■『華麗なる一族』 最終回 生き続けることについて
青森市街から国道103号線を南へ、雲谷峠の山坂道を抜けると八甲田山を望む萱野高原へ出る。そこの休憩所には茶屋があり、旅人に無料で三杯茶というお茶を出してくれる。
そこには「一杯飲むと三年長生き、二杯飲むと六年長生き、三杯飲むと死ぬまで長生き」という、看板が立ててあり、その、いかにも東北人らしい優しいユーモアで旅の疲れが癒される。
■『華麗なる一族』最終回が終わった。上海に昭和40年代の神戸の街並みを再現した巨大なセットを作成、俳優陣も大物揃いという大作巨編の終幕である。
■いくらなんでもキムタクに似すぎている財閥創始者万表啓介の肖像画。とても自然界に存在するとは思えない不可思議な泳ぎ方をする金色の巨鯉「将軍」。神戸が舞台なのに何故か関西弁を使わない万表家の人々。どんな長回しのシーンでも絶対に瞬きしない北大路欣也の目は何故充血しないのか。上品な家庭の御子息で製鉄会社の重役でもある万表鉄平の仕草は、何故、スマスマのコントの時のキムタクの仕草と同じなのか。そもそも、片手をポケットに入れたまま人を指差してはいけないという基本的なマナーすら教わらずに育ったのか。
■これらの数多くの疑問についての秘密は最後まで明かされることなく番組は終了したが、ともすると重苦しくなりがちなドラマからお茶の間を救うという役割は立派に果たしていたように思う。
■理想を失った企業は、一時の栄華をものにすることは出来ても長続きすることはない。という社会派のメッセージは、原作の書かれた30年前から決して錆びることは無く、むしろ、同じIT企業でありながらWeb2.0の旗手として賞賛をあびるグーグルと、所詮虚業だったのだと蔑まれるライブドアとの対比として見たときに、その普遍なる奥深さに気づかされる。
■しかしながら、こういった大上段に振りかぶったメッセージよりも、万表鉄平の遺書を読み、泣き崩れる早苗の姿に我々は涙する。常に使命感を持ち、どんな困難にも決して諦めず、一縷の希望を自ら切り開いていった万表鉄平。その鉄平が何故、死を選ばねばなならなかったのか。その理由は、遺書の最後において語られる。どんな大きな使命を持っている人でも、親の子である限り決して逃れることのできない問い。そういった社会に対する使命感といったものの根源にある問いかけ。
ボクは何故生まれてきたの?
パパやママは、ボクを愛してくれているの?
ボクは生まれてきて良かったの?
■その問いかけを断ち切られたときに人は絶望する。
■雪山の中に立つ一本の木の袂で鉄平は猟銃をその顎に突き当てる。死を決意しながらも逡巡する鉄平。その思いつめた表情に、不意に暗い雲の間から神々しくも暖かい光が差し込む。
やっと許された。
一瞬の安堵の表情。再び空は雲に覆われ、鉄平は引き金を引く。
果たして鉄平の魂は救われたのだろうか?
例えどんなに厳しくとも、一人でも自分を想ってくれる人がいる限り、生き続けなければならない。
寺山修司は、その自殺論の中で、さんざっぱら自殺機械の愉快さや、遺書を書く愉しみなどについて軽妙に語った後にこう締めくくっている。
【わたしはじぶんの自殺についてかんがえるとき、じぶんをたにんから切りはなすことのむずかしさをかんじる。じぶん、というどくりつした存在がどこにもなくて、じぶんはたにんのぶぶんにすぎなくなってしまっているのです。じぶんを殺すことは、おおかれすくなかれ、たにんをもきずつけたり、ときには殺すことになる。そのため、たにんをまきこまずには自殺もできない時代になってしまったことを、かんがえながら、しみじみとえんぴつをながめている。】(「書を捨てよ、町へ出よう」より、原文ママ)
「八甲田山死の彷徨」を挙げるまでもなく、青森の冬は厳しい。その冬の厳しさの中を辛抱強く生きていく人たちがいる。その強さを想うとき、萱野茶屋が出してくれる三杯茶の温もりが教えてくれる。
厳しくとも、人は死ぬまで生きるものなのだよ。
<2007.3.18>
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■原作 山崎豊子
■脚本 山本裕志
■演出 福澤克雄・山室大輔
■出演 木村拓哉、北大路欣也ほか
■原作「華麗なる一族」
★★★★☆
山崎豊子 著
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