■「横浜市、米軍ヘリ緊急着陸」に考える。ノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の責任)、「プロ意識とその誇り」。
■横浜市の姿勢にはいつも好感をもっているのだが、今回の抗議には少々疑問が残る。考えが安易過ぎる、というだけではなく、その考え方には根深い社会的問題が映し出されているようにも思えるのだ。
■公園に米空軍ヘリが緊急着陸、横浜市が厳重抗議
※写真は米海兵隊のUH-1N同型機
13日午後3時30分ごろ、横浜市金沢区の「海の公園」広場に、米空軍横田基地所属の多目的ヘリ「UH―1N」が緊急着陸した。広場では男子大学生4人がサッカーをしていたが、着陸前に上空でホバリングするヘリに気付いて避難した。乗員も含め、けが人はなかった。
神奈川県警金沢署によると、ヘリには機長のジョシュア・カーター大尉(28)ら7人が乗っていた。米軍横須賀基地に向け、同日午後2時に横田基地を離陸したが、途中でエンジン系統の油圧低下を示す警告ランプが点灯し、安全確認のため着陸した。
横田基地によると、このヘリは10年前に就役し、飛行時間は約1万時間になるが、これまで重大な故障や事故はなかったという。
サッカーをしていた大学1年の加賀尚哉さん(19)は「頭上の低い位置でヘリが止まり、危ないと思って脇に寄ったらゆっくりと降りてきた。すごく怖かった」と話していた。
公園を所有する市は「公園という公共の場への着陸は極めて危険」と機長らに厳重抗議した。
<2007年6月14日 読売新聞>
■飛行機の操縦で一番難しいのは着陸である。着陸とはパイロットによってシビアにコントロールされた高度ゼロメートルでの墜落であるからだ。だからこそ、旅客機のパイロットは相応の技量と経験を要求される。
今回のヘリ緊急着陸の件が、最適な判断であったかどうかは私には分からない。降着地点の東方約1.5Kmには横浜へリポート。そこにたどり着くまで1分もかかるまい。
だが、この時パイロットに要求されるのは、「正しさ」ではなく、「決断力」なのだ。
■エンジン系統の不具合を知らせる警告灯が点灯。それは重大な不具合が起きる予兆かもしれないし、単なるランプの故障かもしれない。
たかが1分、されど1分。
その1分の間に不具合が起きてコントロール不能の状態に陥る可能性はゼロではない。そこには、乗員7名の命だけでなく、市街地の住民の生命を危険にさらす可能性があった。
パイロットは、そういったことを瞬時に判断し、最も安全な対応を決断する。そこには躊躇している余裕など無いのだ。
サッカーを楽しんでいた青年たちもビックリしただろうが、記事の文面を読む限り、彼らの上空でホバリングしながら、彼らの安全が確保できる状態を待っていたようである。重大な不具合が発生し、緊急事態に陥る前だからこそ、そういった余裕もあったのだ。
■今回の横浜市の抗議は、「公園なんかに降りてきたら危ないだろう!」という至極真っ当な意見のようにも思える。だが、その『安易な』批判には、自らの責任で判断、行動するプロフェッショナルとしてのパイロットへのリスペクトが微塵も感じられない。
「機械」というものは非常に便利である反面、多かれ少なかれ常に危険をはらんでいるものである。そして、その安全を支えているのは、機械を操作、点検する人間の『プロ意識』だ。
今回の横浜市の安易な抗議に対して、ただ「安直だ」と批判しているのではない。その考え方に、安全を支える『プロ意識』を台無しにし、次第に腐らせていくような社会的背景があるのではないかと恐れているのだ。
■最近頻発しているエレベーターのワイヤー破断事件などは、「自分が安全を支えているという『プロ意識』の欠如」の典型的なものであり、大いに非難されるべきである。
が、同時に我々社会の側では、そういった『プロ意識』を持つ者を尊敬、尊重する態度を示し、関心を払ってこなかったことを恥じるべきなのだと思う。
そういう意味で、今回、無事に、緊急着陸を成し遂げたパイロットは、そのプロ意識に基づく冷静な判断を賞賛されることはあっても、安易な非難の対象となるべきではない。
■プロ意識を尊重しない社会は、必ずやそのしっぺ返しを受けることになるだろう。それは機械の操縦、点検だけに留まる話では無く、教師や警官、医師など社会を支える職業におけるプロ意識、『ノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の責任)』についても言えることだ。
そして、その考え方は、我々大人のひとりひとりが自らの仕事に誇りを持ち、お互いにその誇りを尊重しあう社会につながる。と私は信じる。
『誇りと尊重』を失った社会に育つ子供たちに、
『希望』は生まれない。
決して他人事ではないのだ。
<2007.06.15 記>
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