■『プロフェッショナル 仕事の流儀』 「正解」はある。装丁家 鈴木成一。
■今回のプロフェッショナルは、装丁家 鈴木成一さんである。
「ヒットさせたければ装丁は鈴木成一に頼め」とまでいわれる装丁の大御所、鈴木成一さん。その仕事は年間およそ700冊にも及ぶ。だが、それぞれの本の装丁は多彩な個性を極め、とても同一人物がデザインしたものとは思えない。番組ではその秘密に迫った。
<2007.05.22放送>
■「鈴木の作った表紙は、なぜか目に飛び込んでくる」と編集者は口をそろえるという。書店に平積みされる本にとって、いかにお客さんの目を引き、手にとらせるかが販売上の生命線だ。何故、鈴木の装丁はヒトの目を引くのだろうか。
「答えは本の中にしかない」と鈴木は言い切る。目を引くためのテクニックなどは無く、ましてや成功した装丁を他の本でトレースしてもヒトの心に響きはしない。
本の中身を読み込み、その本にしかない新しい個性をつかみ削り込む作業。その為に鈴木は自身の自己表現、自己実現を極力押さえ込み、その本の個性に耳を澄ませることに徹する。そのことで多様性に富んだ魅力的な装丁が次々と生まれてくるのだ。
■だが、自己を押さえ込んだ作品を大量に産み出すエネルギーは何処から来るのか?それは「期待に応えること」なのだという。自分の仕事に期待し、「頼まれる」。だから、やる。下積み時代の苦闘の上にたどり着いた答えだ。そこに自分の才能があり、それを他の人に期待される。そして期待を上回る装丁を仕上げる。それがモチベーションの源泉だ。
「『自分』というものは独立したものとしてあるのではなく、周りの人たちとの関係によって形作られていくものだ。」
大学時代に第三舞台の「朝日のような夕日をつれて」のポスターを手がけ、評価を得る。そして、その書籍化にあたっての装丁をまかされ、「これで食っていこう」と独立。
だが世の中は甘くは無く、フリーという立場の弱さに苦しめられる。そんな辛い状況を支えてくれたのは自分の才能を評価してくれた人たちだ。
そういった経緯を踏まえると、先のコトバの深さが心に染みてくる。
「期待に応えること」が自己実現そのものなのだ。
だから、仕事には徹底的にこだわる。
■けれど、装丁のイメージが常に泉のように湧いて出てくる訳ではない。出来かけの作品を眺めても納得がいかない。「違う」のだ。
そんな時、鈴木は出来かけの作品を目の前に立てかけておきながら、おもむろに別の仕事に取り掛かる。別の仕事に集中しながら「その作品」に対して無意識の状態を作り出す。ふと、視線を上げると、やりかけの仕事が目に映る。そのとき何を感じるか。
「要するに、出来損ないの表紙など見たくないのです。それを何度も見て違和感を自分に植え付けることで、そこから逃れたいという欲を育てる、そんな感じです。」
何かふとした拍子にイメージが、「ぽっ」と浮かぶことがある。幾多の苦闘から、それを創造的仕事の手法として確立したのだろう。
まさにプロフェッショナルだ。
「『正解』はある。」
確かに。
「これだ。」と直感的に思うときは、すらすらとイメージが加速、そして作業を進めるうちに一点に収斂していく。そういう感覚は確かにある。鈴木のいう『正解』とは、そういうもののことを言っているのであろう。
だが大抵の場合、「創ろう」という思いが先走り、遅々として作業が進まない。苦労して作り上げたモノも、どこか釈然としない。だが、そこで妥協してしまう。
せめて、ココゾ!という時には締め切りを過ぎようとも(笑)、妥協しない強さを持ちたい。そう思った。
<2007.5.23 記>
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