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2007年4月12日 (木)

■『対話』が創造の源 【隈研吾 「負ける建築」】その2

放送から1日経って、もう少し違う見方が浮かんだ。

■隈さんの言う「負ける」とは、「対話する」ということではないか?

■機械の設計などという仕事をしていると、制約ばかりである。
商品企画の考え、各部品設計の考え、実験部の考え、予算管理部の考え、プロジェクト管理部の考え・・・。

それを自分のやりたいことに対立するものと捉えてしまうと、トレード・オフ問題として、中間解を求めることになる。そこには創造性は無く、妥協があるのみである。

そうではなくて、自分に制約を加える相手とじっくり対話をすると、意外な糸口から創造的解決(ブレイクスルー)に至る時がある。設計者としては至福の瞬間である。

■隈さんは、施工主と対話をして、立地条件や周辺の環境と対話をして、限られた予算と対話をして、構造的な問題と対話をして、そうして独創的な建築に至っているのではないだろうか?
きっと、その作業は、苦行ではなく、苦しくとも楽しいものなのだろう。制約が厳しければ厳しいほど、対話から生まれる新しいものに対する期待が膨らむ。

だからこそ、隈さんが「’制限なし’で自由に建築できたら、どういうものを創るか?」という問いに対しては、「それでも制約を探す」と答えざるを得なかった。「新しい対話」無しには創造性は生まれないのだから。

■「対話法」。それは古代ギリシャ哲学者の智恵である。
「A」と「B」という違うものがあるから、「C」という新しい考えが生まれる。もし、宇宙に「A」しかなければ、永遠に「A」が続く。秩序はあるが、冷たく、面白くない世界・・・。

ここから先は、進化とか、生命の誕生とか、話題が発散してきそうなので、そのうち、また別の機会に。
                  <2007.04.12 記 >

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