2017年7月21日 (金)

■【社会】上西小百合議員と笹原雄一秘書がTBSのビビット生出演。これって炎上商法に対する便乗商法だよねえ。

っていっても、見ちゃうんだけどね。

もう、

キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!  って感じ。

20170721uenishi

■とりあえず、今回はこのツイートで炎上商法みたいだね。

浦和酷い負けかた。親善試合は遊びなのかな。
2017年Jul15日 21:01

サッカーの応援しているだけのくせに、なんかやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ。
2017年Jul16日 20:02

■ツマンネ。

と思って、この人あんまり気にしてなかったんだけど、朝からテリー伊藤が吠えてたから、つい見ちまった。

途中から、アクシデントっぽく笹原秘書も参加して、台本通りなんだろうけど、もう二人の関係が面白くてチャンネル変えられなくなっちゃった。

TBSの思うつぼ。。。(泣)。・゚・(ノД`)

■でもやっぱ、「アホの子をみんなでいじめるの図」って楽しいよね。

まだ現役議員だから「水に落ちた犬」ではないからね。

僕らの税金で暮らしてるんだし、もともと当選2回とも比例復活だから、だれも直接上西議員を選んだわけでもない。

本来なら比例当選なんだから維新の会を除名された時点で議員辞職すべき人なんだけど、本人はまだまだ政治家気どりだからね、こういう厚顔無恥な人間をイジメるのって、ほんとに楽しい。

それをうまくショウアップしたTBSがうまい。

品性は下劣だけど。

テリー伊藤も、上西議員の品格を云々いってたけど、こんな番組で「いじめゲーム」に参加してるあなたの品性も相当に下劣だよ。それを見てこんなくだらない記事を書いてる僕もそう(笑)。

まあ、上西議員が当選しようが、落選しようが、国政には全く影響がないから、安心してみてられるし、まじめに考える話じゃない。

安心して下品を楽しめる話ではある。

みんなわかっててやってるからなあ、やっぱり日本は平和だよねえ。

 

いや、でもさ、国民ファーストの会なんてのが出来て、来年の総選挙で候補議員をかき集めるとしたら、こういう「アホの子」が山ほど当選するんだろうね。

そっちの方がこわいな。。。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

                   <2017.07.21 記>

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月19日 (水)

■【航空機】第5世代戦闘機T-50/PAK FA。ロシアの戦闘機って、やっぱりかっこいい!戦闘機の正義って「かっこよさ」なんだよなあ。

18日、航空ショー「国際航空宇宙サロン」がモスクワ郊外のジュコフスキーの飛行場で始まった。第5世代戦闘機T-50/PAK FAも出てますよー!

というわけで、改めてPAK FAを見ていきたいと思う。

20170719pakfatenji

■T-50/PAK FAはロシアのスホーイが開発中のステルス戦闘機。ステルス性能はもちろん、スーパークルーズ能力、アクティブ電子走査アレイ(AESA)レーダーと人工知能システム、ヘルメットマウントディスプレイを装備する。ノズルもSu-37でも採用された推力偏向式(スラストベクタリング)。まさに最新鋭の戦闘機だ。

20170719pakfa01_2

上面から見ると、機首からエアインテーク上面にかけてのシルエットがF-22みたいだけど、角度を変えるとずいぶんと印象が違う。

20170719pakfa03

コクピットは上にせり出し、インテーク上面にはLEVCON(Leading Edge Vortex CONtroller:前縁渦流制御装置)と呼ばれるストレーキが設定されている。

20170719f22_02

一方のF-22は極限のステルス性能を目指したのだろう、極めてのっぺりとした印象だ。

この違いはどこから来るのかといえば、PAK FAはあきらかに近接格闘戦を意識しているということなのだろう。

Su-27フランカー、Mig-35ファルクラムMは鶴首が特徴的で、PAK FAもステルスとしてそこまでの鶴首はないにせよ、パイロットの視界はかなり良さそうだ。

ヘルメットマウントディスプレイなら、そんなのいらんだろ、という気もするが、それでも直接視界にこだわる頑固な姿勢が、なんともこころを揺さぶるのである。

■そして、なんといってもエアインテーク前のストレーキである。

インテグレートされたカナード翼にも見えてかっこいいのだけれど、機能としてはもちろん、機動時にエンジンへの流入空気が前縁で剥離して推力が低下することを防止するものだ。

スラストベクトリングと合わせて高機動をかなり意識しているのだろう。

現代の空戦は艦船も含めたレーダーシステムと複数の航空機による大規模なデータリンクをもとに、目視圏外からの長距離ミサイルで決まるといわれている。

そういう意味では、近接空戦能力にこだわってどうするんだ、という気もする。

■けれど、それって寂しいよね。

戦闘機はドックファイトをやってこそ、「かっこいい」のである。

いやいや、F-22もなかなかのもんだよ、ということなのかもしれないが、それが「カタチ」に現れていないから、物足りないのだ。

PAK FAの「カタチ」をみていると、プガチョフ・コブラやクルビットが出来なきゃいかんよね、というある種のバカバカしささえ感じてしまう。

そこがいいのだ。

兵器としての「強さ」はある意味どうでもいい。

兵器の「かっこよさ」は、その合理性にあるとは思うのだけれど、こと戦闘機に関しては「戦争に勝つ」ことよりも、すごいマニューバーに「かっこいい」がある。

プガチョフ・コブラとか、そんなに速度落としたら、敵の僚機がいたならば「カモ」になるんじゃないか、という心配をしてしまうのだけれど、面白ければそんなことはどうでもいいのである。

ロシア人とは一度しか会話したことがないからよくわからないのだけれど、イギリス人に言わせると、奴らの運転をみてるとホントにクレイジーだぜ、ということらしく、ロシアの戦闘機のかっこよさって、そういうクレイジーがカタチに現れてるからなんだろうな、と思う。

20170719pakfa04

うーん、やっぱ、これが戦闘機だよね!

                       <2017.07.19 記>

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■【映画評】『楽園追放』 アンジェラ・バルザックはロイ・バッティである。結局、人のこころを動かすのは、人のこころの動きなのだ。

80年代のSF映画ファンにはたまらない映画である。これは、おっぱい美少女電脳ロボットアニメのフォーマットを使った古き良きSF映画であり、人のこころに響く人間賛歌なのである。

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.109  『楽園追放 -Expelled from Paradise-』
          公開:2014年11月
      製作 野口光一 監督 水島精二  脚本  虚淵玄 
       出演: 釘宮理恵 三木眞一郎 神谷浩史 他

Title3  

■あらすじ■
ナノハザードにより廃墟となった地球を棄てて人類の多くは、データとなって電脳世界ディーヴァで暮らすようになっていた。 そのディーヴァが地上世界からの謎のハッキングを受ける。その主は、フロンティア・セッターと名乗った。ディーヴァの捜査官アンジェラは、生身の体・マテリアルボディを身にまとって地上世界へと降り立ち、地上調査員ディンゴと共にフロンティア・セッターの捜索を開始する。

■「全身の骨で感じるんだよ。ビートをさ」

  お尻を露出したおっぱい美少女が聞く。

 「それって、そんなにも凄いこと?」

 「古い人類のあなたがわたしを怖がらないのは、音楽を骨で感じることが出来るから?」

   
そういう映画だ。

もう少し分かりやすく言うと、こういうことだ。

電脳美少女と泥臭い人の仁義とが出会うことによって、人間とは何か、自由とは何か、というテーマを浮かび上がらせる。

それはかつて、『ブレードランナー』でロイ・バッティが見せた一瞬の輝きであり、『未来惑星ザルドス』のラストシーンに漂う懐かしさなのである。

025

■この映画は、プロデューサーでCGクリエーターの野口光一が中心となって企画を立ち上げたオリジナル作品で、脚本は『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵 玄、監督は『鋼の錬金術師(第一期)』の水島精二、CGモーションアドバイザーとして板野一郎を迎えている。

これはきわめて贅沢な布陣であり、 面白くないわけがない。

予想にたがわず、虚淵 玄の紡ぎだすテンポのいい展開やこころを貫くセリフ、水島精二による情感あふれる人物描写、表情、フルCGとして後進に確実に受け継がれている板野サーカスも最高に素晴らしい。

けれど、それよりもなによりも、この作品にはどこか落ち着きのある独特の空気感があって、お尻むき出しの美少女を中心に据えながらも、大人の映画にとどまっているという曲芸にひたすら感心するばかりなのだ。

作り手たちが、ぶれずに守り通したコアの部分はそこにあるのだと思う。

013

■人類が電子化された存在として電脳空間で暮らしている、という設定は特に目新しいものではない。サイバーパンクの世界を映画に持ち込んだ『マトリックス』の一歩先を進んでいるだけで、本質的には変わりはない。

また、電脳空間「ディーヴァ」がユートピアの顔をしたディストピアであり、そこを脱出する物語というのもまたしかりである。

神の顔をした保安局高官たちの存在が面白く、彼らがAIなのか、人間なのかは興味深いところだが、その設定自体は「よくある」話だ。

014_2

■けれど、そういう設定の目新しさは、この作品にとってはどうでもいいことだ。

『マトリックス』にとっては、その世界観の設定がすべてだけれど、『楽園追放』にとっての設定は単なる「ガジェット」に過ぎない。

『楽園追放』が描くのは、その「ガジェット」の中で人間が何を感じ、何を思うか、ということなのだ。

それはまさに、『ブレードランナー』や『未来惑星ザルドス』といった80年代のSF映画が描こうとしていたことであり、野口光一や虚淵 玄が目指したところもそこにある。同時代の人間として、もう痛いほどわかる。

『楽園追放』は、今ではすっかり廃れてしまった古き良きSF映画の正式な継承者なのである。

そしてそれが、『楽園追放』が、おっぱい美少女を全面に押し出しながらも大人の映画たり得ている秘密なのだ。


[Blu-ray]楽園追放 Expelled from Paradise【完全生産限定版】

012
010

   
■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■アンジェラ・バルザックはロイ・バッティである。

Roybatty_2

ロイ・バッティとは映画『ブレードランナー』に登場する逃亡アンドロイドのボス。

主人公のリック・デッカード(ハリソン・フォード)に仲間を殺され、ロイ・バッティは超人的身体能力でその復讐をする、しかし、リック・デッカードをしとめようとしながらも自らのアンドロイドとして定められた命が今まさに燃え尽きようとしていることを理解していて、最後の瞬間、リックの命を愛おしむように救うのだ。

『ブレードランナー』という映画はこのシーンがすべてである。

ロイ・バッティを演じたルドガー・ハウアーは監督のリドリー・スコット以上にそのことを理解していて、彼抜きにはこの映画は成り立たなかったであろう。

彼によって、アンドロイドのことばに表すことのできない感情が痛いほど胸に伝わってくるのだ。

人間とは何か、という問いを理屈ではなく感情として、確かな感覚を生み出すことに成功している珠玉の名シーンだ。

■プロデューサーの野口光一とシナリオの虚淵 玄は、確実にこのシーンを意識している。

ディーバにハッキングをかけたフロンティア・セッターが意識を自己生成させたAIであり、相棒で肉体をもつ地上人のディンゴがフロンティア・セッターと人間のように触れ合うさまに、アンジェラは混乱してしまう。

「フロンティア・セッターは人間なの?」

「人間かどうかなんて、どうでもいいじゃないか。」

そんなことを考え始めたら、むしろ肉体を持たないアンジェラも、人間かプログラムかどうかなんて区別できなくなってしまう。

アンジェラは、その感覚の無限の延長によって百億光年先のガンマバーストの音を聞いたり、素粒子に触れることすらできる。

けれど、骨で音を感じることはできない。

人間とはなにか、という問いが彼女の中で生まれ、育ち始める。

それはロイ・バッティが過酷な宇宙のかなたで感じ、死を前にしてその心に芽生えた感情そのものなのである。

■終盤、フロンティア・セッターの旅立ちを守るために戦うその最中、一緒に大宇宙への旅に行かないかとフロンティア・セッターに問いかけられた瞬間、アンジェラの前に世界が開ける。

034

目の前に広がるそこにはないはずの緑の地平。

ああ、まだ知らないことがある。

その瞬間、彼女は自由だ。

人間とはそういうことなのだ。

■さて、災厄の後に人間が大気圏外に脱出して以降も100年以上の歳月をかけて、外宇宙への人類移住計画を遂行し続けてきたプログラム「フロンティア・セッター」。

映画『スタートレック』の「ヴィジャー」を思い起こさせる存在だが、むしろ同じ作家による『魔法少女まどか☆マギカ』の宇宙生命体キュゥべえとの対比が面白い。

どちらも客観的、論理的思考と語り口なのだけれども、キュゥべえが最後まで「わけが分からないよ」と人間のこころを理解できなかったのに対し、フロンティア・セッターは本人も良く分からないながらも、極めて人間くさい。

その人間臭さが、アンジェラをして人間としての生を取り戻させる。

『まどかマギカ』における絶望から解放は宇宙を作り変えるほどの転換を必要としたが、『楽園追放』の解放はひとりの人間のこころのレベルでの転換によって成し遂げられる。

このあたりがこの作品が「大人」だと思うところだ。

■そして、フロンティア・セッターの旅立ちの場面。

  
歌を歌って、仁義を通して、星空に夢を見たあんたなら、

もう、人間でいいんじゃないか
 

もう、このディンゴのセリフにやられてしまいました。

033

死とか、愛とか、そういう「泣かせ」じゃない。

「真実」に触れたときに感じる震えるような感動。

もう、このシーンだけでこの映画は満点だ。

結局、人のこころを動かすのは、人のこころなんだよね。

 

                      <2017.07.18 記>

035

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

■STAFF■
原作 - ニトロプラス、東映アニメーション
脚本 - 虚淵玄(ニトロプラス)
監督 - 水島精二
キャラクターデザイン - 齋藤将嗣
プロダクションデザイン - 上津康義
メカニックデザイン(フロンティアセッター) - 石垣純哉
メカニックデザイン - 齋藤将嗣、柳瀬敬之、石渡マコト(ニトロプラス)
スカルプチャーデザイン - 浅井真紀
グラフィックデザイン - 草野剛
3Dメカデザイナー - 池田幸雄
設定考証・コンセプトデザイン - 小倉信也
演出 - 京田知己
絵コンテ - 水島精二、京田知己、角田一樹、黒川智之
CG監督 - 阿尾直樹
作画監督 - 郷津春奈
デジタル作画監督 - 山崎真央
造形ディレクター - 横川和政
モーション監督 - 柏倉晴樹
色彩設定 - 村田恵里子
モニターグラフィックス - 宮原洋平(カプセル)、佐藤菜津子
美術監督 - 野村正信(美峰)
撮影監督 - 林コージロー(グラフィニカ)
編集 - 吉武将人(エディッツ)
音響監督 - 三間雅文(テクノサウンド)
音響効果 - 倉橋静男(サウンドボックス)
音楽 - NARASAKI
音楽プロデューサー - 島谷浩作、小西岳夫
モーションアドバイザー - 板野一郎
アニメーションプロデューサー - 森口博史
チーフアニメーションプロデューサー - 吉岡宏起
プロデューサー - 野口光一
アニメーション制作 - グラフィニカ
企画・製作 - 東映アニメーション


■CAST■
アンジェラ・バルザック -  釘宮理恵
ディンゴ  - 三木眞一郎
フロンティアセッター - 神谷浩史
ディーヴァ保安局高官 - 稲葉実、江川央生、上村典子
ディーヴァ女性エージェント  - 林原めぐみ、高山みなみ、三石琴乃

●●● もくじ 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

*********************************************

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月18日 (火)

■【社会】「高度プロフェッショナル制度」という名の残業ゼロ代法案を連合が容認。資本主義の前提が崩れたいま、24時間戦う意味はあるのか?問題は残業代ではなく、われわれの生存権を脅かす「残業時間規制なし」にあるのだ。

 安倍晋三首相と連合の神津里季生(こうづりきお)会長は十三日、官邸で会談し、収入が高い一部の専門職を労働時間規制の対象から外す「残業代ゼロ」制度(高度プロフェッショナル制度)の創設を柱とする労働基準法改正案を修正する方向で一致した。

連合は修正により労働者の健康を守る措置などを強化する代わりに、制度を事実上容認した。修正後も時間でなく成果で賃金を払う改正案の骨格は維持され、成果を出すまで過重労働を強いられるとの懸念は変わらない。連合が容認に転じたことには過労死遺族に加えて、連合内部からも反発が出ている。  

「残業代ゼロ」制度は、年収1,075万円以上の金融ディーラーや研究開発などの専門職が対象。神津氏は首相との会談で「年間104日以上かつ4週間を通じて4日以上の休日確保」の義務化を求めた。  ―2017.07.14中日新聞朝刊

20170718zangyouzero

■対象となるのは、年収1000万越えの人だということだけど、なぜ1000万円かの具体的定義(上位0.5%とか、物価に対する比率とか)がないから、いつでも下げられるよね。

金融ディーラーや研究開発などの専門職といってるけど、派遣法の流れをみてみれば、拡大傾向はまぬがれないだろう。

■問題は、この法案の狙いである。

要するに、この国での働き方をどうしたいか、ということだ。

背景には残業時間上限規制があるのだろう。

その趣旨は

【働く人の心身の健康を守るために、仕事時間の効率化を図り、残業時間ゼロをめざす。】

というものであったはずだ。

そこから考えれば、今回の『「残業代ゼロ」制度(高度プロフェッショナル制度)』の狙いは、

1.「残業時間上限規制」の対象外の労働者を設けることで、不足した労働力を維持、確保し、企業の国際競争力の低下を防ぐ。

2.そのうえで、残業代の増加による経営負担の増加を防ぐ。

ということであるのは明白だ。

結局、労使、国ともに、バブル時代に流行った「24時間戦えますか」というリゲインのCMの思想から一歩も外に出ていないということだ。

■フランスやドイツの企業(自動車しか知らんけど)は6時を過ぎればほとんど誰もいなくなり、8時にはオフィスはロックされる。週末の金曜日なんかは4時には人がまばらになる。

日本でもノー残業デーなんかをやったりするけど、部課長層は「お前ら、とっとと帰りなさい」というけれど、自分はしっかり残業しているし、土曜日も当たり前のように出社している。

じゃあ、ルノーもメルセデスもフォルクスワーゲンも(最近、排ガス疑惑とかがあるにしても)企業として凋落しているかといえば、しっかりと儲けを出しているのである。

その根本的違いは、働く側のプロ意識にある、ヨーロッパにおいては働くものが自らの管理者である、というのが、彼らと一緒に仕事をして感じたことである。

日本人がなぜ残業をするかといえば、パターンは3つだろう。

・まわりが仕事しているから帰ることが出来ない。

・残業代をもらうことで今の生活を維持したい。

・仕事が山ほどあって終わらない。逆に残業すればするほど成果があがる。

みんなが残業をしなくなれば1番目は解消できるが、その「みんなが残業をしなくなる」という状態に持っていくこと自体にハードルがある。

■2番目はかなりやっかいで「給料」は「儲け」から発生するものだ、という考えがまったくなくて、本来の「労働」の意味がねじれてしまっている。

農業では、いくら働いたところで作物が出来て、それが売れないことには収入がない。

労働が「価値」を生み出すことで「利益」がもらえるのが道理なのだ。

でも、給与労働者というのは(わたしもそうだけれど)、どうしても「既得権益」という感覚にとらわれてしまう。

では農業との差は何か、と問われれば、農家は自己裁量で労働ができるが、給与労働者はその自己裁量がない、働く時間も、経営方針も自由にはならないところだ。

つまり「安定」を得るために「労働」を売り渡している。

実際、現代の「経営」と「労働者」が分離した社会においては、売り渡した「時間」の対価を「お金」で払う、というは正しく、われわれ「労働者」は、その考え方で守られている。

だから、生活のために残業をして余裕のある給料をもらうのは、ある意味うまいやり方だ。

■バブルの時代までは、誰しも働けば働くほど「商品」は売れて、経営も潤い、働いた時間だけの対価は得ることが出来た。(サービス残業があったとしても、それなりにもらえていた)

けれど、今の時代はいくら働いても「利益」が生み出しにくい状況にある。資本主義の前提が崩れたというのはそういうことだ。

蜜月の時代はとうに終わっているのだ。

業績で利益が出ないならば、「経営」は「労働」による支出を抑えるしかない。

それがブラック企業が蔓延する理由であり、それによっていまのデフレが維持されている構図だ。

社会が「払う金などない」といっているのだから、「労働者」が得る金も絞られ、こんどはその「労働者」が「消費者」という社会の構成員として、「払う金などない」という側にまわる負のスパイラルである。

そんななかで、社会構造の変化を無視した理不尽な「経営」によって、「働いても働いても成果が出ない」とプレッシャーをかけられて過労死が多発するという事態を生み、日本国憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という概念に基づき、残業時間上限上限規制が出てきたということだ。

もはや事態は生存権が侵されるレベルにまで及んでいて、「残業代をもらうことで今の生活を維持したい。」などという過去の幻想が通じる時代ではないのだ。

とはいっても、このままでは負のスパイラルが進展するばかりだから何かの逆転の機構を働かせて、ここから脱出する道を探らなければならない。

すくなくとも「時間」=「対価」という構図は壊れていくことになるだろう。

■では、3つめの

「仕事が山ほどあって終わらない。逆に残業すればするほど成果があがる。」という考え方はどうだろうか。

すでにそこそこの給料がもらえていて生活自体に問題はなく、仕事にやりがいとか認められたいとか、そういうことを求めている人がこのタイプだろう。

しばらく前の私もこのタイプであったと思う。

いわゆる猛烈というやつで、バブル最終組のくせに、バブル以前の働き方に血道をあげていたと少し恥ずかしい。

働けば働くほど利益がでる、という資本主義が機能していた時代には、かなりのパワーを発揮する姿勢だと思う。

だからこそ、日本はヨーロッパを追い抜いてアメリカに肉薄する「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代を築いたのである。

■けれど、もうそれは25年前に終わっているのだ。

それでも、われわれはその戦闘手法を変えてこなかった。

構造はとっくに変わっていたのだが、この25年のIT革命で時間を巻き上げ、スピードを格段に上げることによってしのいできた。

25年前に職場には報告書作成用マッキントッシュ・クラッシック一台だけだったものが、一人一台のウインドウズ端末が当たり前になっている。

CADもパソコンもネット環境も格段の進歩を遂げた。

私が所属していた自動車開発業界でいうならば、25年前に一週間かけてやっていた仕事は、いまや半日で出来てしまう。

けれど精密に状況が見えてきてしまう分、こなさなければならない仕事は膨大になり、つねに効率化のスピードは仕事の増加に追い越され続ける、自分の仕事をこなす時間さえままならないのに一日数百件のメールと30分刻みで放り込まれるスケジューラに追い立てられる毎日。モロボシ・ダンではないが、「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」なのである。

「仕事が山ほどあって終わらない。逆に残業すればするほど成果があがる。」

メディアに出る頭のいいIT企業の社長とかの有名人たちは、そういう仕事のやり方はセンスがない、能力がない、というけれども、こういうマラソンを続ける限りにおいて、それは真実なのである。

けれど、くやしいけれど、頭のいい人たちの言うとおり、なのだろう。このマラソンは勝ち目のない消耗戦に突入しているのだから。

■その一方で、フォルクスワーゲンをはじめとする欧州企業は息を吹き返した。

しかも、彼らは残業はしない。

「働けば働くほど利益がでる」という思想ではなく、「やるべきことをやる」というプロの姿勢をもっているのだ。

そこには「個人」があって、自分が獲得している「能力」を売る、という姿勢であり、ただ「時間」を売るというわれわれの姿勢とは根本的に異なるのである。

ヨーロッパ礼賛でもないし、彼らの姿勢がこれからの資本主義崩壊の世界で必ずしもうまく機能していくとも思えない。

けれど、少なくとも、盲目的に「時間」で解決しようとするやり方が限界に達しているのは事実であり、学ぶべきことはあるだろう。

各個人が自分の能力を自分の頭で考えて、「自分にできることをやる」という働き方である。

仕事は降ってくるものではなく、自分で選ぶという考え方だ。

これは万人に当てはまるものではないだろう。

ある一定の専門能力が要求される。

そういう意味で、今回の「残業代ゼロ」制度(高度プロフェッショナル制度)の対象となるのは、そういう仕事なのだ。

■だとすると、今回の「残業時間上限規制」と「高度プロフェッショナル制度」を2本柱とする労働基準法改正は、適切だということになる。

けれど、それは初めに考察した「高度プロフェッショナル制度」から透けて見える考えである、

1.「残業時間上限規制」の対象外の労働者を設けることで、不足した労働力を維持、確保し、企業の国際競争力の低下を防ぐ。

2.そのうえで、残業代の増加による経営負担の増加を防ぐ。

という、まだ「時間」=「価値」の概念にとどまった考え方と矛盾する。

マスコミとか、弁護士団体は「残業代ゼロ」を問題にするのだが、そこがそもそも問題の本質から外れているのだと思う。

この矛盾の本質は、「時間」=「価値」の概念にあり、マスコミも弁護士団体も、資本主義が機能していた時代のこの概念に縛られているのだ。

■労働によって「価値」を生みながら、労働者の「生存権」を保証する。

それが、今回の労働基準法改正の目指すべきところなのではないか。

だとするならば、問題は「高度プロフェッショナル制度」の対象者の「残業時間」が規制されないこと自体にある。

それなりの基本給があるならば、彼らに残業代は不要である。

それが年収1000万円でも、400万円でも、彼ら自身が自分の「能力」をその値段で売ると契約するのであれば、問題はないだろう。

けれど、日本国憲法で規定された「生存権」を侵すことは、それが市井の労働者であろうと、年収1000万円のプロフェッショナルでも、決してあってはならないことである。

日本国民だれもが等しく持っている権利なのだ。

現在、部長や課長といった管理職は、この「生存権」を侵されている。

法律上は、経営に参画する「監督管理者」にのみ適用される内容である。経営者が時間管理されないのは、農業従事者や自営業者が時間管理されないのと同じで、論理的にあたりまえのことである。

けれども、それが取締役でもない部課長層に適用されているのは実は違法なのではないか。

「生存権」を保証するための「残業時間制限」こそが、当面、打てる手だてなのではないか。

だから、「高度プロフェッショナル制度」の対象者の残業時間規制が、とても重要なことなのである。

■なんで成果を上げないんだ、という理不尽なパワハラは労働基準法にはなじまないから、継続して別の手法を考えなければならないだろう。

「修正後も時間でなく成果で賃金を払う改正案の骨格は維持され、成果を出すまで過重労働を強いられるとの懸念は変わらない。」

という声があると新聞記事は指摘しているが、ヨーロッパのように自立した個人が自分の能力を企業に売る、という姿勢であれば、そんなブラック企業はとっとと退社して、自分の能力が発揮できる会社に移ればいいのだ。

それが日本で難しいのは、終身雇用を前提とした社会の仕組みにあるわけで、社会ができることは、それを「くだらない会社にしがみついて生き残る策を講じる」ことではなく、能力のある個人が自由に働くことの出来る構造を作り上げることなのだと思う。

■この記事を書き始めたときは、安倍政権におもねった連合を批判するつもりであったが、思いかけず同じ結論にたどり着いてしまった。

連合が提示した「高度プロフェッショナル制度」の対象者の時間管理というのは、とても重要な、本質を突いた提言なのである。

なんだよ、よく考えてるじゃないか。

やっと追いついたよ。

連合の神津会長は、もっとしっかり説明するべきだ。

これじゃあ、論理的な議論ができず、「安倍政権に反対だから、反対なのだ」としか言わない連中を勢いづかせるばかりである。

創造的議論ができない彼らに、本質的対策が打てるはずもなく、だらだらと現状維持が続くだけで、不幸は一向に解消しないだろう。

それでは電通の自殺者たちも浮かばれまい。

毎日のようにどこかで電車が止まる事態も防げない。

世の中の仕組みが変わったのだから、社会も変わらなければならない。

大切なのは、ひとりひとり、全員の「生存権」を守ることだ。

それが「経済」の語源である経世済民の意味である。

                    <2017.07.18 記>

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■NHK海洋アドベンチャー タラ号の大冒険2「太平洋横断 サンゴの危機を救え!」、せっかくの素材が台無し。地球温暖化の恐怖を煽るNHKの品の無さにあきれる。

海洋アドベンチャー タラ号の大冒険2「太平洋横断 サンゴの危機を救え!」
NHK総合 2017年7月17日(月) 午後10時00分放送

20170717tarago01_2

■2003年以来、10年以上世界の海をめぐりながら地球温暖化の調査を進めてきたアルミ合金製船体を持つ帆船タラ号。

この番組は今回タラ号がサンゴ礁の生物多様性調査を行うべく日本に訪れたその記録である。

20170717tarago02

■タラ号による地球温暖化調査はファッションブランドを率いるアニエス・ベーが起こしたプロジェクトなのだそうで、地球温暖化についての意識を高める上でも素晴らしいことだと思うし、こういう番組でその活動を紹介することはとても有意義だ。

実際、日本近海で起きているサンゴの白化現象や、生物相の変化の現状が紹介されて入て、あらためて問題の根深さに気づかされる。

けれども、そういった事実をダイレクトに伝えるだけでいいものを、NHKはどうも過剰な演出をしたくて仕方ないらしい。

■一番問題なのは、海底からCO2が噴出してPHが6を割って酸性になっている海域を映し、そこが魚が一匹も生息しない死の海になっていると強調する。

なるほど、通常の海域のPHが8近くで、0.1のPH変化が海洋の生物相に影響を与える、というのは大きな問題であり、我々人類が排出するCO2の4割を海洋が吸収しているらしいということから考えれば、我々自身の問題として提起されるべきものである。

けれど、海底からのCO2噴出に我々はまったく関係ない。また海底からのCO2噴出が地球温暖化の主要要因でもないだろうし、影響は周辺数百メートルに領域にとどまっている。

たしかに番組のナレーションで明確に言っているわけではない。

しかしこの編集の仕方は、我々が化石燃料を使い続けることによって、日本の海もこういう死の海になってしまうんだよ。という暗黙のメッセージを伝えているのである。

言葉を追えばうそをついていないだけに極めて悪質なミスリードだ。

■さらに、2億5000年前に起きた生物種の9割が死に絶えたとされるペルム紀末の大量絶滅の原因としてシベリアの火山噴火による地球温暖化という説があると紹介した上で、現在のCO2排出量はこの時を上回ると言われている。なんて脅しをかけてくる。

いやいや、原因は特定されていないようだし、百歩譲ってCO2の排出量が原因だとして、地球の気候システムに与える要素が全く異なるのだから猛烈で大規模な火山活動とわれわれの排出ガスを単純に比べても意味はないだろう。

海底からのCO2噴出による死の世界のあとに、これを持ってきて畳みかける演出は、極めて恣意的で、吐き気すら覚えるものである。

まじめにサンゴの死滅と取り組んでる人たちや、科学的にものごとをとらえようとしているタラ号のメンバーに対して、とても失礼な態度だと思う。

■NHKは一体、何を伝えたかったのか。

結局、このままでは地球は大変なことになりますよ、というメッセージを伝えるために無理な演出を付け足したようにしか見えないのだ。

それに比べて、7/16(日)放送のNHKスペシャル 「シリーズ ディープ・オーシャン 南極 深海に巨大生物を見た」の徹底的に事実を並べようとする科学的態度は、同じ演出をするにしても、なるほど凄いなと素直に受け入れられるものであった。

20170717tarago03

この番組でも地球温暖化の影響は話題になっていて、南極の深海で生物が巨大化する理由の一つに、氷点下の海流に取り囲まれているのでサイズの大きな捕食生物の侵入を防いでいる、ということを上げ、それに対して南極の深海にいままで住むことのなかったタラバガニが侵入していて、さらにそのカニ(タラバはヤドカリの仲間だけど。。)が海底生物を捕食するシーンまで映してみせる。

こういう、「いままでに起きていなかったことが起きていて、それはこれまでの自然のおおきな仕組みやメカニズムに変動が起きている証拠なのだ」的なアプローチは、IPCCのような、「このままCO2排出を続ければ2100年に平均気温が何度上昇」などといった単なるデータの羅列よりもずっと効果的に問題意識を励起するのである。

「タラ号」も確かにデータの羅列ではない演出手法ではある。けれど論理の筋が通っているか、という意味で、「タラ号」と「深海」は似ているようで180度異なる姿勢であるといえるだろう。

■先日の北九州の継続的集中豪雨の被害といい、ここ数年の異常気象はあまりにも度を越している。

日本近海の海水温の上昇がどうやら影響しているようである。

きっと、今年も超大型の台風に注意しなければならないだろう。

その原因が地球温暖化なのかどうかは、わたしには分からない。

けれども、北極圏の氷が溶けだす量が増えて、冷たい海水の塩分濃度が減ることにより、太平洋や大西洋の深層海流の駆動力が落ちているという説が本当ならば、こういうことも起きるだろう。

知りたいのはそういうことなのだ。

何もNHKに難癖をつけて、地球温暖化の影響はない、なんて主張したいわけではない。

問題が深刻なだけに、実際に起きている小さな事実、現実の積み重ねと、それを説明できる大きなシステムの解明が重要なのであり、今回のえせドキュメンタリのような恣意的に心配を煽るだけの番組は害でしかない、と言いたいだけなのだ。

事実を自分の目で確かめるという「タラ号」の志がまぶしいくらいに素晴らしいだけに、本当に残念な番組であった。

                      <2017.07.18記>

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月17日 (月)

■【演劇評】『ウエスト・サイド・ストーリー』@東急シアターオーブ。アメリカの虚構と矛盾と、そして生きる力。

うーん、映画より数段感動した。想像の遥か上!

音楽も、ダンスも、照明と美術の演出も最高!

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
番外編 ブロードウエイ・ミュージカル
      『ウエスト・サイド・ストーリー』
           原題: WEST SIDE STORY
          音楽: レナード・バーンスタイン  初演:1957年
      2017年7月公演 渋谷ヒカリエ・東急シアターオーブ
       出演: ケヴィン・ハック(トニー)、 ジェナ・バーンズ(マリア) 他

Title

■あらすじ■
ニューヨーク、ダウンタウン。 ポーランド系移民の少年グループ、ジェット団と、プエルトリコ移民の少年グループ、シャーク団の縄張り争いの緊張が張り詰めている。そんな中、ダンスパーティーで元ジェット団のトニーとシャーク団リーダー・ベルナルドの妹・マリアは出会い、一瞬にして恋におちる。

■まず度肝を抜かれたのが、演者の肉体。

ダンスとかバレエってほとんど見ないので、ああ肉体って迫力あるなあ、というのが第一印象。ミュージカルって歌だけじゃないんだね。

この強靭でしなやかな肉体群が生み出すキレッキレが最高に『クール』なのである。

010
003

009

けれどそのダンスは、もちろん、音楽も歌も最高に素晴らしいんだけど、何よりも引き込まれたのは美術と照明が作り出す美しさ。情感あふれる演出だ。

『トゥナイト』のシーン。

夢のような美しさ。音楽と歌声と溶け合って、ああ、と没入する。

002_2

■『ロミオとジュリエット』を下敷きとした物語構成はとてもシンプルでわかりやすいものなのだけれど、シーンのひとつひとつがヴィヴィッドで、物語よりも場面そのものに意味がある。舞台ってそういうものだよね。観ているその瞬間がすべて。

そういう意味で度肝を抜かれたのは『サムウェア』。

リフとベルナルドが死んだあと、急に差しはさまれる白い場面だ。

001

背景は取り払われ、白いホリゾントの前でポーランド移民とプエルトリコ移民が和解のダンスを繰り広げる。

その希望も夢でしかないのだけれど、

このシーンで浮かび上がる希望は確かなものであって、このあとの悲劇的結末も、この希望ひとつによって救われる。

こういう構造を持ち込むことが可能なところが舞台の素晴らしさなのだと改めて思う。

■この物語を眺めるとき、どうもトニーに没入することができない。マリアもしかり。純粋なのだろうけれど、どうしても人物像が浅く感じてしまう。それが若者ということなのかもしれない。

その一方でアニタを始めとするプエルトリコの女たちは、そのスパニッシュ訛りの英語もあいまって、とてもリアルだ。

008

『アメリカ』。

希望に夢ふくらませ、不安を国において渡ってきた憧れのアメリカ。

実際にはあとから入ってきた移民に対する偏見や差別という現実に直面するわけで、この『アメリカ』という楽曲がきわめて皮肉に用いられている。

トランプ大統領下の不寛容なアメリカ。

『ロミオとジュリエット』の許されざる恋の物語の姿を借りて、自由を標榜しながらも、その社会構造のなかに不寛容が入り混じるアメリカの矛盾。

それは初演の1957年から60年経った今日においても根深く横たわっている、というよりもより一層色濃く表れているのだ。

だからこそ、その回復不可能とも思われる矛盾のなかで、アニタたちの生きる力強さがより前面に押し出される。

それが、アニタ達に感じる奥深さの源泉なのである。

物語はバッドエンドではあるし、現実世界もうまくはないだろう。

けれども、それでも、希望を胸に強く生きるアニタ達にわれわれは希望を見るのだ。

たぶん、それは『サムウェア』で提示される「白い希望」よりも強いリアリティをもって僕らの背中を押してくれる。

そう、そういうことなのだ。

005

006

                      <2017.07.17 記>

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

 
【DVD】<映画>ウエスト・サイド物語 

Icecool_2

うーん、正直なところ映画には途中までまったく乗れなかった。

ジェット団の子供的な部分と俳優たちがどうもかみ合わない。

ところが、リフが死んで浮足立つジェット団のなかで頭角をあらわしたアイスが『クール』を歌いだすシーンに少年たち独特の狂気を感じ、そこから急に面白くなった。

ここ、凄かったなああ。

うつらうつら観てたんだけど、ここで一気に目が覚めた。

アイスを演じるタッカー・スミスが一瞬見せる悪魔のような瞳のぎらつき。

この一瞬だけで価値があると思います。

 

 

■STAFF■
原案・演出・振付  ジェローム・ロビンス
音楽  レナード・バーンスタイン
脚本  アーサー・ロレンツ
  
音楽監督・指揮 ドナルド・ウイング・チャン
演出・振付  ジョーイ・マクニ―リー


■CAST■
ケヴィン・ハック(トニー)
ジェナ・バーンズ(マリア)
キーリー・バーン (アニタ)
ランス・ヘイス(リフ)
ヴァルドマー・キニョーナース-ヴィアノエヴァ(ベルナルド)

 

●●● もくじ 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●

*********************************************

■ Amazon.co.jp ■
■【書籍】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【書籍】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

■【DVD】 最新ベストセラー情報 (1時間ごとに更新)■
■【DVD】 ↑ 売上上昇率 ↑ 最新ランキング■

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«■【芸術】『ジャコメッティ展』@国立新美術館。見えるものを、見えるままに。今、ありありと感じる「わたし」の奥底に居を定めた男はわれわれの原初を呼び起こす。