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2008年2月16日 (土)

■憲法とは泥臭いものなのだ。『爆笑問題のニッポンの教養』 憲法学 長谷部恭男。

今回のテーマは、憲法学。

Photo
■『爆笑問題のニッポンの教養』(番組HPより)
FILE024:「みんなの憲法入門」 2008.2.5放送
東京大学教授、東京大学法科大学院長
憲法学 長谷部恭男(はせべやすお)。

■憲法学とは自然科学とは異なるものだと長谷部先生はいう。

自然科学が「真実」を追求するのとは正反対に、憲法学には「根本的問題に触れずに、如何に現実の問題を解決するか」ということが求められる。

また、学者によってその「如何に」の上手い下手があって、むしろ漫才に近い一種の『芸』なのだと言い切る。

■『護憲派』、なんていういいかたをするけれども、話を聞いていくと長谷部先生がいっていることは、どうやらそれとも違うようである。

『護憲派』といえば9条である。

戦争を永久に放棄し、戦力は保持せず、国の交戦権を認めない。

装飾を取っ払って要約すると、どうも「現状」に合わないし、その文字通りと理解するのは現実的とは思えない。

だから、ちゃんと分かるように現実を踏まえて改憲しよう。

という『改憲派』に対して「憲法を変えてはイケン!」と机をたたくのが『護憲派』であって、その考え方は、日本国憲法が語る『理想主義』を守り通そうという姿勢によって支えられている、そういうふうに考えていた。

■現実主義的な『改憲派』と、理想主義的な『護憲派』。

どちらも、『思想』としてうなづけるところがあって、すっぱりとキレイにいかずに悩ましい。だから憲法問題は難しいのだ。

という従来の固定化された対立の図式とはまったく異なる立場から憲法を捉え直す。

それが長谷部先生の『憲法に思想を持ち込まない』という強い意志なのである。

■そもそも、『憲法』とは国家そのものを定義づけるものである。

「国の正体は憲法である」、と太田は見切る。

そこには護憲、改憲の議論を枝葉末節に思わせてしまう、「組織」と「個人」についての根本的な問題が横たわっているのだ。

■「人間は自分が大切だと思っていることは他人にも大切だと思って欲しいものだ。」

長谷部先生の言葉は人間の本質を鋭く射抜く。

われわれは、一人ひとりがそれぞれに自らの「想い」を持っていて、その極めて個人的な基準を他人にも当てはまるのだとつい信じ込んでしまう。誤解を恐れずに極端な例をとるならば、アドルフ・ヒトラーとイエス・キリスト。信じるものには温かく、信じないものに対してはその存在意義を否定する。

それは良いとか悪いとかの問題ではなく、その「想い」が個人由来のものである限り、善悪の比較はできない。個人が自由に持つことが出来るもの、本来「思想」とはそういう性質のものなのだ。

■かといって、国でもいい、会社でもいい、人間が集まって出来る「組織」で個人こじんがバラバラの考え方、基準で動いたならば、それはもはや「組織」たり得ない。

だから個人を縛る「共通のルール」が必要となる。

だが、「共通のルール」に思想を求めたその瞬間に、ルールはヒトラーやキリストを生む温床となり、他の思想を排除する強力な装置としてはたらいてしまう危険をはらむ。

実際われわれは、「人間は自分が大切だと思っていることは他人にも大切だと思って欲しいものだ。」という特性から逃れることは難しく、ついつい「共通のルール」に自分の思想を重ねてしまうのである。

■その、「どうしようもない人間の特性」を十分に理解したうえで、その集団を構成する皆さんの自由を制限し、「どうか、無理をしてください」、とお願いしなければならない。

それが「共通のルール」であり「憲法」なのである。

そして、その「共通のルール」=「憲法」は、個人の想いから自由であるために、いろいろな考え方があることを認めるものである必要がある。

個人の基本的人権を保障する限りにおいて「憲法」は極々冷静で客観的なものであることを要求されている、そういうものなのである。

■ここに、「個人の基本的人権」を守るために「個人の自由」を制限するという矛盾が生じる。だから冷静で客観的であると同時に「あいまい」である必要があるのだ。

憲法学が自然科学と異なり「本質」を求められない理由がそこにある。

憲法について突き詰めて考えていけば自然とその矛盾に突き当たる。そしてその矛盾を解決し「真実」をつかもうとするならば、もう、そこには多様な解釈を許すあいまいさが残る余地は無く、ひとつの思想に基づくひとつの色に染められていく。

そのとき、憲法は基本的人権を保障する能力を失ってしまうのだ。

■憲法学とは、根本的問題を避け、「解釈」によって日々当面の問題を如何に解決するか、という学問であり、本質に近づくという意味での進歩は今後とも無い。

その長谷部先生の言葉は、一見、本質を追求する努力を放棄した「ゆるい」もののように見えるけれども、その実、人間の本質的特性について七転八倒考え抜いた末にようやくたどり着いた、基本的人権というかけがえの無い大切なオアシスを守るためのものなのである。

そして、そのオアシスを守り抜くために最も有効な戦術が、話をはぐらかし、煙に巻くこと、すなわち『芸』なのだと思い至り、長谷部先生の柔和な笑みに対して静かな感動を覚えるのであった。

                            <2008.02.16 記>

6月4日の衆院憲法審査会で、与党から推薦された参考人であるにもかかわらず、「安保法案は憲法違反」と明言、自民党を大慌てさせた長谷川教授。。。。てら、かっこよす。<2015.06.10記>

■【朝日新書】『 これが憲法だ!』
■ 長谷部 恭男 著 ■
★★★★ (8件のレヴュー)
    

■関連記事■
■【書評】『伊藤 真の 図解 憲法のしくみがよくわかる本』 。
■長谷部先生の話を聞けたことで、この本を読んだときには理解できなかった「はじめに憲法ありき、時には民主主義すら制限するのが憲法である。」という言葉の意味が少し見えた気がする。それがとてもうれしい。
    

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