■人間は管(くだ)である。『爆笑問題のニッポンの教養』 腸管免疫学、上野川修一。
今回のテーマは「腸」。
FILE:014 「人は考える腸である」(番組HPより)
日本大学生物資源科学部教授 腸管免疫学 上野川修一
2007年10月23日放送
■「動物は管(くだ)である」。と上野川先生はいう。
確かにそうだ。
口から始まって、胃、小腸、大腸、肛門へと連なる「管」が一本通っているわけで、よく考えれば、胃とか腸の内側は人体の『外側』にあたるものなのだ。
■人体の『外側』である腸は食物という外部の物質と接触し、人体の内部へとそれを吸収する働きをしている。
つまり、常に外部にさらされる最前線というわけだ。
しかも、その面積はテニスコート一面分だというのだから、人体の免疫系の6~7割が腸にあるというのも、うなづける話だ。
■さらに興味深いのは、その免疫系は「寛容さ」をもっているということだ。
腸の中には、人体の細胞の総数60兆個を上回る100兆もの細菌が生息している。それら自己と呼べない生き物と共生できるのも、その「寛容さ」のおかげなのだ。
カラダに良いはたらきをする善玉菌、カラダに悪い物質を作る悪玉菌、どっちつかずの日和見菌。
これら腸内細菌が、バランスよくいることで健康が保たれるのだそうだ。
善玉菌が悪玉菌を駆逐してくれた方が健康に良さそうな気もするのだが、どうもそうではなくて、悪玉菌がいることで免疫系が活性化した状態を保てるという側面もあるらしい。
何事も多様性とバランスが大切だということだ。
■また腸は「セカンド・ブレイン」と呼ばれるほど多くの自律神経に包まれているらしい。
【腸(はらわた)が煮えくり返る】などというし、強いストレスが加わると腹が痛くなるし、なるほどと思ってしまうのだけれど、このことは一体何を意味しているのだろう。
脳でものを考えるのと同じように腸もものを考えるのか?
いやいや、「腸」との対話、というのも少し無理がありすぎる。
■むしろ、我々は「脳でものを考える」と思っているが実は「腸」がものを感じていて、それが根本にあって、その上に「意識」というものがあると捉えた方がいいのではないだろうか。
意識が何か高尚なことを考えようとしたとしても、急に猛烈な便意をもよおしてカラダをくねくねさせながらそれをこらえようとするとき、その高尚な問題などは何処かへ軽く消し飛んでいってしまう。
それではまるでコントじゃないか、というところだが、実はそこにこそ真実が現れているのではなかろうか。
「意識」として我々が認識しているものは氷山の一角に過ぎず、その下に大きな「無意識」が存在しているとはよく聞く話だが、その「無意識」というものを構成してるのは「腸」をはじめとした自律神経網による「感覚」なのかもしれない。
■ここへ来て、「動物は管である」という上野川先生の言葉が別の意味を持ち始める。
5億4000年前のカンブリア紀。
爆発的に生命が多様化していく中でわれわれの遠い祖先は消化をつかさどる「管」と、それに並行に走る「神経」としてカタチを獲得した。
つまり「腸」とそれをとりまく「自律神経」として誕生したのだ。
「腸」は、「脳」という神経の塊が発生する前から存在している基本的なものであり、「脳」が無くとも生命たりえるが、「腸」なくしては生命たりえない。
■と、すると「臓器移植」は一体なにを意味しているのだろう。
腸の臓器移植はあまり聞いたことは無いが、同じく自律神経のかたまりである心臓移植はどうだろう。
生命としての順番が「自律神経」が先にあって「脳」が後に発達したものであるならば、「そのひと」にとってより根源的な存在は「自律神経」にあるのではないか?
そのとき、心臓移植を受けたひとは移植を受ける前と「同じひと」であり続けることができるのだろうか?
■われわれは、「そのひと」であるという定義が「脳」にあると暗黙のうちに了解し、それ故に脳を機械に移植したサイボーグの物語などを素直に受け止めてしまったりするのだけれど、本当にそうなのか?
もし「意識」が独立した存在ではなく、体中に張り巡らされた自律神経系の反応を映し出す「鏡」のようなものだとするならば、移植された「臓器」はその人にとって「異物」であり、免疫学的な拒絶反応は薬で抑えることは出来たとしても、「こころ」への影響は免れないのではないか。
そう考えると、本当かどうかを確かめるすべはないけれど、心臓移植を受けた後に好みや性格が臓器提供者に似てきた。などというアンビリーバブルな話も、あながち法螺ばなしとは思えなくなってくる。
(注:もちろん、臓器移植自体を批判するつもりは毛頭無いし、自分も必要に迫られたらそういう選択をするだろうと思う。自分の臓器が培養できれば、それにこしたことは無いのだろうが・・・。)
■「私とは何か?」という高尚な問いかけをよそに、グルグルと空腹を訴える我が腸(はらわた)とそこに生活している100兆もの細菌たちがカタチ作る小宇宙は、黙々と生を刻んでいる。
白灰色をした大脳新皮質が抱える日々の迷いは、実は腸が抱える不調の反映に過ぎないのかもしれない。
だとするならば、バランスのとれた食事と適度な運動と心地よい睡眠こそが一番の悩み解消法であり、「悩み」を解消しようと「悩む」こと自体がバカバカしく思えてくる。なんのことはない、「快眠快便が一番」ということだ。
■人間は考える「管」である。
成すべきか、成さざるべきか。
それはカラダが知っている。
だから、カラダに聞け。そこに答えがあるはずだ。
・・・と思うのだが、実はそう思うのも大脳新皮質の働きであり、そういう風にスパンと割り切れないのが実際で、なかなか上手くいかないのが人生なのである。
■新書 『賢い食べ物は免疫力を上げる』
上野川修一 著 講談社プラスアルファ新書 (2004/09)
■「脂肪の摂取過剰、たんぱく質の摂取不足は免疫力を下げ、ビタミン、ミネラル、乳酸菌は免疫力を上げる。」らしいですよ。
■新書 『免疫と腸内細菌』
上野川修一 著 平凡社新書 (2003/09)
<Amazon評価> ★★★★★(レヴュー数 3件)
■「私たちの免疫系は腸内細菌なしでは形成されず、私たちはこの世に生存することはできないのである。」・・・腸の世界はさらに深そうです。
<2007.10.28 記>
■番組違いですが、思いもかけず「意識」の話にたどりついてしまったので、茂木健一郎さんの「クオリア日記・光速の寄せと乙女の優雅の交錯」にトラックバックさせていただきます。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/10/post_ff22.html
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