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2007年7月 4日 (水)

■『東京大気汚染訴訟』 義を見てせざるは。

「患者が人間らしい平凡な生活を送れる社会にしたい。私たちが11年かけて訴えたのは、実はそれだけ。」

■東京大気汚染訴訟は原告団と被告である自動車メーカー7社の和解受諾により、7月2日、11年間にわたる法廷闘争に終止符が打たれた。

1967年に提訴された四日市ぜんそく訴訟を契機に、1974年に全国41地域のぜんそく患者らに医療費などを補償する公害健康被害補償法(公健法)が施行されるも、1988年に「大気汚染は改善された」として、国は公健法を改訂、公害患者の新規認定を打ち切った。

だが、74年の公健法指定地域から外れたところに住んでいた人や、88年以降に健康被害が発症した人は、この補償を受けられない。それがいわゆる「未認定患者」である。

■いつ来るとも知れないぜんそく発作の苦しみ。月に6万円にも上る医療費。働くことも出来ず、身の回りのことすら家族に頼らざるを得ないことからくる自責の念。

それは、健康な我々には想像のできない苦しみだと思う。ただただ、居たたまれぬ思いに身を焦がすだけだ。数は少ないといえども、我々の便利な生活と引き換えに生まれた犠牲者であることは間違い無いのだから。

■行政は過去の法改正を正当化するために非を認めず、メーカーは法令を遵守していることから株主に対する説明が出来ないと態度を頑なにする。

そこに突破口を空けたのは東京都であった。昨年秋に医療費助成制度を提案したのだ。それでも態度を硬くする国に対し、原告側は首相に直訴、安倍首相は60億円を拠出する政治的判断を下した。

また、東京高裁からの和解勧告で、「自動車の利益を得てきた国民全体が、社会的責任を引き受けるべきだ」との言葉を受けた自動車メーカーは、法的責任ではなく、社会的責任を果たすという大義名分を得て、解決金支払いに応じることが出来た。

■冒頭は、自らも未認定患者として苦しむ石川原告団事務局長の言葉だ。

こういう言葉に対して心を動かさない人はいない、と思いたい。ただ、組織の利益や面子が、それの邪魔をするのだ。

義を見てせざるは勇無きなり

石原都知事も安倍首相も、人間として考え、政治家として行動した。
久々に政治家の立派な側面を見ることが出来てうれしく思う。また、硬直した法的責任論議を極力排し、実のある和解策を推し進めた東京高裁の姿勢も情にあふれ、非常に共感を覚えるものであった。

日本もまだ捨てたものではないのだ。

                       <2007.07.04 記>

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