2017年11月13日 (月)

■【映画評】『シン・ゴジラ』 災厄と再起。人間の底力としてのシン・ゴジラ。

地上波初放映。

今回は、この映画におけるゴジラとは何か、そしてそこに込められたメッセージとは何か、について改めて考えてみたい。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.87-2  『シン・ゴジラ』
          監督: 庵野秀明、 樋口真嗣 公開:2016年7月
       出演: 長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 他

Title

■日常に襲い掛かりすべてを破壊する想定外の災害。

ここでのゴジラは明らかに3.11東日本大震災及び福島第一原発事故である。

第2、第3形態のゴジラに破壊された街のがれきを前に立ち尽くす矢口の姿は、われわれが目にした津波の後の東北の街だし、その後の放射能汚染は原発事故後のわれわれの放射能汚染に対する危惧そのものだ。

そして、相模湾から再度上陸する第4形態のゴジラは、東海沖を震源とする大規模地震であり、そのとき首都は壊滅状態になるかもしれない。その予想図と見て取れる。

■東日本大震災で我々が計画停電だ、ガソリンがないだの、ポポポポンだの言っていた時、現場では、ぎりぎりの中で踏ん張っていた人たちがいる。

東電の職員や必死の放水を行っていた人たちは、制御の前提である電力が喪失し、メルトダウンが起きているのかどうかすら分からない中で、放射能汚染で生命の危機があるかもしれないなかで、しかし、ここで踏ん張らなければ日本が壊滅する、という想いで戦った。

ヤシオリ作戦の訓示で矢口は隊員たちに命の保証はできないとした上で協力して欲しいと訴える。

現場の放射線レベルが危険域に高まるなか、決死の覚悟で実行されるヤシオリ作戦だったが、注入部隊の第一小隊は、ゴジラの破壊光線の一閃で全滅。

実際の福島第一原発での注水作業で犠牲者が出たとは聞いていないが、まさにそういった覚悟は現場にあったに違いない。

■一方で、津波の被災地も地獄の様相を呈していたようで、3.11直後から現地に突入していった不肖宮嶋さんの写真集をみると、もう言葉ならないものが胸に込み上げてきて、当時も、今も、復興にたいして何もしていない自分が情けなくなってくる。


■ 再起 単行本 – 2011/7/26 宮嶋 茂樹 (著)

この『再起』で描かれている、あまりにもむごい事態、しかしながら、それでも久しぶりの風呂や、軍楽隊に笑顔をみせる人たちや、まさに身を粉にして働く自衛隊、トモダチ作戦の米兵たち、その姿は『シン・ゴジラ』の終盤に描かれたものの実像であり、そこに重ねた見たときに、あまりにもぐっとくるシーンが目について、そのたびに身を震わせるのである。

■この映画はあまりにも情報量が多く、テーマも重層的だ。

映画館で観たときには、その全体像を読み解こうと必死になっていたのだけれども、こうして改めて観てみると、やはり骨格はここにあるのだなと思う。

牧博士が提示した

好きにしろ

という言葉も、「そろそろ思ったようにしてよろしいのでは?」という官房長官代理の首相代行へのセリフで補完され、原発だとか、安保法制だとか、この国の行く先について考えたときにずしりとくるのだけれども、それは所詮、「理屈」のはなしだ。

映画というものが伝えるのはもっと、言葉の奥にある、感情とか感覚とかそういう世界のものであって、そう考えたとき、やはりグッとくるのは不条理に立ち向かった人たちの実際の姿に寄り添う気持ちなのだとしみじみ思う。

高速高密度リアリティ映画でありながら、感動するところは人間のこころの強さに対してなのだ。

そして庵野が追及したリアリティはまさにその感動を支えるために存在したのである。

                      <2017.11.13 記>


【Blu-ray】シン・ゴジラ Blu-ray特別版3枚組

■関連記事■
■【映画評】『シン・ゴジラ』 非日常的災厄の向こうににじむ、この国への想い。

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2017年11月 3日 (金)

■【映画評】『ブレードランナー2049』 わたしの大切なこの記憶こそが現実(real)なのだ。

ラストシーンを見終わったあと、じんわりと、ゆっくりと、静かな幸福感に包まれていく。。。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

    
No.113  『ブレードランナー2049』
           原題:Blade Runner 2049
          公開:2017年10月
      監督: ドゥニ・ヴィルヌーヴ 製作総指揮 : リドリー・スコット

      出演: ライアン・ゴズリング  ハリソン・フォード  アナ・デ・アルマス 他

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■あらすじ■
デッカードがレイチェルを連れ失踪してから30年の月日が流れた。

謎の大停電によりほぼすべての情報が消失し、真実が見えなくなった世界。

自分自身もレプリカントであるブレードランナー”K”は、あるレプリカントを追ってそれが住む荒野の一軒家にたどり着く。しかし、それが大きな枯れ木の下に埋めていたものの衝撃的な秘密が、世界を、そしてK自身の存在をも揺るがすものに拡大していく。

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■1982年のブレードランナー公開から35年。

私も中学生から50前のジジイになった。

はっきり言えば不安があった。

あの大好きな『ブレードランナー』がどうなってしまうのか。

しかし、それは杞憂どころか、予想を遥かに超えた幸福として降り注いだ。

ドゥニがどれだけブレードランナーを愛しているか、世界中のブレードランナーファンには痛いほどよくわかる。

金曜の公開日に見て7日目、そろそろ熟成してきたので、なんとか文字としてその感動を記してみたいと思う。

■ブレードランナーといえば何といっても、シド・ミードがデザインし、ダグラス・トランブルが視覚効果を担当し、リドリー・スコットが見事に作り上げた映像美である。

今回のドゥニ・ヴィルヌーブ監督と撮影のロジャー・ディーキンスは、序盤で見事にそれを再現し、さらには荒涼たる赤いラスベガスの見事な’イメージ’を見せつけてくれた。

’もや’をコントロールする見事な空気遠近法が、リドリー・スコット的映像にさらなる奥行きを与え、あの’映像の魔術師’の後継者としてドゥニ・ヴィルヌーブは、映画『メッセージ』での衝撃以上のものを、むしろ安心感としてわれわれに与えてくれる。

その違和感のなさが、前作からの延長としての163分のこの物語に深く没入することを可能にしているのだ。

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■音楽のハンス・ジマーはパイレーツ・オブ・カリビアンを手掛けた人だけれども、リドリー・スコットとはブラック・レインやグラディエータ―での付き合いもあって、ヴァンゲリスが構築したブレードランナーの世界観を美しく再現している。

比較静かなシーンにドーンと響く重低音の効果が強烈で、これもブレードランナーと共通することだけれども、映画館だと極めて強烈。爆音上映だと、いったいどうなってしまうのだろうか。

■今回の原案と脚本は、前作でも脚本を務めたハンプトン・ファンチャー。

現在79歳。

その高齢でこのプロットを書き上げたのだから恐れ入る。

前作と同じくハードボイルドタッチだが、『ブレードランナー』で、逃げる女を背中から撃ち殺し、レイチェルに関係を強要する粗野なハリソン・フォードに対して、今回のライアン・ゴズリングは知的で影をまとった優男であり、複雑な物語をしっかりと牽引していく。

ハリソン・フォードとショーン・ヤングの組み合わせは、かなり観客を突き放した存在だったが、ライアン・ゴズリングとアナ・デ・アルマスの組み合わせは、深く我々の感情移入を許すので、そのあたりが、『ブレードランナー』と『ブレードランナー2049』の作品の方向性の大きな違いとして挙げることが出来るだろう。

『ブレードランナー』の硬質な感じはあれでいいし、今回の『ブレードランナー2049』のプロットはこれでなければ成り立たない。

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■さて、天才科学者ウォレス(ジャレッド・レト)である。

今回の『ブレードランナー2049』で一番懸念していたのは、『プロメテウス』、『エイリアン:コヴェナント』という『エイリアン』前日譚でリドリー・スコットが語りだした”神”についてのテーマだ。

制作総指揮のリドリー・スコットが話をそっちに持って行ってしまうのではないか、人が個人として持つ根源的不安について語るはずのブレードランナーに、人類全体の進化とかそういうヴィジョンを持ち込んでしまうのではないか、という心配だったのである。

その役割を担うのがウォレスである。

彼は、タイレル博士の後継者でありながら、タイレル博士がロイ・バッティに見せた息子に対するような人間性は一切みせない。

生み出したレプリカントとは決して同じ地平には立とうとしないのである。

これこそが神の立ち位置だ。

彼が盲目であることは、逆説的にすべてを見通せるという印象を我々に与え、ジャレッド・レトの演技によって完成する。

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腹心をつとめるラブ(なんと象徴的な名前だろう)は、最後まで決してウォレスを裏切らないが、そこにある畏れ(恐れではない)は、まさに神に対する愛。

創造主に対する、われわれが使う【愛】とはまったく異なる【Love】なのである。

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しかし、見終わってみれば、神であるウォレスはKに対する対照的存在に過ぎないことがわかる。

あくまでも『ブレードランナー』は『ブレードランナー』であり続け、「リドリーさん、趣味に走らないでありがとう」と、われわれは深く胸を撫でおろす。

■では、この映画のテーマは何か。

原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、P・K・ディックは、人間を定義づける者は何か?というテーマを提示した。

1982年の『ブレードランナー』(及び最終版、ファイナルカット)では、出来事の外側からリドリー・スコットらしい語らずの語りとして、それを描こうと試みた。

そして、今回の『ブレードランナー2049』はKの内側の物語として再び『ブレードランナー』を語ることで、われわれの心に感情としてそのテーマを忍ばせてくる。

これ以上語るとネタバレになるので言えないのだけれども、前半部分ですでにイメージとしてそれは示されている。

■Kが処分するネクサス8型アンドロイド、サッパー・モートンの農場の風景は、静謐なソ連の映像作家アンドレイ・タルコフスキーの世界そのものであり、ぽつんと立つ枯れた木と家を燃やすシーンはもう明らかに彼の遺作となった『サクリファイス』(1986)へのオマージュだ。

『ブレードランナー』から引き継いだ、人間とは何か?というテーマに対するドゥニ・ヴィルヌーブの回答は、サッパー・モートンという存在を通してしっかりと刻み込まれている。

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タルコフスキーは語っている。

《この分かたれた世界で人が人といかにして理解しあえるのか? 互いにゆずりあうことでしか可能でないでしょう。自らをささげ、犠牲とすることのできない人間には、もはや何もたよるべきものがないのです。

私自身が犠牲をなしうるか?

それは答えにくい事です。私にもできないことでしょうけれども、そうなれるようにしたいと思います。それを実現できずに死を迎えるのは実に悲しい事でしょう》

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以下、ネタバレに入ります。

宇宙イチかわいい、アナ・デ・アルマスちゃんの写真のあとにネタバレに入りますので、必ず鑑賞後に先へとお進みください。

ああ、アナちゃん

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

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■『ブレードランナー』のディレクターズカットである最終版で示された驚愕の疑問が、「デッカードがレプリカントなのかどうか」というテーマである。

例の「ユニコーンの夢」と、ふたりの逃亡を許したガフが残す折り紙が示唆するもの。

今回その答えが示された。

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Kと対峙したときにデッカードが見せる屈強な戦闘能力。

高濃度の放射能にも耐えうる肉体。

基本、レイチェルと同時に試作されたレプリカントであることは間違いないだろう。

『ブレードランナー』でタイレル博士はロイ・バッティに対し、寿命を延ばす方法はない、と断言した。それをもってデッカードがここまで長生きするはずがない、という説があるがそれは誤りだ。

それはレプリカントが生まれた後に修正できないという話であって、そもそも4年の寿命はレプリカントが自我を持つ危険にたいする単なるリミッターに過ぎなかったことを思い出そう。その後、生殖可能な究極のレプリカントとしてデッカードとレイチェルが生み出され、互いに引き合うように巧みに誘導されたとみていい。

物語上欠番に見える「ネクサス7型」こそがデッカードとレイチェルなのだ。

では、デッカードがレプリカントだった、というのが「結論」なのか?

いや、そうではない。

■この映画のテーマは「人間とは何か?」である。

単にデッカードがレプリカントであったかどうかということは問うてはいないのだ。

ポイントは、デッカードが娘に掘った動物が、何故「ユニコーン」ではなく、「馬」だったのか。という点にある。

ユニコーンは空想上の動物であり、デッカードの夢の中にしか住むことはできない。

その夢が、デッカードをして自分が人間なのか、それともレイチェルのように記憶を植え付けられたレプリカントなのかと思い悩ませたはずだ。

あたかも原作におけるフィル・レッシュのように。

では、出産でレイチェルを失ったデッカードは娘に何を見たのか。

それは目の前の現実だ。

レプリカントであろうが、人間だろうがそんなことには意味はない。

自分の生み出した一つの命がそこにある。

その「現実(real)」がデッカード自身を解放し、悪夢として自分を苦しめる一角獣からツノをもぎ取ったカタチとして、馬を彫りだしたのだ。

これから生きていく娘の記憶は現実であり、その象徴であり、賛歌ともいえる。

■ウォレスたちに捕えられたデッカードは、アイデンティティを揺さぶられつつも

I know the real....

というセリフで対抗する。

自分の記憶は模造品かもしれないが、生き生きとした現実だ。

模造だろうが、本物だろうが、そこに意味などない。

わたしの記憶こそが現実(real)なのだ。

そんなデッカードに、形ばかりのコピーのレイチェルなどまったく通用するはずがない。

レイチェルの瞳は緑だった。

現実に緑だったかどうかが問題なのではない、デッカードの記憶、思い出の中のレイチェルの瞳の色が問題なのだ。

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原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、最後のさいごにデッカードは「生きた本物の動物」へのこだわりを捨てて機械仕掛けのヒキガエルにも愛情を覚えるようになる。

そして疲れ切った体をベッドに横たえ、情調オルガンの助けを借りずに安らかに寝息を立てる。

本物か、偽物かを決めるのは自分自身であるという地平にデッカードは、やっとたどり着いたのだ。

映画『ブレードランナー』でのデッカードは、この続編をもって、やっと原作のラストの平穏に迎えられるのである。

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■Kについてはどうだろう。

レイチェルの遺体が埋めてあった木の根元に刻まれた「6 10 21」の文字。これは自分の記憶の中の木彫りの馬の裏に刻まれた日付と完全に一致する。

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そのことが、レイチェルが生殖可能なレプリカントであるというこの世界を揺るがす秘密であることを超えて、K自身の存在を揺さぶるのだ。

デッカードを探すべく、かつての同僚だったガフを探し当て、話を聞き出そうとするシーンで、ガフが作った折り紙は羊であった。

単純な解釈で言えば、これは原作の電気羊を意味するものだろう。

’K’の由来は原作のフィリップ・K・ディックのミドルネームだと考えればすんなりとたどり着く。

しかし、もう一歩踏み込むならば、世界で初めてのクローン動物である羊のドリーに思い当たるだろう。

羊の折り紙が意味するものは、模造品である、と同時に、Kが(比喩的な意味での)クローンであるという示唆なのである。

■自分の記憶が作られたものなのか、本物の記憶なのかを確かめるべく、Kはレプリカントの記憶製作者であるアナ・ステリン博士のもとを訪ねる。

観ている最中はこのシーンはカットしても良くないかな、なんて考えてたんだけど、とんでもない。

Kの記憶を覗き見たアナ・ステリンの涙。

まさか、そんな伏線になっているなんて思いもしない。

Kともども完璧にやられてしまいました。

022

レプリカントの反抗組織のリーダーに、

「あなた、まだ自分が奇跡の子供じゃないって気づいてないの?だれでも自分がヒーローだって信じていたいもんね。」

なんて感じの極めて意地悪なセリフを吐かれる。

ここで、ああ、と絶望するのだ。

思い返せば、同じDNAの女と男。

どちらかがコピーだったということだ。(DNAが同じというのはもちろん記録上の問題で実際にアナ・ステリンとKのDNAが同じだということではない)

ここでガフが作った羊の折り紙が、コピー羊のドリーであり、Kの運命を示しているということにつながっていくのである。

ああ、なんという絶望。

■しかも最悪なことに、これまでKを支えてきたジョイはラブに踏みつぶされ、もうこの世にはいない。

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データでしか存在しないジョイは、しかしながら、Kにとっては現実だ。

つねにKに寄り添い、示唆を与える存在。

作り物ではない、その自我によって、データリンクを自ら切断し、「死」の可能性を受け入れることで「自由」を手にしたジョイ。

そしてその死は、Kを本当の生へと導く。

ジョイはそういう意味で、Kの中の魂か形となって現われた存在だったのかもしれない。

007

■Kはラブからデッカードを守り抜き、父を娘のところへといざなう。

Kの記憶は、コピーでしかなかったけれども、だからこそ、その記憶を大切に守りたかった。

それは父と娘が静かな幸せを取り戻すことで完結する。

それを成し遂げ、満たされながら降りかかる雪のなか、静かに大地へと身をゆだねるK。

ヴァンゲリスのティアーズ・イン・レインが流れ、自然とKの姿が前作でのロイ・バッティ―が死にゆくシーンと重なって見える。

前作を愛するものは、ここで流れる涙を止めるすべはないだろう。

I've seen things you people wouldn't believe.

Attack ships on fire off the shoulder of Orion.

I've watched c-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate.

All those ... moments will be lost in time, like tears...in rain.

Time to die…

… そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう

雨の中の涙のように… 

死ぬときがきた …

 

ロイ・バッティは死にゆく間際に目の前の「生命」をいつくしんだ。

限られた生だからこそ、命がいとおしい。

その想いはKへと引き継がれ、ロイ・バッティと同じ祝福に包まれながら、その生を閉じるのだ。

雨の中の涙のように。。。。

手のひらに淡く溶ける雪のように。。。。

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                     <2017.11.03 記>

 

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■【蛇足1.】

この社会の秩序を守ろうとしたマダムは、何故かラブと知り合いのようだった。

前日譚のショートムービーをみると多少わかるのかもしれないけれど、それはあとでのお楽しみにしよう。

さて、レプリカントの反抗組織は残ったし、ウォレスは健在だ。

続編をつくる余地は完璧にある。

ウォレスの組織、反攻組織、そして秩序を維持しようとする勢力。

なんだかもう、そういうのは『ブレードランナー』ではない。

こんな難解で、しかもさらに難解な35年前の前作を見ないと深く理解できない作品は大ヒットはしないだろうから、本当にそっとしておいて欲しいものだ。

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■【蛇足 2.】

小雪が降りかかる中、死にゆくKがあおむけになって何かをつぶやくよね。

このシーンを観ているときは、もうロイ・バッティばかりが頭のなかを占めていて、ぼろぼろと涙を流しながら、一緒になって

Time, to die....

って一緒になってつぶやいてたんだけど、

落ち着いて考えるとたぶん違うよね。

なんて言ってたのか気になってしょうがない。

シナリオにあったのか、ゴズリングのアドリブなのか。

たぶん後者だろうけれど、ネタバレになるからしばらくこれは明かされないんだろうな。

ブルーレイの特典映像とかまで待つのかな。。。。

うーん、もう一回観に行って確かめてこよう。たぶん分からないだろうけど(笑)。

■関連記事■

【ブレードランナー】。暗闇を切り裂く光。人間らしさとは何か。

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■【原作】P・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』


【原作】アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
(ハヤカワ文庫 SF (229)) 文庫 – 1977/3/1


【DVD】『ブレードランナー』製作25周年記念
アルティメット・コレクターズ・エディション(5枚組み) [DVD]


【文庫】〈映画の見方〉がわかる本
ブレードランナーの未来世紀 (新潮文庫)
2017/10/28 町山 智浩 (著)

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■STAFF■
監督   ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本   ハンプトン・ファンチャー
      マイケル・グリーン
原案   ハンプトン・ファンチャー
原作、キャラクター創造
      フィリップ・K・ディック
      『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
製作 アンドリュー・A・コソーヴ
    ブロデリック・ジョンソン
    バッド・ヨーキン
    シンシア・サイクスシンシア・サイクス・ヨーキン
製作総指揮  リドリー・スコット
         ティム・ギャンブル
         フランク・ギストラ
         イェール・バディック
         ヴァル・ヒル
         ビル・カラッロ
音楽     ハンス・ジマー
        ベンジャミン・ウォルフィッシュ
撮影     ロジャー・ディーキンス
編集    ジョー・ウォーカー
製作会社  アルコン・エンターテインメント
        スコット・フリー・プロダクションズ


■CAST■
K / ジョー      - ライアン・ゴズリング
リック・デッカード  - ハリソン・フォード
ジョイ        - アナ・デ・アルマス
ラヴ          - シルヴィア・フークス
ジョシ警部補(マダム)   - ロビン・ライト
マリエット       - マッケンジー・デイヴィス
アナ・ステリン博士     - カーラ・ジュリ
ミスター・コットン      - レニー・ジェームズ
サッパー・モートン     - デイヴ・バウティスタ
ニアンダー・ウォレス    - ジャレッド・レト
ココ        - デヴィッド・ダストマルチャン
ドク・バジャー        - バーカッド・アブディ
フレイザ     - ヒアム・アッバス
ナンデス     - ウッド・ハリス
ファイル係    - トーマス・レマルキス
レイチェル     - ショーン・ヤング
ガフ       - エドワード・ジェームズ・オルモス

【小ネタ】Kはロボット刑事♪

Wikipediaより 
企画時の作品タイトルは『ロボット刑事K2』。その後、主人公の名前が変更されて「ロボット刑事J(ジョー)」となり、最終的にタイトルは『ロボット刑事』に決定した。Kの愛車の名が「ジョーカー」なのは、その名残である。

・・・Kにジョーという名前をつけたジョイは、相当な特撮オタクと見た♪

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2017年11月 2日 (木)

■【書評】『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』 豊田有恒 著。並べられた事実だけでは真実は見えない。当時の空気が再生され、行間が満たされたとき、はじめて真実が立ち上がってくるのだ。

オリジナルのヤマトに心躍らせた世代は、読んで損はない本だ。それだけでなく、サブカルチャーをこよなく愛する若きオタクたちも、オタク道(SFマニア道?)の長老の声を一度は聴いておくべきだろう。

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■豊田有恒さんは、のっけからお怒りである。

宇宙戦艦ヤマトについてのインタビューを大手新聞社(明らかに朝日新聞)から受け、発言を捻じ曲げられたばかりでなく、ヤマトを反戦の主張に政治利用されたと怒っているのだ。

その怒りがこの本を書いた原動力なのだという。

それ故に、今、われわれが失われてしまうはずの当時の息吹をこうやって知ることができたという意味で、朝日新聞さまさまなのである。朝日新聞Good Job!

■さて、現在御年79歳の豊田有恒さんは、SF小説の大家である。

とはいっても、中高とSF小説を読みふけった私も豊田さんの本は読んだことはなく、豊田有恒といえば、むしろテレビアニメ(当時はテレビまんが)創世記の立役者だという方がしっくりくる。

何しろ、「鉄腕アトム」でオリジナルの脚本を書き、「8マン」の企画設定、シナリオを描き、そして「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案(本人いわくSF原案)に携わった人なのだ。

いや、恥ずかしながら実はヤマトの企画原案が豊田有恒だという認識はあまりなかった。

きっと西崎義展の企画案をベースに松本零士と藤川圭介が組み立てたものだとばかり思っていた。

事実、Wikiでも、例の裁判のせいか知らないが企画原案:西崎義展、山本暎一となっている。ちなみに第一話のクレジットは企画原案:西崎義展、監督:松本零士、脚本:藤川圭介、演出:石黒昇、監修:山本暎一、舛田利夫、豊田有恒となっている。

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本人は著作権に関しては、おおよそ松本零士。あえて分けるなら豊田有恒が20%、藤川、山本が10%ずつ。というイメージらしい。

しかし、それはあまりに謙遜のし過ぎである。

「アステロイド6」という企画原案をたてて、それが、異星人の放射能汚染攻撃によって地下に逃げ延びた人類に残された時間は1年。アステロイドの小惑星をくりぬいて宇宙船にしたて、遥か銀河の中心に放射能除去装置をもらいにいく、という内容だというのだから、もう骨格は出来上がっていて、「地球に残された時間はあと●●日」という、当時小学生だった私をどきどきさせたあの演出まで入っているんだから著作権はともかく、企画原案は豊田有恒以外に考えようがない。これを「企画」と呼ばずに何が企画か、といえるだろう。

豊田さんはあまりにSFマニア過ぎて、戦艦大和を持ち出した松本零士の感覚についていけなかったようで、しかしながら戦艦ヤマトでなければ、この作品になり得なかったことも十分理解しているのでこういう発言になっているのだろう。

■本書には、そういった「宇宙戦艦ヤマト」成立までの経緯について、一番初めに西崎義展にハインラインの「メトセラの子ら」みたいな企画を考えて欲しいと持ち掛けられた、まさに最初の一歩に関わった人間だからこそ語れる内容があふれている。

この内容は松本零士ですら語ることはできないだろう。

そして重要なのは、その前に関わった「8マン」や、「鉄腕アトム」を含めて、当時の制作現場の空気を再現しながら、シナリオ、企画を立てたその自分の頭の中の筋道を開示していることだ。

科学知識を延長しながら、物語の骨格を誰もが想像し得ないあの中国の古典に求めたり、スリルや驚きの真実を仕込んでいく様子は、読んでいるこちらもわくわくしてきてしまう。

これは現代のクリエーターにとって大変貴重なことである。

創造とは、まさにこういうことなのだから。

一方、紙面のかなりの割合を西崎義展への恨み節に費やしてはいるが、なかで本人も書いている通り、勝負師(あるいは山師)としての西崎義展がいなければ決して「宇宙戦艦ヤマト」は誕生しなかった。

このプロデューサーに要求される人たらしの能力の大切さも、恨み節の裏で見事に描き出されているのだ。

本書は決して西崎批判の本ではない。

もっと広い意味での創造に関する知恵のつまった本なのである。

■ところで本書のP66あたりから、とても気になる記述がある。

原子力発電所に関する記述だ。

まったく知らなかったが、豊田さんは1980年当時から原発について足を運びながら深く研究をしていたようだ。

(豊田さんの本を下に貼り付けました。今は懐かしきNON BOOK!あの、「ノストラダムスの大予言」とか出してたところ)

で、その内容はというと

・原子力発電は、そもそも原子力潜水艦の地上テスト施設を商用化することで始まった。

・原潜に採用されたウェスティングハウス社の加圧水型(PWR)に対し、開発が遅れたゼネラルエレクトリック社(GE)の沸騰水型(BWR)の投資を回収するため、日独への採用が進められた。

・その時のアメリカ製一号炉が福島第一原発。

・アメリカのマニュアル通りに建設したが、アメリカの設計思想はトルネードのリスクを回避するために電源設備を地下に設置、それが仇となって、3.11東日本大震災の事故へとつながった。

というもの。

■Wikipediaを見ても、当然のことながらGE救済のためにアメリカから圧力があったなんて話は出てこないが、ターンキー契約の話はあって、GEが設計から建設まですべてを請け負ったのならば、アメリカ式の設計思想で進められたとしてもおかしくないし、実際、なぜこの水の国日本において、水を被ったり溜まったりする地下施設に最後の命綱である予備電源が設置されたのかという謎も、この説なら合点がいく。

なかなか、深く調べた人でないとこういう経緯は分からないし、いったいどういうことが起きたのか?という意味では、今は喪失してしまった当時の「常識」というものが行間から抜けてしまった現在ではリアルにそれを理解することは非常に困難だ。

村の古老が語り聞かせる、

じゃないけれど、文字として残った情報だけでは理解できないことが、かつての時代の息吹を実際に肌で感じて生きてきた人の言葉によってはじめて再現されるわけで、年配の方のお話はしっかりと耳を傾けるべきだという話だ。

なお、豊田有恒さん自身は盲目的な反原発には強い批判を加えているらしい。いかにも科学技術オタクらしい姿勢である。

■歴史というものは、年表として理解される。

教科書にしても、ネット情報としても、その背景が記述されてはいるものの、その時代の人が「当たり前」としていたことは、現在では当たり前どころかすっかり忘れされれているもので、その「当たり前」が抜け落ちた瞬間に、行間に漂う意味を失った歴史の年表や教科書はただの事実の羅列にすぎす、その意味するところにたどり着くことはとても難しい。

私自身、来年50歳になるのだけれども、中学高校時代、常に社会の背景に存在した東西冷戦構造というものは、いまや跡形もなく、その「当たり前」が抜け落ちた憲法9条や日米安保条約を、平成生まれの人たちはどうとらえているのか、その行間をどう埋めるのか、と考えたときに、実際の感覚としてそのことが理解できる。

きっとそれは戦前、戦中派の人たち、戦後復興を担った人たちが我々の世代に感じたことでもあるのだろう。

歳をとらないと、そういうこともなかなか理解できない。

■この本のタイトルは『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』である。

豊田有恒さんや、編集者がどこまでそれを意識していたかは定かではない。

けれども、豊田さんの語り部としての能力が優れていることによって、われわれ世代が何度「宇宙戦艦ヤマト」を見ても理解できない行間があったのだと気づかされる。

その行間を埋めるものこそが「真実」なのだ。

冒頭での朝日新聞の記者が「反戦」の象徴としてヤマトを扱ったことに対する怒り。

そうじゃないんだ。

あれは、あくまでもエンターテイメントなんだ。

作り手も楽しんで作ったんだ。

楽しんで、愛着があって、大好きで。

だからずるずるとダメだと思いながらも続編づくりに加担し続けたんだと。

その「大好き」という気持ちが詰まっていた行間を、変な政治性で埋めようとした記者が許せない。

つまり、「宇宙戦艦ヤマト」の真実とは、楽しかったこと、愛着が強くうまれたこと、だから西崎義展氏に搾取されようとも、ヤマトに関わり続けられた。

だから、著作権を西崎義展氏に根こそぎ奪い取られた松本零士もいまだに「ヤマト」を愛し続けることができるのだと。

大切なのは「大好き」という気持ちそのものなのだ。

それが、我々が「ヤマト」以降に育んできたオタク文化の命なのだ。

豊田有恒先生、どうもありがとう!

どうぞいつまでもお元気に、怒りをぶちまけ続けてください(笑)

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                        <2017.11.02 記>


【新書】「宇宙戦艦ヤマト」の真実 (祥伝社新書)– 2017/10/1 豊田有恒 (著)


【DVD】宇宙戦艦ヤマト DVD MEMORIAL BOX

■私が好きなアニメを3つ挙げろと言われれば、大人のカッコよさとエロスを少年時代の私の胸に焼き付けた初代『ルパン三世』、涙も枯れる群像劇の頂点『伝説巨神イデオン』、映画ファンのための宝箱としての『装甲騎兵ボトムズ』なのだけど、何故かDVDを見返すのは、それらを差し置いてこの『宇宙戦艦ヤマト』なのである。

自分の映画ファンとして、アニメオタクとしての原点がきっとこの作品にあるからなのだろう。だから自分にとっては他と比べることの出来ない絶対王座に君臨する作品なのかもしれない。


【Blu-ray】宇宙戦艦ヤマト2199 Blu-ray BOX (特装限定版)

■『宇宙戦艦ヤマト2199』は自ら誰にも負けないヤマトフリークを自称する出渕裕監督による『宇宙戦艦ヤマト』のリスペクトあふれるリメイクである。

情感の面で少し(というか、かなり)引っかかるところはあるが、作品としてはとても見ごたえがある作品となっている。

もちろん松本零士の名はクレジットされていない。

出渕裕監督は松本零士に謝りに行ったのだという。自分の責任ではないけれど、原作ファンならば当然の気持ちだろう。

その時に、松本零士は

「わかった、やるからには、頑張って、良い作品を作りなさい」

と励ましたそうだ。

これもまた「ヤマト」への愛情のなせる業だろう。

その後、出渕裕監督は宣言通り、『宇戦艦ヤマト2199』に続く、『宇戦艦ヤマト2202』の監督を受けていない。

たぶん、この新シリーズも延々と続くことになるのだろう。

それに耐えられないという出渕裕監督の判断もひとつの愛のかたちだ。

そして、いろいろな愛を乗せて「ヤマト」の航海は永遠に続くのである。

 

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【NON BOOK】原発の挑戦 足で調べた全15カ所の現状と問題点(祥伝社、1980年)

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2017年10月31日 (火)

■【書評】『教えてみた「米国トップ校」』 佐藤仁 著。 アメリカ大学事情の姿を借りた【知】の現場をめぐる人間論。

日本の知力は決して負けていない。

それを支えているのは、経済的にも社会的にもどうでもいいことに対する好奇心と、それを許容するおおらかさである。


【新書】教えてみた「米国トップ校」 (角川新書)  2017/9/8 佐藤 仁 (著)

■アメリカを動かすトップエリートたちを輩出し続けるハーバードやプリンストンといった一流大学は世界大学ランニングで万年低評価の東大なんぞより格段に素晴らしい大学だと我々は信じ込んでいる。

曰く、

・入学はやさしいが卒業は難しい
・討論形式の授業は日本の退屈な講義に勝る
・異彩を放つ人材の宝庫

しかし、東大を出てハーバードで修士をとり、現在は東大で教えながらプリンストンでも教鞭をとる佐藤仁氏は、本書でその常識を打ち壊す。

そこに描かれ米国エリート校の実態は、高校時代の成績がオールラウンドでトップクラスを維持しながらも入試の論文でアピールするための「経験」獲得に汲々とする受験生、入学したらしたで就職のために大学での成績ばかりを気に掛け、それぞれの主張はあるがどこか似たような雰囲気の学生たち、というものだ。

■その一方で、役に立たないことでも学ぶことが出来、相互扶助でギスギスしない、風変わりな個性を醸し出す学生をも包み込む東大のおおらかさが示される。

しかも論文の構成力などから考えて、決して東大の学力が劣っているわけではなく、全般に少し冷めていて突破力のある学生が少ないという性格の差があるだけだ。

佐藤氏は、それを自らの経験を交えながらも学者らしくデータを示しながら論理的に解説していく。

しかしながら氏はそういった「データの数値」を構成するひとりひとりの生徒にもまなざしを向ける。それは決して体験した者にしか語れないものだし、それ故にそこいらの評論家には決して真似をすることのできない深みがそこに横たわる本質をしみじみと伝えてくれる。

しかもその手法によって、アメリカと日本の社会的、文化的背景が肌身の感覚として立ち上がってくる。ここにおいて本書は単なる「アメリカエリート大学受験情報本」という枠を大きく逸脱し、アメリカの圧倒的パワーの裏に潜む「孤独」や、日本が守るべき強みとしての「寛容」が描き出される。

そしてそれはらせんを描くように「【知】とは何か」という高い地平で再び大学論に舞い戻る。

大衆受けのする「キャッチー」なテーマに隠して本来語りたいことを密かに語る、そういう小気味いい、ある種の狡猾ささえ感じさせる展開であり、氏の戦術的知性がうかがえて面白い。

■今回あぶりだされた

「グローバリゼーション全盛の世界における【知】の問題」と「日本の大学が担うべき役割」

というテーマはあまりに重要で深い問題であり、これについては次回作でさらに掘り下げて語っていただきたい内容である。

たぶん、その鍵となるものは氏が本書で見せた「【データ】を構成するひとりひとりの生きざま」に対するまなざしに関わるものであり、それ故に、日米の大学比較という表層の論議以上に著者が語るにふさわしい内容だと思われるからだ。期待して待つ。

 

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                        <2017.10.31 記>

この記事は、2017.9.14にAmazonに投稿した内容を加筆修正したものです。

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2017年10月26日 (木)

■【調べてみた】詩織さん強姦不起訴処分。強姦って警察特有の体質によって事件化、起訴されないって本当なの?

ジャーナリストの伊藤詩織さんが10月24日、外国人特派員協会で会見し、日本における性暴力被害の課題を訴え、「タブーを破りたくて顔も名前も出した。日本の司法、社会システムは性犯罪被害者のためには、ちゃんと機能していない」と語った。(ハフポスト日本)

Photo

■伊藤詩織さんの件は被疑者の山口敬之氏が元TBSワシントン支局長で、安倍晋三首相にもっとも近い政治ジャーナリストともいわれていることもあり、圧倒的に強い立場を利用したと思われること、権力との関係という点から、不起訴となったことに強い物語性を生んでしまい、本来彼女が主張している【強姦という罪が起訴されにくいどころか事件化すらされない不条理】ということが、すっかり隠されてしまっている。

そこで、実際にどうなっているのかを平成27年版 犯罪白書で調べてみた。

【Q:強姦罪は本当にそれほど検挙、起訴されてないのか?】

Photo_2

まずは、認知件数と検挙件数の推移。

平成に入って1,700件程度に落ち着いた認知件数が、平成9年から増え始め平成15年頃には2,500件にまで1.5倍に急増。その後なぜか平成23年頃に向けて1,250件にまで急降下。

それに呼応するように、検挙率は90%程度だったものが、平成15年頃に60%にまで低下。それがまた88%にまで戻している。

検挙件数自体に着目すると、上記乱高下に関係なく1,500件程度で推移、認知件数の低下に合わせて低下していく。

どうやら検挙率の急変動の原因は検挙数が上昇しないことにあるようにみえる。

それの原因は、警察官の絶対数の問題とか、検挙数の目標が達成されたらもういいや、とか、いろいろ考えられるけど、そのあたりは推測の域をでない。

いずれにせよ、検挙率の低下は警察が知っていながら検挙しなかった件数が、それまでの200件ほどから平成15年頃には1,000件ほどにも膨れ上がり、泣き寝入りした女性がずいぶんいたということが推察される。

伊藤詩織さんの指摘にもあるが、警察が強姦を事件化することを拒むこと、巷には、警察での被害者の事情聴取が犯人の取り調べのような形で行われることがあるとするならば、それはどうもこの時期に起き始めたことのように思われる。

そのあたりは検証が難しく、警察内部からの告発を待つしかないのかもしれない。

また、平成9年から急増したそもそもの認知件数の理由についてもよくわからず、そこはさらに踏み込んでみていく必要がありそうだ。

■次に、起訴率を見てみよう。

Photo_4
Photo_5

上で見た検挙数は平成19年ごろまで1,500件くらいで一定に推移し、その後ゆっくり低1,100件程度に低下したことと合わせて上のグラフを見てみよう。

起訴率は70%程度で推移していたものが、平成18年から急激に低下を開始し、平成26年では37%と、実に半分くらいに低下してしまっている。

Photo_6
Photo_7

一番下の黄緑が起訴猶予、水色が起訴不十分、黄色が起訴の取り消し、紫が時効完成である。

起訴猶予が大幅に減少し、嫌疑不十分が倍増している。

そもそも起訴猶予とは何か、

【起訴猶予】
犯罪の疑いが十分にあり、起訴して裁判で有罪に向けて立証することも可能だが、特別な事情に配慮して検察が起訴しないこと。 比較的軽い犯罪で、本人が深く反省していたり、被害者と示談したりした場合に選択する。 同じ不起訴でも、証拠が足りず犯罪の疑いが弱いと判断して起訴を見送る「嫌疑不十分」とは異なる。

要するに、なあなあはやめて、疑わしきは罰せず、と言い換えたということか。

けれど、二つを合わせるとほぼ一定の割合なので、今回の検討の目的とずれるから、気にはなるけれどもここは置いておく。

で、割合が増えているのは時効完成で、5%程度だったものが、平成18年に10%へと倍増し、平成26年には18%にもなっている。

検挙件数、不起訴率×時効完成の割合でみると

平成17年 1,600件×35%×10% =56件

平成26年 1,200件×63%×18% =136件

と80件の増加。

一方、不起訴件数は

平成17年 600件

平成26年 750件

と、150件の増加であり、検挙数が25%も減ってるのに、なんで不起訴が増えてるの?という疑問は置いておいてくと、時効完成の増加によるものが80件だから、実に不起訴件数急増の半分以上は時効完成によるものだと分かる。

殺人や懲役15年以上の場合を除き、強姦の時効は7年。

平成11年以降に発生した強姦罪は時効になる確率が上がってきているということだ。

突如警察や検察の捜査能力が低下するはずもなく、認知件数は増えたが検挙の件数は一定なのだから、検察が放置している可能性もぬぐい切れない。

平成11年は、強姦の認知件数が急増した平成9年の2年後。

ここでつじつまが合ってくる。

先の「起訴猶予」から「嫌疑不十分」への転換が始まったのも平成11年。

ここで検察が方針転換を図った可能性が極めて高い。

では、なぜ平成9年から強姦の認知件数が急増したのか。

少し視野を広げて重要犯罪全般について俯瞰してみよう。

重要犯罪(殺人、強盗、放火、強姦、略取・誘拐及び強制わいせつ)の認知件数の推移をみてみる。

Photo_8

少し遅れはあるが、平成11年から重要犯罪は急増している。

検挙率も90%から50%に大幅低下。

ほぼ強姦の状況と合致する。

平成11年の強姦の認知件数は1,300件で、全体の14,700件のほぼ10%。

時期の多少のずれは、その寄与度から考えれば誤差と言えるだろう。

では、この時期に何があったのか。

平成9年と言えば1997年、バブル崩壊の影響が明確になってきた年である。

就職氷河期のピークが1998年。

バブル崩壊直後の後のリストラの第1回目のピークが1999年。

まさにそういう年だ。

前回調べた実質賃金指数(受け取る賃金の実感を表す指数、賃金を消費者物価で割ったもの)の推移を示す。

ITバブルを挟んで日経平均は暴落し、実質賃金は下がり続けた。

そして、2003年の不動産バブルの開始をもって、重要犯罪認知件数も、強姦罪の認知件数も頭打ちとなり、減少に転じている。

Photo_9

つまり、不況が重要犯罪増加の原因となっていた状況証拠ということになる。

特に性犯罪は、性欲そのものというよりも、ストレスのはけ口として行われるという説も濃厚で、膨れ上がった社会不安が、強姦の増加の要因となる理屈も成り立つのである。

その後、犯罪認知率が再び低下したのは、人がストレスに慣れてしまった、という見方もできる。

■さて、検挙率、起訴率である。

強姦を含む重要犯罪が激増した結果、警察や検察が対応できなくなってきた。

その結果、警察や検察が最重要案件に限られた資源を投入するため、そのほかの案件については検挙や起訴を見送ったとしても不思議ではない。

その方針の結果として、強姦の訴えに対してそれを拒む態度が従来からあったかどうかは不明だけれども、それが加速したとみるのが、この見立てから導かれる結論だろう。

かつての検挙率90%、起訴率70%は、決して小さな数字ではなく、その後の検挙率60%、起訴率37%は明らかに低すぎる。

門前払いで認知数まで下げてしまったのではという疑いもぬぐえないものの、少なくとも現在では認知件数が元に戻り、検挙率も90%を回復したというのに起訴率がさらに下がり続ける、というのは何かがおかしい。

可能性は役所としての方針の固定化だ。

結論というには推測が多く、仮説の域をでないのだけれども、敢えて結論としよう。

【結論】:警察、検察の強姦罪不起訴の傾向は昔からあるものではなく、バブル崩壊後の不況によって重要犯罪が急増したことによる方針転換によるもので、発生率が低下した現在もその方針が続いている可能性が高い。

 

終わりに。

いま強姦などの性犯罪の被害を受け、それなのに警察や検察から人権を保護されるどころか、圧迫されるような状況にいる女性がいるとして、その原因となるものは取り除かれていて、それなのに役所としての警察、検察は一向にその状況を改善しようとしない。

しかも世間は、恒常性保持力ともいえるような【出る杭は打つ】式の思考で、彼女たちにさらなる圧力を加えてくる。

この認識が正しいのであれば、世の中はあまりにも理不尽だ。

 
こういう話は、それぞれの状況だとか、そのひとの受けたことに対する感情だとか、そういうところに寄り添った見方をするのが本流だと思うのだけれど、今回は敢えて、少なくとも考察の材料だけは公的な資料をもとに冷静な客観性を持たせようと試みた。

ロングスパンでの冷静な見方から見えてくるものがあるのではないかと考えたからだ。

自分では、それなりに問題の構造を把握できたのではないかと思っている。

しかしながらその仮説の検証は、一般個人では不可能であり、どこかの骨のあるジャーナリストや司法関係者が明らかにしてくれるのを待つばかりだ。

とにもかくにも、実名も顔も表に出して、売名行為だなんだと叩かれることをわかった上で、個人的には何のメリットもない決死の問題提起し、ジャーナリストとしての矜持を貫いた伊藤詩織さんに、少しでもお役に立てればと切に願うものである。

                     <2017.10.26 記>


■Black Box 単行本 – 2017/10/18 伊藤 詩織 (著)

 

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2017年10月25日 (水)

■【映画評】『マイマイ新子と千年の魔法』 片渕須直監督。千年のつながりに気づくとき、身近な死がやわらかく心の中に降りてくる。

Amzonで配信されているのを発見。早速視聴!ああ、このぐっとくる感じ。やっぱりいいですよ。片渕さん!

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.112  『マイマイ新子と千年の魔法』
          監督: 片渕須直 公開:2009年11月
       出演: 福田麻由子 水沢奈子 森迫永依 他

Title

■あらすじ■
戦後10年ごろの周防の国、山口。田園風景の広がる町に空想力の豊かな小学三年生の少女、新子が住んでいた。おじいちゃんから、ここは千年前にここにあった都とつながっているんだと教えてもらった新子は、おでこのつむじのマイマイをなでながら、千年前の人たちが待ちゆく姿を目の前に浮かび上がらせてはひとり楽しんでいた。

004 

そんなある日。都会から転校生の貴伊子と出会い、ともに空想のなかで遊ぶようになる。その千年前の都には独りぼっちのお姫様がいて、ふたりは彼女の寂しさに心をめぐらす。。。

003

■『この世界の片隅に』の、すずさんの世界から10年くらい後。広島のお隣の山口でのお話。

片渕監督は、この映画のイベントでのふとしたきっかけにより、こうの史代さんを知り、『この世界の片隅に』に至ったのだという。

実に運命的な作品だ。

そして、『この世界の片隅に』のあとに、この『マイマイ新子』を観ると、あの映画の要素のほとんどがすでに詰まっていることに驚くのである。

005

おおらかで毎日をたのしく駆け回るこどもたち、けれどその底流には暗くて重いものが流れていて、それを知ってか知らずか、川は流れ、草はそよぎ、雲は流れ、蝶がひらひらと遊んでいる。

原作はまったく違えども、『この世界の片隅に』の世界観そのものだ。

いや何しろ新子のお母さんがまるですずさんの10年後のようで、ありゃー、やってしもうた、とは言わないものの、不意に見せる彼女のおとぼけ具合に、ついほっこりしてしまう。

012

■そして、この物語の重要な要素は、1000年前のお姫様。

いると思っていた同じ年頃の娘は病によってすでになく、遊び友達のいないお姫様はひとり寂しく過ごしている。

そして、彼女が切り刻んで流す赤い色紙が1000年の時を超えて、新子と貴伊子たちのもとに金魚というかたちとなって現われる。

新子と貴伊子が夢想する1000年前のさびしいお姫様は実在し、その想いがふたりのもとに流れ着くのだ。

001

■あこがれのひづる先生曰く、きっとそれは諾子というお姫様で、いま我々の知る清少納言であるということをひづる先生が開いた本が教えてくれる。

017

普通の物語りならば、夢であれ、現実であれ、この寂しい歴史上のお姫様と二人を引き合わせ、困難に立ち向かう構図となろう。

しかし、1000年の時は金魚のひずると貴伊子の一瞬の夢以外に交わることはなく、この物語はあくまで現実をたどっていく。

この抑制こそが、逆に1000年という時をそのままに感じさせる。

はるか昔から、諾子の生きた平安時代を通り過ぎ、新子と貴伊子の頬を撫でて、われわれの今に、そしてこれから先に続く未来に。

流れていく時間というものを、ずっと自然は眺めてきた。

われわれが空や山々や草原に遊ぶ虫たちやせせらぐ川を眺めるとき、自然はそこに永遠を見せてくれる。

物語の終盤に、われわれが生きていく上でそれがどういう意味を持つのかを、言葉ではなく、感情として悟る。

 

『枕草子』 清少納言

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし

秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし

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019

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

小川をせき止め、小さな池を作ることで子供たちは絆を深める。

金魚のひずるを祝いはしゃぐのだが、貴伊子の失敗でひずるは死んでしまう。

という、もう一つのテーマがここで提示される。

025008

■貴伊子にとって記憶にすら残っていない母の死。

みんなが頼る年長のタツヨシ。

生き返ったひずるを見つけるべく、みんなを引っ張るタツヨシだったが、そのタツヨシが信じる強い父の象徴である木刀の裏に潜む影は、残酷な「死」という形で彼をどん底に突き落とす。

ここで物語は大きく暗転する。

014

■みんなに信頼される警察官であったタツヨシの父が、ばくちと街の女に入れあげ、借金を返せずに自死を遂げる。

そのことを知った新子は夕闇が迫る中、タツヨシのもとに向かう。

 
バー・カルフォルニアの女をやっつけてやろう!
 

タツヨシと新子の大人の世界に対する決死の殴り込みは、その悲壮さがかえって愛らしい。

繁華街に潜り込むふたりの覚悟が滲み出すシーンはとても素敵だ。

021

大人の世界と子供の世界の断絶。

しかし、タツヨシの父の死を知った大人たちは、その垣根を取り払って二人にこころを開いて見せる。

戦後10年の時代において、死というものは当たり前にあっただろうが、それ故に、分かり合える共通語でもあったのだろう。

タツヨシがずっと抱えていた強い父へのあこがれと、弱い父への反発は、父の死を受け入れることで解き放たれる。

暗い小川のなかで、新しいひずるを見つけ出す。

010

■一方、貴伊子は夢の中で諾子と重なりあり、自分がたどった道を諾子に歩ませ、村の子供にこころを開かせる。

ここでは貴伊子と新子の物語を追いかけるように1000年前での再話が行われ、時間というものは一方的に流れるのではないことが示される。

1000年前の諾子の時間も、今を生きる貴伊子の時間も、そして貴伊子の母が生きた時間も、同時に並行して流れているのだ。

記憶とか、想いをよせることがある限り、それはずっと寄り添うように流れている。

貴伊子は言葉ではなく、気持ちとしてそのことに気づくのである。

そして、ひずるの墓を史跡のそばにつくることで、ひづるは永遠に生きるよね?とおじいさんに問うた新子への答えが、ここで提示されるのだ。

タツヨシにとっての父の死、貴伊子とっての母の死、新子にとっての大好きなおじいちゃんの死。

死は、死として厳然とあるのだけれど、その思い出がある限り、その人の人生は決して死ぬことはない。自分に常に寄り添い、生き続けるのである。

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そして新子と貴伊子、諾子と古子の1000年の物語は重なりあり、続いていく。それは、わたしたちの物語りであり、未来の子供たちの物語りでもあるのだ。

ただただ自然がそれを眺めている。

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                      <2017.10.25 記>

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【関連記事】

■【マンガ評】『この世界の片隅に』。こうの史代。 小さな記憶の欠片たちの物語。

 

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■STAFF■
原作:高樹のぶ子(「マイマイ新子」マガジンハウス・新潮文庫刊)
監督・脚本:片渕須直
キャラクターデザイン・総作画監督:辻繁人
演出:香月邦夫、室井ふみえ
 
画面構成:浦谷千恵
作画監督:浦谷千恵、尾崎和孝、藤田しげる
メインアニメーター:川口博史、今村大樹
美術監督:上原伸一
美術:桐山成代、今野明美、野崎佳津、岡田昌子
色彩設計:橋本賢
撮影監督:増元由紀大
CGディレクター:矢山健太郎
編集:木村佳史子

音楽:村井秀清、Minako "mooki" Obata
音楽プロデューサー:岡田こずえ
主題歌:「こどものせかい」コトリンゴ(commmons)
挿入歌:「Sing」(作詞・作曲:Joe Raposo、編曲:村井秀清、歌:杉並児童合唱団)

山口弁監修:森川信夫
山口弁指導:久野道子
翻訳協力:兼光ダニエル真
草笛演奏:河津哲也
後援:山口県/防府市/山口県教育委員会
協力:山口県フィルム・コミッション
支援:文化庁
エグゼクティブプロデューサー:丸田順悟
チーフプロデューサー:高谷与志人
プロデューサー:岩瀬智彦、市井美帆、松尾亮一郎
共同プロデューサー:二方由紀子、赤瀬洋司
アニメーション制作:マッドハウス


■CAST■
青木新子:福田麻由子(主人公の少女)
島津貴伊子:水沢奈子(東京からの転校生)
千年前の少女・諾子:森迫永依
青木長子:本上まなみ(新子の母)
青木光子:松元環季(新子の妹)
青木小太郎:野田圭一(新子のおじいさん)
青木東介:竹本英史(新子の父)
青木初江:世弥きくよ(新子のおばあさん)
鈴木タツヨシ:江上晶真(頼れる兄貴分)
シゲル:中嶋和也(新子の友達)
ヒトシ:川上聡生
ミツル:西原信裕
一平:冨澤風斗
タツヨシの父:瀬戸口郁
バー・カリフォルニアの女:喜多村静枝
オヤブン:関貴昭
四郎:海鋒拓也
ひづる先生:脇田美代(山口放送)
庶務課の藤原:阿川雅夫(防府市役所)
千古:奥田風花
多々良権周防介:小山剛志
清原元輔:塚田正昭

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