■美に「絶対」はあるのか。『爆笑問題のニッポンの教養』 美学・フランス思想史 佐々木健一。
今回のテーマは、美学。
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE025:「人類の希望は 美美美 (ビビビ)」 2008.1.29放送
日本大学文理学部哲学科教授 美学・フランス思想史 佐々木健一。
■「美学」とは美しいと思うこころを追求する哲学である、と定義する佐々木先生は現代を『美学の終わり』と位置づける。
1917年にマルセル・デュシャンが市販の小便器を逆さに置き、『泉』という作品として発表した瞬間に「現代アート」は誕生した。
「存在」を切り取ってそのまま目の前に提示するその方法論は、50年後のアンディー・ウォホールが作り上げたポップアートを終着点としてそこから先に進めない状況に陥っている。
それを打開するために「美学」は、「直感的に正しい『美の基準』」に立ち戻るべきだ。
■それは「世界の良さを測る尺度として『美学』があるのではないか」という佐々木先生の物の見方に基づく捉え方だ。
教授室の眼下にひろがる雑然とした都心の風景を「バランスの取れていない醜さ」と切り捨てるその価値観はどうにもしっくりいかない。
醜さを受け入れない美学は自分が居る場所として息が詰まる。という太田のことばは、その「しっくりこない感じ」をうまく表現していて、さすが太田、なのである。
■その一方で、佐々木先生のいう「『美』とは直感的に分かるものである」というの定義はすんなりとうなづけるものである。
先生がいいたいことは、「美」というものは誰かが「創り出す」ものではなく、「降りて来る」ものだということなのかもしれない。
神様が6日間かけて世界を創ったそのあとに、自らが創り上げた世界を眺めて「素晴らしい!」と感じるとき、そこに「美」がある。
「美」は予定されるものとして創られるのではなく、計算や知性を超えたものとして自然とそこに宿るものなのだ。
そこに佐々木先生の「美学」を読み解く手掛かりがあるように思える。
■けれど、わたしにとっての「美」とは極めて個人的なものであり、『美』に尺度があるという考え方にはどうしても馴染めない。
『絶対的な美』という存在を認めたくない、そんな考え方は一神教の価値観で、自然や生活の中に八百万の神を認める日本人には反りの合わないものなのじゃあないか、という気分になってしまうのだ。
けれど、キリスト教の延長として「真理」を追い求める自然科学は、「美」に絶対的なものがあるのではないかとほのめかす。
■1:1.618。
『黄金比』。最も美しいといわれる比率である。
『黄金比』はただ直感的に美しいというだけでなく、1.618というのは二次方程式 x2 = x + 1 の正の解であり、1、1、2、3、5、8・・・と隣り合う数を足していくことで現れるフィボナッチ数列とも関連し、さらにその比率はオウムガイの殻が描く「らせん」として現れる。
そこに「自然」が持つ数学的正しさを垣間見ることができる。
■「美」を個人的価値観として「面白い」ものとして定義しようとしても、その「面白い」が成立するためにはその跳躍の足場として「通常性」という不動の基準が必要となる。
その意味で個人的であろうとする試みは、所詮、数学的に「正しい」絶対的なものから逃れられないのかもしれない。
脳みそを含めたわたしの肉体もまた自然法則にしたがって生成したものであり、口惜しいことだけれども、そこから生まれる「わたしの思想」もまた、自然法則そのものなのかもしれないのだから。
<2008.02.11 記>
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