

「先生、マイ鹿です」。

決まった!

その気持ちよさに思わずガッツポーズをしてしまった。

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■けれど同時に不安になったのは、そのクライマックスを第9話にもってきて果たしてどうなる最終回、という、そこである。

この後の儀式に波乱があるのか、はたまた意外な真相が?と最終回の盛り上がりに心配をしたのだけれども、ある意味その不安が的中しまった。

■儀式はつつがなく執り行われ大震災の危機は去った。

けれど鹿男・小川を待ち受けていたのは「願いはひとつしかかなえられない」という鹿のことば。

’しるし’をつけられた鹿の顔をもとに戻せるのは小川先生か堀田イトかのどちらか一人。そんなバカな、というのが最後の波乱。小川先生は堀田の顔を元に戻すことに決め、自らは鹿の顔を背負って生きていく道を選ぶ。所詮ついてない俺の人生だ・・・。

■結局は、そんなのはおかしい!と鹿に詰め寄った藤原先生が小川先生の顔を元に戻す方法を聞き出すのだが、その方法が最終回を盛り上げる、・・・はずであった。

日本を未曾有の危機から救いながらも、結局は’ついてない’俺なのだと失意を背中に滲ませながら奈良を後にして列車に乗り込む小川。その目の前に堀田が突然現れ乱暴に引き寄せキスをする。

小川先生の顔を元に戻す方法とは人間の顔に戻った’鹿の使い番’が’鹿の運び番’にくちづけする、というものだったのだ。

先生なら、ま、いいか、と思って。

去り際の列車という舞台設定もあいまって、なんとも甘く切なくイイ感じ。いらぬ説明を廃して描かれる不器用な堀田の思いにキュンとくる。

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ああ、これだけで十分なのに。

綾瀬はるかの藤原先生は「常識」を打ち破るいい役柄であったのだけれども、「小川先生との恋の行方」というラブコメとしてのサブストーリーが最後の最後に仇となる。

小川先生と藤原先生のラブラブ話がかぶってしまって、堀田イトが最後に見せるせっかくのいいシーンがすっかりぼやけてしまうのだ。

非常に残念である。

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■読んではいないのだけれども、原作では藤原先生は妻子持ちの25歳の男という設定らしい。

決して原作至上主義ではない。

実際、綾瀬はるかの藤原先生は、歴史の薀蓄を語り始めると相手が聞いていようがどうしようが関係なくどこまでもしゃべり続ける感じだとか、話題がポンポン飛ぶのだけれどいつのまにやら帳尻が合っている不思議なしゃべり方だとか、狂言回しの役どころとして最高にはまっていたキャスティングだと思う。

けれど綾瀬はるかと玉木宏をならべればどうしても恋愛を期待してしまうし、ドラマとしてもその期待を裏切るわけにはいかないのである。

■主となる視聴者を考えたとき、その視聴者の嗜好とは関わりなく、テレビドラマとしては恋愛の要素を外すことは出来ない。

昨シーズンの月9、『ガリレオ』は科学推理サスペンスという枠組みを思い切って捨て去りラブコメとして割り切ることで発展的解消を狙った作品であった。

月9なのだから当然ともいえる思い切りだし、趣味ではないが割り切ればそれなりに楽しめた。

だが如何せん『鹿男』は作品自体が完成しすぎていてそのしわ寄せが最後に噴出したというところなのだろう。

そこは片目をつぶってやり過ごすのが大人の見方なのかもしれないが、視聴率がさほど稼げなかったという結果をかんがえると最後まで作品としてこだわりきって欲しかった。

そういう無いものねだりをしたくなるほどに『鹿男あをによし』は映像作品として質の高い素晴らしいドラマなのであった。

                             <2008.03.24 記>

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■威厳と思いやりにあふれた’リチャード’を演じているときの児玉清は「児玉清節」炸裂で楽しかったのだけれども、化けの皮が剥がれたあたりからちょっと無理が見えてしまったのが残念。

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■こいつが鍵を握っていそうだと思わせておいて全く関係ない、という面白い役柄を演じた佐々木蔵之介のとぼけた感じ、よかったなー。

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■原作 『鹿男あをによし』
■万城目 学■
★★★★ (54件のレヴュー)
 

■『鹿男あをによし』 オリジナルサウンドトラック
■音楽 佐橋俊彦■
■テレビドラマと思えないスケールの大きなかっこよさ!

★★★★★(8件のレヴュー)
 

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■鹿男あをによし DVD-BOX ディレクターズカット完全版
★★★★★(26件のレヴュー)
   

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■関連記事■
■ドラマ『鹿男あをによし』。ゴージャスな馬鹿バカしさが「グーっ!」なのだ。

■過去記事■
■TVドラマ雑感・バックナンバー

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■キャスト■
小川孝信(鹿男)     … 玉木 宏
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藤原道子(歴史教師)  … 綾瀬はるか
福原重久(美術教師)  … 佐々木蔵之介
長岡美栄(マドンナ)   … 柴本 幸
堀田イト(謎の生徒)   … 多部未華子
小治田史明(教頭)    … 児玉 清
  * * * * * *
鹿(声)   … 山寺宏一
鼠(声)   … 戸田恵子
  * * * * * *
オープニング・ナレーション …中井貴一
   

■スタッフ■
原作 万城目 学「鹿男あをによし」(幻冬舎刊)
脚本 相沢友子(『恋ノチカラ』ほか)
演出 鈴木雅之(『HERO』ほか)
    村上正典(『1リットルの涙』ほか)
    河野圭太(『古畑任三郎』ほか)
    土方政人、村上嘉則
音楽 佐橋俊彦
制作 フジテレビ 共同テレビ
  

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■筋を曲げない。『プロフェッショナル・仕事の流儀』 サッカークラブGM・祖母井 秀隆。

今回のプロフェッショナルは、サッカークラブ ゼネラルマネージャーの祖母井(うばがい) 秀隆さん。

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■信頼の上にこそ、組織は輝く・サッカークラブGM・祖母井秀隆
<2008.3.4 放送> (番組HPより)

■「男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」と言ったのはフィリップ・マーローだが、祖母井さんはそういった男の風格を感じさせる人だ。

■サッカークラブのゼネラル・マネージャーという仕事についてはあまりよく知らなかったのであるが、選手・監督・コーチの人事権を持つ権力者であると同時にチームの運営、練習場の手配、選手の育成計画や日々の躾からチームの広報戦略に至るまで。要するに何でもこなすスーパーマンなのである。

祖母井さんのデスクの脇のスグそばに置かれたシュレッダーがその業務の膨大さを物語る。

判断すべきことは山積み、しかも刻一刻と状況は変化していく。

終わったことはバリバリとシュレッダーにぶち込んで忘れていかないと、とてもやっていけないのだろう。

冷徹、というよりはむしろ熱血で、人一倍ものごとにコダワルからこそ無理やりにでも次へ前へと進むために必要で象徴的なツールであるようにみえた。

■その熱さは生まれながらのものなのだろうけれど、ジェフのGM時代にオシム監督と過ごした時間がその’熱さ’をさらに強いものとしたに違いない。

ジェフとの契約書にサインしようとしないオシムはこう言ったという。

「契約で仕事をするんじゃない。お前を信用するから仕事をするんだ。」

こんなことを言われれば誰だって燃えてくるだろう。

■・引いたところから温かく見守る。

・「競争」を持ち込むことで組織を強くする。

・言葉だけじゃなく、現場と行動をともにする。

・信じることが選んだものの責任。

そういった「流儀」のひとつひとつが胸に響くが、特に

・筋を曲げない。

という信条が強くこころに残った。

■選手ひとりひとりに心を開き、信じる。

そのこと自体はリーダーとして一番大切な部分だと思うのだけれども、幾多の選手、さらには監督、オーナー等などと世界を拡げていったとき、そこには必ずといって強い不整合が発生するものである。

しかも具合が悪いことに、それぞれがいちいちもっともな主張だったりするわけで、そうなるとまとめ役は右へ左へと振り回される。

祖母井さんのような大きな組織をまとめる立場でなくても、それは、そこここの現場でしょっちゅう起きていることだし、自分自身、よく巻き込まれる事態である。

■そんなときに「筋を曲げない」が必要となる。

自分の基準をしっかり持ち、それに従う。ということである。

右へいくべきか左へ行くべきか、どちらももっともなのだけれど、今すぐに決断しなければならない。

そこで、うだうだと判断を先延ばししたり、しょっちゅう意見を翻したりしない。

当たり前のようでいて、これがなかなか難しいことだと思う。

つまりは「責任を負う」ということ。その「覚悟」をもっている、ということだ。

たとえ、それが結果としてうまくないものであったにせよ、あの人には信条があってたやすくなびかない、という見方は、まわりの人間からの信頼を生み、育んでいく。

■けれども、そのためには「タフ」であるだけでは駄目で、まわりの人間ひとりひとりに対する「尊重」が必須の条件となる。

「優しくなければ生きていく資格はない。」

のである。

■祖母井さんの「流儀」が組織をまとめ、強くしていく上で常に最上のものかどうかは分からない。

ものごとに正解が無いように、最上の流儀などというものは存在しないのだろう。

けれど、男の背中として、ひとつの理想型であることに間違いはない。

果たして自分に背骨はあるのか。

                           <2008.03.24 記>

■『 祖母力 うばぢから 』 オシムが心酔した男の行動哲学
■祖母井 秀隆 著■
<Amazon評価>
★★★★☆(7件のレヴュー)
 

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *

過去の記事■『プロフェッショナル・仕事の流儀』

■『プロフェッショナル・仕事の流儀』番組HP

■茂木健一郎さんのクオリア日記にT/Bさせていただきます。

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■サクラ、サク。

チビすけを連れて散歩に出たら

サクラの花がちらほらと開き始めていた。

見ごろは今週末くらいかな。

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                        <2008.03.23 記>

  
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2008年3月21日 (金)

■【映画】『妖怪大戦争』。バカを言っちゃいけない、戦争なんか腹が減るだけです。

腹をかかえて大笑いできる最高の娯楽映画なのだけれども、その底には深くシブトイ思想が流れている。子供だましと侮ってはいけないのだ。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.12  『妖怪大戦争
          監督: 三池崇史  日本公開:2005年8月
      出演: 神木隆之介、宮迫博之、豊川悦司 他

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■「その夏、僕はまっ白な嘘をついた」

なーんて品のいいキャッチ・コピーにつられて、’少年が体験する夏の思い出’的な映画だと思って見ると肩透かしをくらうに違いない。

確かにそれが物語の軸を形成しているのだけれども、この映画の魅力はむしろ、その「いわゆる物語的流れ」を逸脱し、隙あらばそれをひっくり返そうとする「もう、無茶苦茶でんがな」的展開にある。

人を驚かしては、「いーっ、ひっひぃ」と影で笑うのが妖怪の本分だとするならば、けだし、それも当然のことなのかもしれない。

見るものがそこを愉しめるかどうかで評価が大きく分かれる。『妖怪大戦争』というのは、そういう映画なのだ。

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■ストーリー■

今年10歳になるタダシは、両親の離婚により母と鳥取にやってきた。しかし都会で育ったもやしっ子のタダシはクラスメートにもいまいち馴染めない。そんなある日、夏祭りで「世界に平和をもたらす正義の味方」麒麟送子に選ばれたタダシは、なんと妖怪の姿が見えるようになってしまう。

同じころ、人間に深い恨みを持つ魔人・加藤保憲は、捕獲してきた日本古来の妖怪と人間に打ち捨てられた機械の怨念を混ぜ合わせ、新種の悪霊である“機怪”を作り出し、世界壊滅を目論んでいた…。果たしてタダシは日本の妖怪軍団と力を合わせて世界を救うことができるのか!

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DVD 『妖怪大戦争』
★★★  (38件のレヴューがあります)

■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■日本の妖怪たちのとぼけた味がなんとも絶品である。

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妖怪たちのまとめ役的立場の猩猩を演じる近藤正臣、河童の川太郎を阿部サダヲ、油すましは竹中直人、そして日本妖怪の大御所ぬらりひょんを忌野清志郎。

個性あふれる面々が特殊メイクで誰だ誰やら分からん状態で集う「妖怪会議」のシーンが面白い。

■猩猩や川太郎が、魔人・加藤のたくらみを打ち砕くべく力を合わせて戦おうと旗を振るのだが、妖怪たちは戦うことにまったく興味なし。いやー、俺はちょっと、とかなんとかいってみんな後ずさりしながら逃げていく。

結局、残っているのは猩猩とその仲間の川太郎と川姫(高橋真唯)だけ。

と、思ったら小豆洗い(岡村隆史)がポツンと残っている。

■「お前、いいやつなんだなぁ~」、なんて川太郎に感激されてしまっては今さら足が痺れて立てなかっただけだなんて言えないじゃん。

という岡村隆史のほとんどセリフなしでの演技がツボにはまってしまった。

そもそも、ざるでシャカシャカ小豆を洗う音をたてるだけの妖怪がついていって一体なんの役にたつのか?という話である。

実はそこがラストの伏線になっているとは考えも及ばない、というか及ぶはずがない(笑)。

■そういったとぼけた妖怪たちに対して、魔人・加藤保憲(豊川悦司)とその僕(しもべ)である鳥刺し妖女アギ(栗山千秋)は真剣だ。

加藤の根っこの部分には虐げられた日本の先住民の怨みがこもっているという設定なのだから、おちゃらけるわけにもいかないのである。

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■栗山千秋は自称アニメ、SFオタクだそうで、この役も結構楽しんだに違いない。

そういった「背景のある『悪』」というのは女性にとってよっぽど魅力的なものなのか、栗山千秋演ずるアギは加藤にゾッコンで、アギの真剣さの源泉はそこにある。

けれど大抵の場合そういう恋慕が実ることは無く、見ていて結構切ないものがある。

おちゃらけだけでなく、そういうところもしっかり描きこんでいるところが映画全体に深みを与えているように思える。

人間(?)的な感情に従って動くアギを描くことで、純粋であるが故に冷酷な「悪」としての「加藤」の輪郭がはっきりと見えてくるという効果もあるだろう。

■一方、人間としての視点は怪奇雑誌の編集者である佐田(宮迫博之)の目で語られる。

今、現在進行形で空想と現実の狭間に生きるタダシより、その感覚を記憶の奥に微かに感じる佐田のほうが、誰の心にもある、草の匂いとか水溜りの匂いとか、そういったものが混ざり合った「何か」をその感覚に思いおこさせ、妖怪の世界をよりリアルに感じさせるのだろう。

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佐田が少年時代に川で溺れかけたときにその命を救った妖怪・川姫。

そのときの川姫の肌のぬらぬらとした、少年らしからぬ猥雑さをも含んだその感覚が佐田の記憶の奥底で疼いている。

このあたりは映画という表現手段ならではの部分で三池監督の技がもっとも冴えるところである。

いや、正直、年甲斐もなくドキドキしてしまいました。

■『妖怪大戦争』といえば、バックベアードを首領とする西洋の妖怪軍団をゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちが迎え撃つという80年代のマンガ映画を思い浮かべる世代である。

米ソ冷戦の時代。

何事も、平和を脅かす「悪」と戦う「正義」との「対決」の構図で捉えることのできる時代であったように思う。その流れの中で違和感無く、この勧善懲悪の物語を受け入れていたように思う。

けれど原作者の水木サンにとってそれは忸怩たるものであっただろう。鬼太郎とは本来、’朝は寝床でぐぅ、ぐぅ、ぐぅ’というダラけたもので、「正義」とは無縁の存在であるはずなのだ。

冷戦が終わり、民族とか貧富の格差だとか、そういった’政治’と言ってしまうよりももっと身体感覚に近いところで分断が生まれ、善と悪との境界線が見えづらくなってきたこの時代。そこで今回の『妖怪大戦争』が撮られたことに何らかの時代的な意味を求めるのは考えすぎだろうか。

■この映画には「プロデュースチーム『怪』」として、宮部みゆき、京極夏彦、荒俣宏、そして水木しげる御大が参加している。

単に妖怪の描き方の質が高いというだけでなく、それぞれの作家の世界観が物語の各断面に現れていて面白い。

その中で、やっぱり、しみじみした気分にさせるのが、水木サン自身が登場するシーンである。

■加藤とタダシたちの戦いが、どう伝わったものやら、「東京で盛大な祭りをやってるらしい」と聞きつけた日本全国120万もの妖怪たちが一気に押し寄せ、その混乱の中で加藤の野望は(しょーもないことで)打ち砕かれる。

それを遠巻きに見ていた妖怪大翁(水木しげる )と従者。

従者 「今回は勝てました」

妖怪大翁 「バカを言っちゃいけない、ケンカなんか腹が減るだけです。」
 

それを「戦争なんて腹が空くだけだ」と読み替えたとき、己のタダシさを声高に主張することのアホらしさが沁みてくる。

こういった戦争体験世代の声は幾百幾千の論より遥かに重い。

                            <2008.03.21 記>

DVD 『妖怪大戦争』
★★★  (38件のレヴューがあります)
     

■関連記事■
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■Nスペ 『鬼太郎が見た玉砕』。戦争の不条理。TVドラマの枠を逸脱した10年に一度の傑作。
   

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■STAFF■
監督・脚本 : 三池崇史   三池崇史監督作品を検索
脚本 : 沢村光彦、板倉剛彦
撮影 : 山本英夫
特殊メイク  : 松井祐一
加藤保憲/アギスタイリスト:北村道子
美術:佐々木尚
美術デザイン:百武朋、井上淳哉、竹谷隆之、韮沢靖
造形:松井祐一、百武朋
音楽:遠藤浩二
プロデュースチーム「怪」:水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆき

   
■CAST■

稲生タダシ/麒麟送子    :神木隆之介
佐田(雑誌「怪」編集者)  :宮迫博之(雨上がり決死隊)
稲生俊太郎(タダシの祖父):菅原文太
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
猩猩           :近藤正臣
川姫           :高橋真唯
川太郎        :阿部サダヲ
一本だたら  :田口浩正
小豆洗い     :岡村隆史(ナインティナイン)
大首           :石橋蓮司
ぬらりひょん :忌野清志郎
油すまし      :竹中直人
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 
「怪」編集長                   :佐野史郎
宮部先生                      :宮部みゆき
読書好きのホームレス     :大沢在昌
山ン本五郎佐衛門          :荒俣宏
神ン野悪五郎                 :京極夏彦
妖怪大翁                       :水木しげる
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
鳥刺し妖女アギ               :栗山千明
加藤保憲                        :豊川悦司

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2008年3月17日 (月)

■金曜ナイトドラマ 『未来講師めぐる』 最終回。「見える」未来より、いま信じる未来。

クドカンは笑わせるのがうまいのだけれども、そのおふざけのなかで唐突に「いい話」をやりだすのがいい塩梅で、「あたたかくて、ちょっと変な」クドカン節を最後まで安心して楽しむことができた金曜の夜なのであった。

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■最終回(第10話)のハイライトはやっぱり「拡声器で深め合う家族の会話」だろう。

「あなたのやるべきことは何ですか?」と塾講師としての誇りをもってめぐるから突きつけられた父の’はまる’は、そこで父親としてやっと目覚め、義理の弟・永作がめぐるのおじいちゃん・中吉と永作自身の息子・シンゴを人質に立てこもる「丸顔食堂」へと向かう。

「身内でなんとかしよう」とめぐると相談していたにもかかわらず、やることなすことどうしてもゴージャスになってしまう’はまる’は、拡声器(笑)を使って義弟・永作に投降を求める。

ところが話しかける相手が途中からおじいちゃんに切り替わり、いままですみませんでした。一緒に暮らしましょう、お義父さん!と長年避け続けてきたわだかまりを乗り越え、思い切って正面から語りかける。

言っている内容はすごくしみじみくる真面目なものなのだけれども、拡声器を通したとたんに不思議なおかしさが込み上げてくる。

クドカンはやっぱり上手い。

実はその時おじいちゃんは「ぢい散歩」に出たあと、いつものクセで自宅に戻り、縁側で何事も無かったかのようにお茶をすすっているというオチがつくわけで、決して単純には終わらせてくれないのである。

この二の矢、三の矢とつづく連続攻撃もまたクドカンらしい。

■前にも書いたけれども、連続ボケの後に必ず癒しがくるところがクドカンの一番クドカンらしいところであると思う。

第9話の最後の方で、「20年後のユーキくん」にそっくりな刑事(田口浩正)がめぐるに語りかけるセリフが実にいい。

■似てる人じゃダメだよ。本人じゃなきゃ。

目に見えたら、たとえ「未来」でも現実だ。

でも「見えない未来」には希望がある。

その希望の象徴が20年後のユーキ君であり、私なんですよ。

言ってること、分かりますか?
   

だが、「私」は現実だ。

現在ここにこうして存在している私は、あなたに希望を与えることはできない。

分かりますね。
  

未来のユーキ君に会う楽しみは「未来」にとっておくべきじゃないのかな。

それが生きるってことだと思いますよ。

■ここまで「かっこいいユーキくん」の20年後の’ぶよぶよのずるむけ’に甘んじていた田口浩正、一世一代の見せ場である。

こういうところに脚本家としての宮藤官九郎のやさしさがにじむ。

ドラマ終盤で「異物」として現れる’めぐる’の叔父・永作。

予知能力をもたないくせに予言者として新興宗教の教祖に収まっている永作は、’めぐる’の能力を狙うのだけれども、そんな最低、最悪の役柄にも「ちょっといい話」を配することを怠らない。

■「丸顔食堂」主人のおふくろさんがガンの末期症状で医師に見放されるような状態であったのに対して、「大丈夫、絶対良くなる。」と断言する。月に一度ほどふらりと現れては「大丈夫。」と断言して帰っていく。

それが、タダ飯にありつく為だったとしても、さらには未来を見通す超能力なんかまったく持っていないと分かっていても、その「大丈夫。」の一言が「丸顔食堂」主人とおふくろさんにとっては生きていく支えであって、実際に病気が治ってしまう。

■クドカンは、そのこころを’おじいちゃん’の口を借りてこう語る。

見えればいいってもんじゃない。

ウソも百回ついたら本当になる。

そして、「わしの20年後はどうみえる?」と息子である永作に聞いてみる。未来が「見える」’おじいちゃん’は自分が20年後には死んでいることが分かっているのに敢えて聞く。

永作は少し困って、「元気なんじゃねーの。散歩とかしてるし。」と決まり悪そうにそっぽを向きながら答える。根は素直でいいやつなのだ。

「見える」未来より、いま信じる未来。

「今」の思いが未来を決める。未来は「在る」ものではないのだ。

そういう大切なメッセージを「悪役」である永作に、しかも直接語らせずにその振る舞いへさらりと巧みに織り込むところがなんともニクい。

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■ユーキ君の後ろで変なお辞儀をしているのが元焼肉屋のオヤジ。

■クドカンは自分の描く登場人物たちを愛しているのだとおもう。それはほんの端役に対しても変らぬもので、いやむしろ「変」な端役にこそ、愛を感じているのかもしれない。

陰気で、もたもたしてうっとおしい焼肉屋のオヤジ。

あのオヤジの「暗い」未来を見せるだけでなく、ユーキくんのホットドック屋台のバイトに雇い、多少は明るい未来を予感させる。しかもラストシーンにまで出てくるのだから、かなり気に入っているに違いない。

■そういった細かいところにまで光をあてるあたたかさがクドカンなんだよなぁ、と思う。久しぶりに堪能しました。ごちそうさま。

                         <2008.03.17 記>

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■DVD BOX 『 未来講師めぐる 』
■続編 『 未来ナースめぐる 』を収録!?■
  

■キャスト■
吉田めぐる   - 深田恭子  次は実写版「ヤッターマン」のドロンジョらしい(爆)
海老沢ユーキ   - 勝地涼   「ハケンの品格」の新人ちゃん。
ユーキ 20年後   - 田口浩正  刑事役がかっこよかった。
  *  *  *  *  *  *  * *  *  *  *  *  *  *
門伝大(塾長)    - 武田真治 って・・・こういう人だったんだ。見直した。
高尾山 登(講師) - 正名僕蔵 クールな中にも熱い魂、青レンジャー(笑)。
江口ヒデオ(講師) - 星野 源 エロビデオってあだ名、スゴイよな。
木村みちる       -黒川智花  「地獄さ落ちろ!」が板についてきたのが恐ろしい
  *  *  *  *  *  *  * *  *  *  *  *  *  *
吉田はまる(父)  - 船越英一郎 相変わらずですな。
吉田愛子(母)  - 榊原郁恵  ちゅーる、ちゅーちゅちゅ。 夏・の・お嬢さんっ♪
吉田永作(叔父) - 橋本じゅん 「栞と紙魚子」でもメルヘンな叔父さんを怪演!
シンゴ(永作の息子)- 槇岡瞭介 ベビースター・ラーメン。
シンゴ 20年後      -  荒川良々 近々映画で主役を張るらしい。
  *  *  *  *  *  *  * *  *  *  *  *  *  *
吉田中吉(祖父)        - 地井武男  ぢい散歩。徘徊ともいうらしい。

  
■スタッフ■

脚本:宮藤官九郎   次回、映画 『カムイ外伝』! DVD:’宮藤官九郎’で検索
演出:唐木希浩     「雨と夢のあとに」「てるてるあした」            
    高橋伸之    「てるてるあした」「アンフェア」
音楽:野崎良太(JAZZTRONIC) CD:’野崎良太’で検索

  
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■主題歌:やなわらばー 『サクラ』(初回限定盤)(DVD付)
■きれいな歌だよね。

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■♪わたしたち、・・・、づらアカデミー、わたしたち、・・・、づらアカデミ~♪
・・・歌いにくい(笑)。でも、武田真治のハイテンションは最高だった!

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■関連記事■

■金曜ナイトドラマ 『未来講師めぐる』。クドカン節、炸裂。
■『未来講師めぐる』第3話。黒川智花の参戦で一気にブレイク!
  

■『未来講師めぐる』番組HP
     

■過去記事■
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2008年3月13日 (木)

■広川太一郎さん、逝く。

広川太一郎さんといえば、ロジャー・ムーアとかロバート・レッドフォードとかの二枚目俳優の渋い声をあてたりしていたわけだが、やっぱりわたしの中では、

「のんのーん!」

と、鼻の上のほうから抜けるような「スノーク」の声なんだよな。

とかなんとかいっちゃったりなんかして、もー・タ・イ・ヘ・ン。ってな具合の軽妙な語りがもう聞けないと思うとほんとうに寂しい限り。

心よりご冥福をお祈りします。

                          <2008.03.12 記>

■広川太一郎さんが活躍された作品
   

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■無意識にインプットされる風景。『爆笑問題のニッポンの教養』 連想情報学、高野明彦。

今回のテーマは、検索エンジン。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE030:「検索エンジンは脳の夢を見る」 2008.3.4放送
国立情報学研究所 連想情報学研究開発センター長 兼
東京大学大学院情報理工学系研究科教授 高野明彦。

■もうGoogle無し、Wikipedia無しでは生きていけない。

あるコトバがこころに引っかかったとしてもググれば何かしらの答えを得ることが出来るし、そのコトバの前に’Wiki’とつければ魔法のように知りたいことが即座に分かってしまう。

■太田はそういった自分自身のGoogle・Wiki依存生活に強い危機意識を感じている。知識をアタマにインプットしなくなる、というのだ。

すでにワープロ依存症で「漢字を書く」という能力を失って久しいが、実はもう「知識を蓄える」能力までも失いつつあるのかもしれない。

その心配が確かなものかどうかは分からないが、「コピペで作られた情報に対しては想像力が拡がらない」、「アタマに留めるものが細切れで断片的であり、文脈がない」という高野先生の見方にはうなづけるものがある。

■ここで終わってしまってはただのボヤきに過ぎないのだけれども、そこでその状況を打開するアイデアをカタチにしてしまうところが高野先生の凄いところである。

無意識も含めた’アタマ’が「検索」する実際の構造を「検索エンジン」に組み込んでしまったのだ。題して「連想検索」。

■新書マップ[連想検索]

■上の「新書マップ」というリンクを開いてみる。

試しに左上の「キーワードか文章を入力してください」という欄に’話し方’と入れてみると、なにやらぐるぐるまわって、’話し方’を頂点にして円の内側と外側に「キーワード」がならぶ。

ひとつの「言葉」に触れると、ぼやん、とまわりの「言葉」が反応する。

どうやら、円の内側の「言葉」は’話し方’から連想されることばで、逆にその連想された「言葉たち」から連想される’話し方’と並列な関係にあることばが、円の外周に配置されるようである。

どうでもいいが、円の内側の「言葉」で’話し方’に一番近いのが’バカ’というのが意表を突いていて面白い。「新書マップ」だけに、「バカの壁」の影響があるのだろうか、それなら’品格’があっても良さそうなものだが・・・。

■それはさて置き、この検索エンジンの狙いは「情報が景色のようにやってくること」。

従来の検索エンジンは注目している「言葉」から直列的に(或いは芋づる的に?)情報を引っ張り出してくるけれど、「連想検索」では注目していない「背景」も見せるというところがポイントなのである。

■人間のほとんどの行動は、実は0.5秒前に無意識のうちに決定されている。

自分があまり意識していないまわりの景色のさまざまな情報から必要な判断を半ば自動的にこなしてしまう。そういう仕組みになっているのだ。
[参照方:関連記事 ■ 『マインド・タイム』 身体は意識より0.5秒先行する!?

とするならば、大切なのは「無意識にインプットされる風景」であり、つまりは注目している言葉そのものよりむしろその言葉の背景に漫然と拡がっている「言葉のちらばり」の方が重要だったりするわけである。

■そこに現れる景色は「書店」そのものである。

Amazon.co.jpで次々に紹介される「この商品を買った人はこんな商品も買っています」に引きずられてサイバー・ジャングルをさ迷い歩く夜とは似ているようでいて実はだいぶ違う懐かしい時間。

とくに何かあてがあるでもなく、売れている本のコーナーを物色するというよりは、紀伊国屋とかちょっと大きめの本屋でふらりふらりと、心理とか自然とか航空機とか、そういった定まったジャンルの棚からまた違った次のジャンルの棚へと渡り歩く感じ。

その漫然とした感覚のなかで、あっ、と思える本に出会う。

その高揚した気持ちは、やっぱりアマゾンでは味わえない。

■今、ある本にとめている視線のまわりでぼんやりと存在している背表紙たち。その佇まい、その匂い。

ネット空間は無尽の広さを誇れどもアクセスするのは所詮ブラウザに表示された一枚のページに過ぎない。

その意味では、その瞬間、瞬間において、「現実世界」の方が圧倒的に情報量が多いのであるし、人間はそれだけの情報量を、無意識であるにせよ、把握する能力をもっているのだ。

高野先生の連想検索はその人間が持つ無意識の能力を活かしながら、どうやって無限に拡がるネット世界を把握するか、という試みなのである。

■この手の話を考えるとき、いつも思うのは現実の体験を持たずにネットの世界に入っていく子供たちのことである。

辞書をめくらず、図鑑を眺めず、そういった面倒な手順や周辺の無駄な情報を一切省き、ネット検索によって切り出された「答え」だけに接していく。

その「理解」の蓄積がいったいどういう思想を育んでいくのか。或いは何も生まないのか。

いやいや、心配ご無用。

ネットにはネットの「匂い」があって、十分に豊かな体験を得られるのですよ、あなたが感じないだけで。

というオチがいちばん しゃくにさわって嫌なのだけれども。

                           <2008.03.12 記>

■電子ジャーナルで図書館が変わる (情報学シリーズ)
■ 高野明彦ほか 共著 ■
    

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■【爆笑問題のニッポンの教養】の本 ■
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■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』
     

■過去記事 [バックナンバー] 一覧■
■爆笑問題のニッポンの教養

  

■関連サイト■
■『爆笑問題のニッポンの教養』番組HP

■想―IMAGE Book Search

■BOOK TOWN じんぼう
神田神保町のオフィシャルサイト
    

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2008年3月12日 (水)

■スペースシャトル・エンデバー リフト・オフ!宇宙における日本の家、「きぼう」組み立て開始。

米東部時間11日午前2時28分(日本時間午後3時28分)、日本人宇宙飛行士・土井隆雄さんを乗せたスペースシャトル・エンデバー(STS-123)がフロリダ州ケネディ宇宙センターから飛び立った。

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■初飛行の97年から11年ぶり2回目の飛行となる土井隆雄さん(53歳)の任務は、国際宇宙ステーション(ISS)へ日本の宇宙施設「きぼう」の第一便となる船内保管室(長さ4.2m、直径4.4m)を組み付け、起動させること。

飛行4日目にロボットアームを操作してシャトル貨物室から船内保管室を取り出しISSへ組み付ける。その後、保管室内に移動して起動操作を行ない、また、次のミッションに向けた下準備を行なう。

なお、次回のスペースシャトル・ディスカバリー(SST-124)には星出彰彦さん(39)が搭乗、5/25に出発する予定。来年春の第三便で「きぼう」は完成する計画となっている。

■土井さんはこのミッションに向けて約1年間、厳しい訓練を行なってきたという。

宇宙に行ってきました、というだけではない、何だか非常に本格的なミッションなのである。

今や日本も宇宙開発の一角をになっているのだと思うと実に感慨深い。

■16日間にも及ぶのタフなミッションをこなして土井さんたちが帰還するのは東部時間26日の午後8時33分(日本時間27日午前7時33分)。

ともあれ、無事に帰ってきてくれることを祈ります。

                            <2008.03.12 記>

■【動画】スペースシャトル・エンデバー(STS-123)打ち上げ成功。(8:50)
      Endeavour Night Launch 打ち上げシーン、夜は夜でカッコイイのだ。

■【動画】エンデバー(Endeavour)から見た地球。(1:32)
             しばらく無音声ですが、1:18から土井さんの交信が入ります。

      
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■ MOON LIGHT MILE 1 <1>
■吾郎みたいな宇宙土木作業技師の時代が遂に日本にも到来したということか。
★★★★ (9件のレヴュー)
 

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■ プラネテス <1>
■「デブリ」除けに張っておきます。土井さん、Good Luck!
★★★★★(51件のレヴュー)

 
■過去の記事■ 飛行機、宇宙の話など  

■NASA×JAXA×Yahoo!動画■
■「きぼう」組み立てミッション・ライブ放映!!■

http://www.tv-bank.com/kibo/

     
■トラックバックさせていただきます■

アーロン卿の日記さんの「米シャトル打ち上げ成功 土井さん2回目の宇宙」
Macky's つれづれ日記さんの「「きぼう」をのせてスペースシャトルが発射!」

    
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2008年3月10日 (月)

■新型クラウン。「超えてゆく、ブランド。」 クルマにおけるブランド・アイデンティティの在り方。

「いつかはクラウン」。

というのは、もはや死語だろうけれども今回のクラウンにはそういった「気持ち」をそそる部分がある。

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■08クラウン・ロイヤルサルーン

■13代目、である。

先代の「ゼロ・クラウン」で野暮ったさを振り切ったクラウンだが、今回のフルモデルチェンジでさらに「スマート」になった印象である。

315馬力のアスリートも気になるけれど、何といってもやっぱりクラウンはロイヤルサルーンの白に尽きる。往年の四角いクラウンの面影はまったく無いのだけれど、何故か「クラウン」だなぁと思わせるオーラがあって、それが不思議な落ち着きを感じさせる。

■高いポテンシャルをもった先代「ゼロ・クラウン」のプラットフォームを踏襲した新型クラウンだが、その「骨格、ハードウェア」に新たな「ソフトウェア」を吹き込むことでアクティブな意味での安全性能(予防安全性能)を大きく進歩させた。

VSCとEPSを中核とした「走る・曲がる・止まる」を統合的に制御するシステム(VDIM)や、NAVIの情報をもとに路面やカーブに最適なサスペンションの硬さを制御したり、高速道路の出入りでのAT変速制御までやってのける賢いシステム(NAVI・AI-AVS)。

その他にもオプションで、レーンキープアシスト、ブレーキ制御付きレーダークルーズ、プリクラッシュセーフティシステム(前突および後突)、居眠り警報、など盛りだくさん。

なんとも華やかで、パワステやらABSやらの装備が一気に進んだバブル期をほうふつとさせるものがある。

■そんな新型クラウンなわけだけれども、今回いちばん気になったのは、そのブランド戦略だ。

’超えてゆく、ブランド。’

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ど真ん中のストレート。

この気持ち良さが何よりも好印象なのだ。

■ブランド力の重要性が語られるようになって久しいが、実際には企業全体のイメージを上げることで商品の「価値」を上げていく、そういうアプローチが多いようにも感じられる。

けれど本当のブランド力というものは、ひとつひとつの商品がこだわってきたその「結果」として生まれてくるものなのではないだろうか。

その企業が育んできた商品の歴史とか、物語とか、そういったものが重なりあって企業のブランドというものが立ち上がっていくのだろう。

■そういう意味で「クラウン」は強靭なブランドであり、「過去を否定するのではなく、過去を乗り越えるのだ」という姿勢( attitude )が滲み出る今回の宣伝戦略はそのブランドの力を最大限に生かしていると感じられる。

大抵のトヨタ車は例のトヨタマークをハナにつけているが、クラウンとかマークX(マークⅡ)のような個のブランドが立っているクルマのエンブレムには決して金太郎飴のような企業のマークを押し付けはしない。

何故ならば、トヨタのブランドを高めてきたのは「いつかはクラウン」と思わせてきた個のブランドそのものだと知っているからだ。

■セドリックだとかグロリアだとかブルーバードだとかサニーだとか自分を育ててくれた、いやむしろ「アイデンティティ」というそのままの意味での「自分そのもの」ですらある商品ブランドを切って捨て、そのうえでブランド・アイデンティティがどうのこうのと偉そうにいう、何か勘違いしているんじゃないの?というどこかの会社とはえらい違いなのである。

グローバルに羽ばたくには「土着のニオイ」はいらない。

そういう思想がそこに透けて見える。

■けれど、自分の生い立ちを消して立ち居振舞う上品さにいったい何の意味があるのだろうか。その本末転倒の無意味さに気付かぬココロは、「何故売れぬ?」という問いの答えには永遠にたどり着くことはないだろう。

ニッポン土着ブランド大いに結構、三河訛りのどこが悪い。

その潔さが共感を生むのだと思う。

そのままの自分であることが一番強いのだ。

                         <2008.03.10 記>

■追記。まったく関係ない話だけれど、昨日のQちゃんの記者会見。北京五輪への道が完全に途絶えた、その記者会見なのにあの人はなんて清々しいのだろうか。マラソンにはあんまり興味が無いのに感動してしまったわい。

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■新型クラウンのすべて (モーターファン別冊 ニューモデル速報)

   
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■過去の記事■ 自動車よもやま話  

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2008年3月 7日 (金)

■すっかり春らしくなってまいりました。

3月に入ってから道端がにぎやかになってきた。

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このあいだ、ぽつんと咲いていたオオイヌノフグリもいつの間にやら仲間が増殖。やっぱりワイワイガヤガヤしてるのは楽しいもんだ。

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コハコベ。茎が紫色のところが特徴。

繊細で可憐な感じがして かわいい花である。

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カタバミも地味に咲き始めた。

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今回はじめて意識した花で、ミチタネツケバナ(路種漬花)というアブラナ科の2年草と思われる。荒れ野にしぶとく咲いている感じがいかにも「雑草魂」っぽくて雰囲気がある。

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こっちはよく分からないのだけれども、ミチタネツケバナの越年したものではないか、と勝手に想像する。花の付き方が面白い。

そろそろホトケノザの綺麗な紫色も、ちらほら見え始めてきて、

いやー、やっぱり春はいいなぁ。と実感する今日この頃である。

                           <2008.03.07 記>

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■柳宗民の雑草ノオト

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■花色でひける野草・雑草観察図鑑

  
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2008年3月 5日 (水)

■そしてお早うの朝はくる。『爆笑問題のニッポンの教養』 宗教学、カール・ベッカー。

今回のテーマは、宗教学。

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■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE029:人生を振り返る  夜  2008.2.26放送
京都大学こころの未来研究センター
教授 宗教学 カール・ベッカー。

■門松は冥土の旅の一里塚

      めでたくもあり めでたくもなし

                        一休

この歌を知っているかどうかは分からないけれども、ベッカー先生は世の中を相対的に捉える日本人の世界観とか死生観といったものに魅かれて日本に渡ってきたのだそうだ。34年前のことである。

日本に来たベッカー先生は病院やホスピスで末期患者と対話することで思索を深め、医療現場におけるこころのケアについて提言をおこなってきた。

そういう背景を知るとベッカー先生のことばの背後に「生」を打ち切られそうになっている人たちの思いが累々と重なっているように思えて、自然と居住いを正している自分がいる。

■しかしながら、ベッカー先生のことばは何故かこころに響かない。

「人間は意味を求める存在である」

というのはその通りだと思うのだけれど、「自分が疑えない、信じざるを得ないもの」を宗教の定義とするその根本的な部分で、ものの捉え方に乖離があるようだ。

■たぶんそれは34年間日本に住んで日本人と生活していても変わることのない根底の部分での差異なのだろう。

太田も、そしてたぶん田中もそれを感じていて、いや、むしろ、ふたりがそう感じたことがテレビのこちら側に伝わってきたのかもしれない。

ベッカー先生が、「幸、不幸のある世の中の不公平さ」と「人生の意味」を重ねようとするとき、太田は、ひとりとして同じ人生は無いわけで、そこで(他の人と比べて)一緒にする意味が分からない。不幸なやつは不幸な人生だし、幸福なやつは幸福な人生って、それだけの話じゃあないですか、と若干べらんめぇ調で反論するその表情は、あたかも立川談志師匠がのり移ったかのような風で、なるほどと正鵠を射ているように感じられた。

もちろん、どうしても他人様と自分とを比べてしまうのが人間なのだけれども、と同時に、こころのどこかで、まあしょうがないや、と受け流してしまうところが日本人なのだと思う。

■旧約聖書の中で、律法のままに正しく生きてきた鏡のように曇りの一点も無い男が不幸のどん底に落ちる話がある。

その男のもとに賢者が訪れ、お前は正しく生きたように見えるが、今、不幸に堕ちているからには何か原因があるに違いない、という。

「正しく」生きてきたのに、これ以上どうすればいいのだろうか。と、男は救いようの無い苦悩を抱えるのだ。

■神は何故そのようなことをなさるのか。

いや、人間にはどうにもならない矛盾があるからこそ、唯一絶対の神なのである。

「自分が疑えない、信じざるを得ないもの」とベッカー先生がいう、その定義そのものが唯一絶対神を前提にしたものではないのか。

爆笑問題のふたりとベッカー先生の会話は、分かり合えているようでどこか違和感がある。

■番組も終盤でそれがあらわになった。

ベッカー先生は「死」が怖くない、というのだ。

瞬間、その意味が分からない。その意図を探ろうとするのだけれど、どうやら本当にそう思っているらしい。

この番組の収録にも終わりとなる時間がある。その時間を意識したときに、今のこの一分、一秒が貴重でとても大切なものと思えてくる。

それと同じように、「死」を意識して、自分の人生にも「終わり」があるのだと理解したその瞬間に、そのひとの生き方は懸命なものになる。

そのベッカー先生の考えは、黒澤明監督が『生きる』で描きだしたテーマとして我々に重く深いものを投げかけてくるものだし、ベッカー先生と語り合ったであろう何十人何百人の末期患者たちを想起するに、それが『現実』としてさらに深く、突きつけられる。

『死』を前にして多くの日本人は自分の根底を語り出す。

実際の体験に裏打ちされたベッカー先生のその言葉は確かに真実なのであろう。

■それでも私には分からない。

自分が死ぬと確信する場面に出くわしたことがないから『自分の死』というものにリアリティーが圧倒的に欠けているのである。

分からない。

だから、『死』は怖いし、恐ろしい。

■いつかは確実に私は、死ぬ。

そんなことは誰でも知っている。

けれど、それを受け入れ、ましてやそれによって人生の有限性に気付き、懸命に生きるようになるなんてことが、実際の死に直面せずに可能であるのか。

■死が怖くはないのか?という田中の問いかけに、ベッカー先生はこう答えた。

「死では終わらないと思っているから」

それは、苦しんでいた患者さんが、死に際にふっと穏やかな表情になって虚空の何かを見つめていた、といった体験によって補強されたにせよ、先生の心の本当の奥底で「絶対的な存在」を信じているからこそ、そう思えるのではないか。

人の道から外れてしまったこと、人の気持ちを傷つけたこと、そして、自分が生きているというだけで知らず知らずに犯してしまっている幾多の罪。

正しく生きようとしても人間である限り逃れることのできないそれらの罪を、死の場面において、不条理や矛盾を遥かに超えた存在である「唯一絶対の神」に許されること。

むしろ、末期患者が見せる表情の穏やかさにそれを見たのはベッカー先生、あなた自身ではななかったのか。

■冒頭に紹介した一休さんの歌は、死はすぐそこにあるのだよ、あなたは否応なく確実に一歩一歩そこに向かって進んでいるのだよ。と、正月の浮かれた気分に水を差すものだ。

けれど、その一休さんをもってしても死の間際に至って、「死にとうない!」といったという。

その真偽はわからないけれども、「死」というのはあくまでも受け入れがたいものなのだという意味でこころにストンと落ちる話である。

四季のある、豊かな自然のもとで八百万の神とともに生きてきた我々日本人にとっての「死」とは、あたかも花が散っていくように、消えてなくなってしまうものなのではないだろうか。

我々はそこに無常をみる。

だからこそ、生きていることは美しく、素晴らしい。

そこに絶対的神を畏れ、許しを請う西洋人と、自然の流れの中に自分自身をみる日本人との決定的な違いがあるのだとおもう。

■もちろん、30年以上も「死」の現場に立会い、深く思索を続けてきたベッカー先生をつかまえて、こともあろうに「典型的な西洋人」という単純な枠組みで捉えようとする私の見方は極めて不遜であり、むしろ、ベッカー先生がその体験による深い思索の果てにたどりついた領域の影すら見ることの出来ない、そんな己の未熟さを露呈しているだけなのかもしれない。

けれども、自分なりに「死」について考える切っ掛けを持つことが出来たことは無意味ではないだろう。

ベッカー先生も言っていたが、一般論を扱う哲学とは違って、死生学というものに一般的な答えなどなく、それはあくまでも、それぞれ個人の「生き方」そのものであり、さらにその個人も、その毎日に新しい自分を発見することさえあるのだ。

その新鮮さをそのまま味わうことが、「生きる」ということなのかもしれない。

                           <2008.03.05 記>

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■あっかんべェ一休 <上巻> <下巻> [講談社漫画文庫]
■人間・一休宗純の生涯を描く、漫画家・坂口尚の絶筆。
■名作と思う漫画は多いけれど人生観への影響の大きさでは、未だ、この作品が一番です。
★★★★★(6件のレヴューあり)
※上巻は一休さんが悟りに至るまでの物語で感動ものなのだけれど、「生きる」ということに深く迫った下巻はさらにグゥーっと沁みる。でも下巻だけ在庫なしってのも変な話だ。古書で2点ほどでているようだけど・・・。
    

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■【爆笑問題のニッポンの教養】の本 ■
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■新書版 『爆笑問題のニッポンの教養』
     

■過去記事 [バックナンバー] 一覧■
■爆笑問題のニッポンの教養

  

■関連サイト■
■『爆笑問題のニッポンの教養』番組HP

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2008年3月 3日 (月)

■50%でいいから自分にしかできないものを。『プロフェッショナル・仕事の流儀』 音楽プロデューサー・武部聡志。

今回のプロフェッショナルは音楽プロデューサーの武部聡志さん。

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■心揺さぶる歌は、こうして生まれる・音楽プロデューサー・武部聡志
<2008.2.12放送> (番組HPより)

■武部さんは30年、ポップスと向き合い、2000曲以上もの歌と関わってきた。

その仕事は音楽プロデュースだけでなく、作曲、編曲、コンサートの音楽監督にまで及ぶ。

その長い経歴の初期からの付き合いである松任谷由美に『最高の相棒』、とまで言わさしめる、まさに「大物」なのだ。

■けれども大物だからといってメジャーな仕事だけにこだわることはなく、分刻みの忙しさの中でも、新しい才能の発掘をおろそかにしない。

そうして発掘された「才能」のひとりが、『もらい泣き』で大きな一歩目を印した一青窈である。

■番組では一青窈の新しいアルバム『Key』を作り上げていく過程の一部として、クレージーケンバンドの横山剣が作った「いかにも」なクセの強い曲に一青窈が詞をあわせ、作りこんでいく姿を追っていった。

はじめは横山剣の強烈な個性に引きづられ、やはり、なかなか「一青窈」が出てこない。

けれど、何度も、何度も、曲に詞をあわせても、武部さんの表情の曇りは晴れることはない。

他の曲が順調に出来上がっていく中で、この曲だけが取り残される。

どんどんと追い詰められていく、一青窈。

「カタチ」が見えないままに、日にちだけが過ぎていく。

■松任谷由美の曲の編曲を皮切りに、編曲家としての道を順調に歩み始めた武部さんは、歌詞をていねいにていねいに読み込んで曲を練り上げるという地道な作業を積み重ねた。その結果、久保田利伸、斉藤由紀などのデビュー曲にかかわり、情景が浮かんでくるようなリアリティのあるアレンジで次第に頭角を現していった。

けれど時代は動き、打ち込みやダンスミュージックが隆盛を極め、こういう仕事もこなさなければプロではないと思い込んだところから迷い路へとはまっていく。

■そのときユーミンに言われたひとことが、武部さんの目を覚ます。

「流行っている要素を取り入れる度に、自分の色が薄まっていくんだよ。」

自分にしか出来ないものを。

たとえ50%であってもいいから、自分にしか出来ないものを。

流行に日和るのではなく、自分の個性をもっと上のレベルまで高めるしかないのだな、と悟ったのである。

■そこからの武部さんに迷いは無い。

・人の心を動かす歌は流行からは生まれない。

・アーティストの中にその答えはある。

・そのアーティストの人生、挫折といったすべてをひっくるめた『血』を大切にし、その言葉が世の中に届くように「カタチ」にする。

そういった自分なりの流儀が出来上がった。

そうして43歳になった武部さんは、当時23歳の一青窈に出会い、名曲、『もらい泣き』が生まれたのである。

■で、現在進行形の一青窈の苦闘はどうなったか。

とうとう日程ギリギリ、もう後が無い。というところまで追い込まれ、それでもTAKE2,TAKE3とすっきりしない。

その時、ふっと一青窈はアドリブでセリフを加えてみた。

その瞬間、まわりからはじけるように笑いが起きた。

ああ、これが「生まれる」っていうことなんだな、としみじみ思った瞬間である。

理屈をこねくり回していても「生まれ」ては来ない。

その対象と悪戦苦闘し、苦しみぬいて自分の中でこなれたときに、やっと「自分のうた」が「ふっ」と生まれてくるのである。

■恒例の「プロフェッショナル」とは?という問いに武部さんはこう答えた。

自分がイメージしたこと、思ったこと。それを確実にカタチにすること。その為の情熱と行動力を持ち続けること。

それは音楽のような芸術に限らず、クルマのような工業製品を「商品」として生み出していく仕事をするうえでも大切なことだと思う。

自分の想いをあきらめない情熱と行動力。

あらためて胸に刻み込もう。

                         <2008.03.01 記>

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一青窈Newアルバム『Key』(DVD付)
■一青窈×武部聡志■
【初回盤収録DVD】■一青窈 初のsingle collection live DVD■
1.もらい泣き 2.大家 3.金魚すくい 4.江戸ポルカ 5.ハナミズキ 6.影踏み
7.かざぐるま 8.指切り 9.つないで手(PV) 10.「ただいま」(PV) 11.受け入れて(PV)

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過去の記事■『プロフェッショナル・仕事の流儀』

■『プロフェッショナル・仕事の流儀』番組HP

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2008年3月 2日 (日)

■【映画】『バベル(BABEL)』。言葉よりもっと深刻な断絶の物語。

理屈で捉えられるのは、ほんの表層的なことに過ぎない。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.11   『バベル(BABEL)
          ■監督: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
      ■アメリカ公開:2006年10月 ■日本公開:2007年4月
      ■出演: ブラッド・ピッド、役所広司、菊地凛子 他

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■説明はない。

ただ、見よ。味わえ。と迫ってくる。

感情をあえて前面に出さずに登場人物たちがはまり込んでいく不幸を淡々と捉えていくカメラは冷静で、それゆえに言葉では表現することの出来ない「生き物」としての人間の苦しみ、悲しみ、不安、恐怖といった生々しいものを際立たせる。

それは、ある意味、暴力的ですらある。

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■ストーリー■

モロッコ。夫婦の絆を取り戻そうとバスツアーで旅をするリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)。そこへ唐突に打ち込まれた一発の銃弾によってスーザンは重傷を負ってしまう。言葉も通じず、医者もいない辺境の地で妻の命を懸命に救おうとするリチャード。一方でこの発砲事件を米国人を狙ったテロリストによるものと断定したモロッコ警察の捜査が始まる・・・。銃の持ち主をたどると意外なことに東京で聾唖の娘(菊地凛子)と二人きりで暮らす、ある会社役員(役所広司)に行きつく。その頃、リチャードとスーザンの帰りを待つ幼い子供たちは、息子の結婚式に出席する乳母に連れられて国境を渡りメキシコへ。刺激的な異文化を楽しむ二人だったが、彼らにも生死を分ける思いもかけない事態が待っていた・・・。
(Amazon.co.jp 商品の説明より抜粋)

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■DVD 『バベル(BABEL)』
★★★☆ (64件のレヴューがあります)

■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■英語が全く通じないモロッコの無医村に取り残されるアメリカ人夫婦。夫婦が出かけている間にメキシコ人ベビーシッターの息子の結婚式に連れられて行くアメリカ人夫婦の幼い息子と娘。異物を見るような態度に傷つき健常者との間に壁を作ってしまう一方で、何とかつながりを持ちたいと苦しむ聾唖の少女。

モロッコ、メキシコ、東京。言葉が通じない世界の中でそれぞれに’生きている’ことの生々しさを見せつけられる。

■モロッコ人の家に運び込まれ、救援が来るかどうかさえ分からない不安の中で重傷に苦しむケイト・ブランシェット。そんな状態であるにも関わらず、当然のこととしてやってきて抑えることの出来ない尿意。

メキシコの子供たちとはしゃぎながらニワトリを追いかけまわし、捕まえた!と得意満面なアメリカ人の女の子の目の前で事も無げにキュッ、とニワトリの首を捻じ切ってパーティーの食材にしてしまうガエル・ガルシア・ベルナル。

聾唖者だと知った途端に怪物でも見るような目を向けた男子高校生への報復として下着を穿いていない下半身を見せつけ貶めようとする菊地凛子。

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■日常生活では語られない、というより語ることを避けている部分をそのままドンと無造作に目の前へ投げつけてくる。

それは決してショッキングな効果だけを狙っているわけではない。

「日常」という薄皮を一枚はいでしまえば、すぐそこに言葉で説明することの出来ない「何か」がある。

常識だとか道徳だとかそういったものは所詮表面的に社会を秩序だてるために後付けされた薄っぺらな理屈に過ぎない。

そんな後付けの理屈よりも、もっともっと深いところで’のたうつ’「何か」が、我々を本当に突き動かしているものなのだ。

イニャリトゥ監督は、それを表現したかったのだと思う。

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■この映画のタイトルの『バベル』は旧約聖書の話からきている。

もともと人間はひとつの言葉を話していたのだが、技術を進歩させた人間は互いに協力し合い、天にまで届く「バベルの塔」を建造しようと試みた。

それが神の怒りにふれ、神は人間が互いに違う言葉をしゃべるようにしてしまった。

その混乱の中で人間たちは各地に散らばり、それぞれに違う言葉を話すようになった。

という話である。

■モロッコに取り残されたアメリカ人夫婦。メキシコに連れて行かれた子供たち。健常者との壁を作ってしまう聾唖の少女。

素直に捉えるならば、この映画は「言葉が通じない」ということで起きる悲劇を描いている、ということになるだろう。

けれど、そんなに分かりやすく単純な構図なのだろうか。

Photo_4 Photo_5

■お互いに心が通じ合っていると思っていても実際には擦れ違っている。

しかも心のどこかでその擦れ違いに気が付いているのに、そこから目を逸らしたまま過ぎていく日々。

言葉が通じているなかでの断絶。そこにこそ本当の悲劇がある。

そんな日常が抗うことの出来ない「力」によって破壊され、圧倒的な絶望の中に放り込まれ、その時になってやっと本当の意味での「つながり」が生まれてくる。

そこに、この映画の「救い」があるのだと思えるのだ。

■アメリカ人夫婦のつながり。その子供たちと、これまで親の代りに彼らを育ててきたメキシコ人の乳母とのつながり。聾唖の少女とその父とのつながり。

そして、一連の不幸の切っ掛けとなる銃弾をバスに打ち込んだ活発なモロッコ人の少年と、真面目で内気なその兄とのあいだの絆。その絆は皮肉なことに一方の死という究極の絶望の中で形づくられていく。

それぞれの結末は決してハッピーエンドではないけれど、そこに新たに漂いはじめた微かな希望が、見るものの心を少しだけあたためてくれるのだ。

Photo
■DVD 『バベル(BABEL)』
■監督: アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ ■日本公開:2007年4月
■出演: ブラッド・ピッド、ケイト・ブランシェット、役所広司、菊地凛子、他
■カンヌ最優秀監督賞、ゴールデングローブ・作品賞、アカデミー・作曲賞、他

                            <2008.03.01 記>

■STAFF■
監督 : アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ (メキシコ)
      (『アモーレス・ペロス』(99)、『21グラム』(03))
脚本 : ギジェルモ・アリアガ
      (『アルキメデス・エストラーダの3度の埋葬』(05))
撮影 : ロドリゴ・プリエト(『ブローバック・マウンテン』(05
))
音楽  :  グスターブ・サンタオラヤ(『ブローバック・マウンテン』(05
))
■CAST■
アメリカ人・夫 ・・・ ブラッド・ピッド
アメリカ人・妻 ・・・ ケイト・ブランシェット
メキシコ人・甥 ・・・ ガエル・ガルシア・ベルナル
メキシコ人・乳母・・・アドリアナ・バラッザ
日本人・父   ・・・ 役所広司
日本人・娘   ・・・ 菊地凛子
日本人・刑事  ・・・ 二階堂 智
   

■過去記事■
■【映画評】名画座・キネマ電気羊 <もくじ>へ

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