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2007年5月12日 (土)

■ひつじの本棚■ 『無意識の脳、自己意識の脳』 「私」とは何か?

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『無意識の脳、自己意識の脳』
アントニオ・R・ダマシオ 著 <認知神経科学者>

「私」とは何なのか?

デカルトは、「我思う ゆえに我あり。(Cogito ergo sum コギト・エルゴ・スム)」といった。

だが、その「思う我」は脳にだけ宿り、身体無くして存在しえるものなのか?

本書は、意識は脳の中にあるのではなく、身体感覚と連動している『場』のようなものだ、とする【ソマティック・マーカー仮説】を展開した前著、『生存する脳ー心と脳と身体の神秘』の続編。

神経学的症例・実験的事実を基点として、ホメオタシス調節(自己保存、安定性)を切り口に、意識と感情の仕組みをモデル化する

①「原自己」 : 非意識状態、自己認識無し →
②「中核意識」 : 「外界から受ける『感覚』の神経パターンのマップ」を獲得、「自分」と「他者」いう認識の発生。今、現在だけの存在。 →
③「延長意識」 : 過去の「感覚」の神経パターンのマップを再生させたり(記憶)、想定される未来の「感覚」マップを再生したり(予測)できる。時間感覚の獲得。
過去の体験を自伝的に語ることが出来、未来を想像する能力を獲得した『我々の意識』。

まとめるとこういういう感じか。

この考えを赤ん坊の成長過程や、人間に至る進化の過程に重ねてみると面白いと思う。

本書の論理展開は非常に分かりやすく、納得できる仮説であり、『意識』の問題について頭の中が気持ちよく整理された。

もちろん、現時点での「正解」などは無いのだろうけれども、意識について考える「基礎」を形作っておくだけで、世の中違って見えるものである。

(注)前著を読まなくても十分理解は出来る内容だと思うが、ダマシオの考え方を「身体で感じる」ことで理解が深まると思うので、出来れば目を通しておいたほうが良いだろう。何しろ、鉄道事故で前頭葉に棒が刺さったが軌跡的に生き延びた男、フィアネス・ゲージの辿った末路は非常に衝撃的。

                             <2007.05.12 記>

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■書籍『マインド・タイムー脳と意識の時間ー』
ベンジャミン・リベット 著 岩波書店 (2005/7/28)
<Amazon評価>
★★★★☆(レヴュー数 8件)
■『我々は、常に0.5秒遅れた世界に生きている』とはどういうことなのか。我々が当たり前と思っている時間感覚が、脳と身体の仕組みによって修正されているとしたら・・・。推測による議論ではなく、実証的発見をもとに書かれた本であるが故に、非常にスリリングな知的興奮を味わえる一冊である。

      

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■書籍 『脳のなかの幽霊』
V.S. ラマチャンドラン 著 角川21世紀叢書(1999/08)
<Amazon評価>
★★★★★(レヴュー数 20件)
■切断された手足がまだあると感じる・・・。著者は「幻肢」の臨床例に数多く接し治療を行ってきた神経学者ラマチャンドラン博士。「あなたの体そのものが幻であり、脳がまったくの便宜上、一時的に構築したものだ」という驚くべき内容が語られるが、いわゆる「とんでも本」ではない。「自分の身体」だと意識している「モノ」はあくまでも「身体のイメージ」であり「身体そのもの」ではない、ということが、数多くの臨床例を通して語られる。自分の鼻があたかも伸びたように感じる実験など、自分で検証できる方法も載っていて面白い。
    

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