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2007年10月 1日 (月)

■気持ちを伝えるということ。「ことば」の断絶と、その再構築。

沖縄戦の集団自決に関する教科書検定問題が盛り上がっている。

その件についての茂木健一郎さんのブログ記事に、こころを揺さぶられた。散文の行間から強い感情が漂ってくる文章である。

■ Good morning! からすでに (茂木健一郎さんのクオリア日記)

■モンティ・パイソンを見ていて、ジョン・クリーズが訪問客を送り出す別れ際に「Good morning ! 」と声をかけるシーンに、日本語の「おはよう!」という言葉との根本的なニュアンスの違いがあることに気付く。

英語は、英語で生きる生活とその文脈の中でしか意味を成さない。

なるほど、英語を学ぶときに、「辞書はロングマンの英英辞典を使うべし」とか、「英語で考えろ」とかいわれるのはそういうワケなのかもしれない。

■英語と日本語という分かりやすい例を持ち出してきたのだけれど、茂木さんが言いたいことは、ことばの捉え方が「違う」ということだけではなく、その結果生じる「行き違い」の不幸についてなのだろう。

沖縄の人たちと楽しく呑んでいて、何気なく「沖縄の人たちは昔はどんな服装をしていたのですか?」というコトバを投げかけて相手を激昂させた、という話。その時に茂木さんが感じたザラリとした感触は、非常に良くわかるものである。(少し、のんき過ぎる気もするが・・・。)

■もちろん沖縄と本土が違う、といいたいわけではない。

同じ「ことば」でも、その人が生きてきた背景によって意味が異なってくる。ということである。

それは、人が他人とは異なる「自分」というのものを意識したときに生じるものであり、共に暮らす家族との間でさえ逃れることのできない蹉跌なのだ。

■先に、「茂木さんが感じたことが良くわかる」と書いたけれども、その時点で既に行き違いが生じているのかもしれない。

私が茂木さんの文章で感じたことは、私が生きてきた体験の積み重ねの上に「感覚」として再構成されたものであり、茂木さんの実際の「感情」と同じであるかどうかは確かめようの無いことなのだから。

そう考えたとき、教科書検定の話でいえば、沖縄戦を実際に体験した地域の人たちと、霞が関のお役人との間に横たわるギャップは埋めようが無い、という悲感的な見方に陥っていく。

だが、それでいいのか。

■「男と女の間には、深くて暗い河がある」と歌ったのは誰だったか忘れてしまったが、その救いようの無い暗さにはどうしても共感できない。いや、共感するのを認めたくないという自分がいる。

決して交わることの無い2本の線。

だが、その2本の線の間には、お互いのこころに影響を与え合う「関係」があるのは間違いない。

それは、「ことば」だけでは伝えることができない性質の「何か」である。

それが身体的な感覚を含む感情によるのもならば、直接会うこと。目と目を合わせること。手と手を握り合うこと。そういった身体的な、さらにいうと原始的なコミュニケーションが大切になってくるのではないだろうか。

むしろ、そこがしっかり結びついているならば、言葉なんていうものはただの付け足しに過ぎないのかもしれない。

■そうしてコミュニケーションの手段としての「ことば」を一旦否定した上で、己の身体感覚を頼りに、ブログという極めてデジタルな方法での「ことば」のコミュニケーションに再度挑戦する。

それが、今、私がこのブログを書いていることの意味なのかもしれない。

                         <2007.10.01 記>

 
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コメント

デジタル化されたコトバたち・・・
そこから笑顔やワクワク・ドキドキを感じ、時には涙やため息なども
共有させていただきながら、私はたくさんのものをいただいております。
電気羊さんのブログにめぐり会えた事に、あらためて感謝です!!

投稿: 臨床検査技師 | 2007年10月 2日 (火) 17時58分

追記
電気羊さんの綴られるコトバたち・・・
デジタル化されても、きちんと「言葉」として心に響いてくるから、
だからこそ惹かれるのかなと思っています。

投稿: 臨床検査技師 | 2007年10月 2日 (火) 19時41分

なんだか照れますね。
「心に響く」などといわれると有頂天になってしまうので、ご用心、ご用心。というところでありますが、臨床検査技師さんのコメント、素直に嬉しいです。
ありがとうございます。

投稿: 電気羊 | 2007年10月 3日 (水) 01時17分

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