« ■北脇昇と出会う。東京国立近代美術館。 | トップページ | ■【ひつじの本棚】『われら以外の人類』 ヒトの進化を俯瞰する。 »

2007年8月 6日 (月)

■岸田劉生と麗子像。

梅雨明けの週末に東京国立近代美術館に行った。

P8030234

お目当ては別にあったのだが、思いがけず岸田劉生を勉強することになった。

岸田劉生といえば、教科書に載っていた恐ろしげな「麗子像」しか知らなかったので、新鮮な驚きを得ることが出来た。

___41915
■岸田劉生 『道路と土手と塀(切通之写生)』 大正4年(1915年)

この迫力に圧倒された。   

坂道が持つ質量がドカンと存在する。

左手の白い石組み、右奥の土盛り、坂の上に広がる空、

全てがこれ以上ないと思われるバランスで

それぞれが存在を主張している。

坂道を横切る影は電信棒のものだろうか、

この2本の影は、絵に奥行きを持たせているだけでなく

正午過ぎのじりじりと照りつける太陽や、土のにおい、

といった「現実感」を産み出している。

その場面に気持ちが吸い込まれていくようだ。

しばし見とれてしまった一枚である。 
  
  

___7_1918_2
■岸田劉生 麗子肖像(麗子五歳之像) 大正7年(1918年)

数えで5つだから、麗子が3歳か4歳のころの肖像である。

上の「道路と土手と塀」を見た上で麗子像をみると、

そこに感じる一種の「怖さ」は、

岸田劉生のリアルすぎる画風に由来するものだと気付く。

   
特別展示されていた写真に写った麗子ちゃんは

お母さん似で、子供らしい可愛らしさに

あふれたものであった。

また、岸田劉生から麗子に宛てた絵手紙や

麗子から父に宛てたハガキも展示されていて

それらを眺めると、

そこには、いつの時代も変わらない、

父と娘のあたたかい情感が感じられてくる。

モデルをやってる時に、お父様のためにと

足が痛いのを我慢するという文面もあって、いじらしい。

  
同じく娘を持つ親の身として、

お父さん、ちょっとは可愛らしく描いてあげなよ、と

突っ込みをいれたくなってしまった。

__1914
■岸田劉生 自画像 大正3年(1914年)

                                      <2007.08.06 記>

■Amazon.co.jp■へのリンク

_
■ 岸田劉生 内なる美―在るということの神秘 (Art & words)
画と文:岸田劉生 二玄社 (1997/07)

 
■ Amazon.co.jp ■
■ TVドラマ・映画 原作本ページ
■ '07 上半期 Booksランキング
 
■【 書籍・ベストセラー 】
■【 DVD・新着ベストセラー 】

   

|

« ■北脇昇と出会う。東京国立近代美術館。 | トップページ | ■【ひつじの本棚】『われら以外の人類』 ヒトの進化を俯瞰する。 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■岸田劉生と麗子像。:

« ■北脇昇と出会う。東京国立近代美術館。 | トップページ | ■【ひつじの本棚】『われら以外の人類』 ヒトの進化を俯瞰する。 »