■人間であること。茂木健一郎先生への手紙。
茂木先生へ
いつも興味深く「クオリア日記」を
拝見させていただいております。
本日の記事、「太く大きく」が、とても気になったので
大変失礼とは思いますが、
考えたことを以下に書き連ねてみたいと思います。
■茂木健一郎さん「クオリア日記」、7/24記事「太く大きく」
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/07/post_32c0.html
「アハ」回路が、つながったのでしょうか?
認識におけるマッハの原理、
チューリングマシン、
そして哲学的ゾンビは存在しうるのか?
先生がおっしゃっているのは、
「自律」システムの自己認識に関する
お話なのでしょうか。
非常に興味をそそります。
ロボトミー、フィアネス・ゲージ。
脳機能の一部が取りさらわれれば
「自己」というものは容易に変容してしまう。
私の今の認識は、
肉体的ゾンビの「状態、身体感覚」をモニターする
マップの総体としての「意識」、という
ダマシオの考え方に深く共鳴しています。
それは、相手の状態を類推し、
自己のマップ・ストレージの中から
それらしきものを引っ張り出してきて
自らの身体感覚で再体験する。というカタチで、
「共感」という現象をうまく説明するものだからです。
「共感能力」は進化の中で人間が
獲得した最大の特性であり、
人間が人間である必須要件と考えます。
その機能が失われた状態は、
「ゾンビ」である、
と言っても過言ではないでしょう。
それはフィリップ・K・ディックが
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
で提示した答えであり、
「あなたは一人では無いんだよ」と、
人の心をやさしく包み込む考え方なのです。
もしかしたら先生の「アハ」とは
方向違いの話をしてしまったかもしれません。
もし、そうであったらゴメンナサイ。
先生の思索が進展されたら、
また「クオリア日記」でご教授いただけるとうれしいです。
勉強させてください。
<2007.07.24 電気羊 記>
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