2017年5月26日 (金)

■【社会】テロ等準備罪(共謀罪)、衆院通過。劇薬は効くのだろうが、使う人間によっては危険な代物に。

テロ等準備罪ってなんだろね。

ほんとよくわからないんだわ。

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■要は、「実行」しなければ逮捕されなかったものが、「事前の相談」によって逮捕されるという理解をしているのだが、正しいのかな。

国際法の批准に必要とのことだけれども、対象となる犯罪を見てみると国際法云々の前にやってもよさそうな感じはする。

対象となる犯罪227の内訳は、「テロの実行」110件、「薬物」29件、「人身に関する搾取」28件、「資金源」101件、「司法妨害」9件。

これを見てみるとマスコミが「テロ等準備罪」ってのもなんだかな、という感じ。

「テロ対策」と銘打てば世論をごまかせるという匂いを感じさせて、実にいやらしい。やはり、これは「共謀罪」、或いは「組織犯罪準備罪」なのだと思う。

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■ここから見えてくる「犯罪組織」とは、テロリスト、カルト集団、やくざである。

テロ防止はもちろん、地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教の一連の事件、人身売買、最近はやりのAV強制出演とかを考えれば、「犯罪」が実行に移される前に、組織を拘束できるこの法律は、歓迎すべきものだろう。

その一方で問題視されているのは、一般市民がそこに巻き込まれるのではないか、という疑念。「相談」を知るためにはメールやLINEの傍受と分析が必要であり、監視社会になるのでは、という疑念である。

しかしながら、公安警察って、もう情報収集しているでしょう?CIAからアメリカ流のネット情報傍受の技術は受け取っているようだから、監視社会については、何をいまさら騒ぐのか、という感じである。

一般市民が、と騒いでいるのはいわゆる「市民運動」の人たちであり、我々一般市民とは、少し異なるような気がする。

彼らはもともと公安警察の監視対象なのだから。

■ものごとにはメリットとデメリットがつきものだ。

今回のような効き目の強い「劇薬」ならなおさらだ。

そこでマスコミに期待するのは、過去の事件をもとに、「あの時に共謀罪があったらどういうことが起きて、どういう展開になったか」のシミュレーションを行い、メリットとデメリットを具体的に明らかにすることである。

地下鉄サリン事件なんかは、きっと防止できていたのではないか、と思う。

■なんにせよ、刃物自体が悪いのではなく、刃物を使う人に問題があるかどうか、ということだろう。

たぶんわれわれが無意識のうちに「やばい」と感じてしまうのは、安倍首相をはじめとした首相官邸および自民党の戦前回帰の雰囲気によるもののような気がする。

何しろ連中は、憲法が権力を拘束する装置だという理解をせずに、国の運営がやりにくいから憲法を変えてしまえ、という大きな勘違いをした集団だからである。

いや、誰も戦前の全体主義を目指そうなんて思っていないというのは正しいだろう。けれども、そこに「上からの管理」を是とする思想がある限り、本質的には変わらないということだ。(「軍部」が「経団連」に変わっただけである。安倍政権を見ていると国民より、大企業の方を向いているのは明らかだ。)

公安が特高警察になるかどうかは、政治の胸先三寸。

市民団体が危惧するように、原発反対運動や、基地反対運動に対して、犯罪行為を行わなくても難癖をつけて拘束される事態が生じれば、それは民主主義の危機となるだろう。

そういった市民運動は、市民としての意思表示という表の顔の裏に、外国を含む反体制勢力のバイアスを受けやすいという側面がある。

そこは極めてグレーな世界である。

個人的には中国による市民活動の操作を排除することは、国益に沿うことだと思っている。

けれども、「国益」は見る人間の視点によって変わるものである限り、「国益」を理由とした拘束は非常に危ない。

それを決めるのは、政権サイドなのだから。

そういう意味でも、シミュレーションを通じて、そういった権力の暴走を抑止する装置を考えていくべきなのだろう。

                        <2017.05.26記>

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■【社会】ひふみん、かわゆす。

いま、あさイチに加藤一二三 九段が生出演中。

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将棋はあんまりくわしくないんだけれども、藤井聡太のデビュー戦ですっかり大好きになってしまった。

この人のしゃべり方素敵だなあ、かわいすぎる!!

                     <2017.05.26記>

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2017年5月25日 (木)

■【社会】米家計の借金がサブプライム危機時を超える。飽和した社会での資本主義経済の構造的問題は治りようがないという事実。

今朝の日経朝刊にアメリカの家計の借金が08年のサブプライムローンによる危機の時点を超えたとの記事があった。当時甘い審査で問題になった住宅ローンが横ばいなのに対し、借金を増やしているのは学生ローンと自動車ローンという構図となっているようだ。

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■2009年に底を打ったNYダウは右肩上がりを続け、2015年後半の中国危機で足踏みをしたものの、調整を終えたのちに、今や当時の倍以上の20,000ポイント越えとなり、今に至る。アメリカ経済は絶好調だ。

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アメリカは内需が拡大し続けることでダウが伸びていく、という構図だ。

しかし、その原資は国民の借金であるということが今回の記事でよくわかる。

■市場経済は、市場が拡大し続けることで安定的に成長する。

市場の拡大とはつまり、発展途上の国が成長する中で消費を爆発的に増やしていくことである。

サブプライム危機の時点では、中国が経済成長のための膨大な投資を開始することによって、世界経済はそれを乗り切ったわけだが、現在、中国が高度成長を終え、市場にモノがあふれかえっている状態で、今時点、中国に取って代わる巨大市場もないのだから、アメリカの成長は不可思議としか言いようがない。

実際、2015年の夏の時点で、中国の限界がはっきり見えたわけで、そこでもうジ・エンドでもおかしくなかった。

■それでもなお、アメリカが成長を続けるのは国内での消費の拡大故である。

いやいや、ちょっと待て。

アメリカ国民はその消費の原資をどこで得ているのか。

だって、世界経済が止まりつつあるのに、いったいどこで儲けているのか。

そのマジックの鍵が借金なのだ。

■いまの経済は実態を映さない。

株をやっているとよくわかるのだけれど、株価がその企業の収益とか将来性から計算できる資産価値を反映させることは最早ほとんどない。あるのは「先読み」による一時の過熱と、機関投資家の売り浴びせによる長い低迷である。

そうやって金融市場という名のカジノで儲けた機関投資家が「マネー」を膨らませ続ける。

これは実態とかい離しているという意味で、まさにバブルである。

その膨らんだマネーの行き先が、「サブプライム」、要するに「金を返せるかどうか怪しい層」に対する「いいかげんな貸し付け」であり、回収不能となった債権がまとめられて新しい金融商品となることで壮大なババ抜きが続けられる。

住宅ローンについては横ばいになっているから、さすがに歯止めが効いているのだろうけれど、学生ローンと自動車ローンについては、もう盛大に貸し付けまくっているというわけだ。

これは2008年当時とまったく同じ景色だ。

■市場主義経済は新興国の経済発展を原資として成り立ってきた。悪い言い方をすれば、形を変えた植民地政策だ。

中国の地理的経済的拡大政策はまさにこの道筋を行こうとしているのだけれど、中国の巨体を維持できるほどの市場が開発できるとは到底思えない。

植民地主義的市場経済は終わったのだ。

それに代わって今、アメリカで行われているのは中間層から金を巻き上げてそれを原資とする国内植民地化、或いは奴隷化だ。

けれど考えればすぐわかることだが、借金で経済が膨らんでいったとしても、いつかは返せなくなる日が来るわけで、そうすれば壮大なババ抜きのゲームセット。

もう当時の中国はいないわけで、次の終わりが本当の終わりになるだろう。

■その中で、むしろ日本はデフレ続けてきたから、輸出産業の崩壊で猛烈な不況が来て日経平均が1万円を割り込んだとしても、生活自体は続けていけるのじゃあないかと踏んでいる。

大きな借金とか、現時点での金融市場への多額の投資とかを避けていれば、まあ、個人としては何とか食ってはいけるだろう。

何にせよ、先を読んでおくことなのだと思う。

それが今年なのか、3年後なのかは分からないけれども、その日が来るのは確実だ。

目の前の為替だ、日経平均だ、なんだの日々の変化に踊らされてはいけない。

バブル崩壊で社会が変化し始めて20年の月日が流れているのだから、そろそろ大きな構造的変化がカタチとして見えてくる時期は近いだろう。

残念なことに、わたしもあと30年くらいは生きてしまいそうなので、しっかりと準備だけはしておこうかと思う。

                     <2017.05.25記>

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<関連記事>

■【書評】『資本主義の終焉、その先の世界』榊原英資、水野和夫。いま、最大の国難の時期にあって我々はどう動くべきなのか。他、『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫 著、『資本の世界史  資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか』 ウルリケ・ヘルマン 著

 

 

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■【衝撃】カール販売中止!

菓子大手の明治は25日、人気スナック菓子「カール」の中部地方以東での販売を中止すると発表した。8月生産分から実施する。1968年発売のロングセラーだが、競争激化による販売低迷が理由。

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■うそ~。大好きなのに。

明治さん、考え直して~!!

                   <2017.05.25記>

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2017年5月20日 (土)

■【映画評】『メッセージ』、「言語」の持つ力と「物語」が出会うとき。

異星人とのコミュニケーションの物語なのだけれど、ラスト、原作の『あなたの人生の物語』という名前の意味を衝撃とともに理解し、落涙する。

ああ、これぞSF!!

●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
    
No.105  『メッセージ』
           原題: Arrival
          監督: ドゥニ・ヴィルヌーヴ 公開:2017年5月 
     原作:テッド・チャン 「あなたの人生の物語」
       出演: エイミー・アダムス   ジェレミー・レナー 他

005

■あらすじ■
突如、世界各地12か所に巨大な浮遊物体が現れる。言語学者のルイーズは軍の要請で異星人とのコンタクトに挑戦するのだが。。。。

009

■スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』をソ連の映像詩人、アンドレイ・タルコフスキーが映画化した『惑星ソラリス』。「理解の外にあるものとの関わり合い」という極めてSF的で、哲学的で、詩的な空気を漂わせた作品だが、この『メッセージ』という映画は、その不朽の名作と同じ匂いがする。この商業主義全盛の時代において、実に得難いことだと思う。

いわゆるSF映画に登場するエイリアンは敵対的で、恐ろしい姿で、驚異的力で人間に襲い掛かってくるわけであるが、本作においてはエイリアンの目的が分からず敵かどうかすら分からない。わかっているのは我々の理解する物理法則をはるかに超える枠組みで彼らは存在するということ。しかし、その不可解を不可解のままにせずに科学的思考で解きほぐしていく、そこにSFの本質があって、格闘や空中戦といったアクションがないにも関わらず、われわれの興味をぐいぐいと引き込んでいくそのさまが、真にSF的なのである。

003

■SFとは’Science Fiction(空想科学小説)’というだけでなく、’Speculative Fiction(思弁小説)’でもあるという地平を開いたのはP・K・ディックだが、困ったことにそれが映画になった途端、思弁的なSF映画である『2001年宇宙の旅』にしても、先の『惑星ソラリス』にしても、その難点は観ているうちに眠くなってしまうことである。(ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?』を原作としたリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』は、原作の思弁的部分を大きく切り捨てたことによってエンターテイメント足りえたといえるだろう。)

ところが、この映画は(その知的展開に乗り遅れることさえなければ)眠くならない。これは画期的なことである。原作は読んでいないけれども、思弁性を「映画」というエンターテイメントのフォーマットにうまく転換していると思われる。

それを牽引するのは、主人公の言語学者ルイーズ、そのパートナーの理論物理学者イアン、調査の責任者のウェーバー大佐といったキャラクター、時折さしはさまれるルイーズの娘を襲った不幸、といったドラマ的な部分の助けも大いにあるのだが、何よりも、エイリアンとのコミュニケーションが立ち上がっていく過程という本論の部分での面白さが際立っていることにあり、それ故に作品の軸がぶれず、骨太になっていて、そこが何より素晴らしい。

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■何しろ七本脚のタコがスミを吐いて、どうやらそれが彼らの会話のツールなのだという不可思議な世界。それでもルイーズが必死にくらいつくさまに、エイリアンも共感するような感じが伝わってきて、もう’ふたり’は、普通名詞の「エイリアン」ではなく、「アボット」と「コステロ」という固有名詞の存在へと変化していく。

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この場面、「コミュニケーション」が成り立っていく感動を描く場面ではあるものの、実は、「普通名詞」の’人間’と’異星人’から、「固有名詞」の’ルイーズ’、’イアン’、’アボット’、’コステロ’への「言語学的質的変化」が彼らの関係を大きく変えた、そこに本質的な意味がある。

彼らが使う言語は、「表音文字」ではなく、「表意文字」であり、発音の順番にとらわれないが故に、「時間」という概念から自由である。

序盤に示されたその伏線が、ラストで素晴らしく展開していく。

■詳しくはネタバレ以降に語ることにするけれど、この作品は単なるエイリアンとのコミュニケーションの話ではない。

終盤のスリリングな展開と、ラストで観る者がすべてを理解した瞬間に覚える心の震えは、必見である。

知的であるだけでは「物語」足りえない。

「知性」と「物語」が構造として組みあがり、想定以上の感動を与えてくれる、そこがこの映画の最大の魅力なのだ。

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■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■

■さて、ルイーズの娘アンナである。

オープニングから、重要な場面でルイーズの記憶のなかにアンナが紛れ込む。

観ているものは、当然それは過去の話だという前提で理解するのだけれども、実は、、、、というラストの展開。完全にやられてしまった。

物語の中ではアンナが何度も、「動物とお話をするパパとママ」なんて言ってるのに気が付かない。

思い込みって本当に強固なものである。

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■エイリアンの言語であるヘプタポッドB(墨絵文字)をマスターしたルイーズは、その言語が「時間の流れ」という概念を取り去ってしまうがために、未来と現在と過去を同じように感じることが出来るようになってしまう。

アンナは難病にかかって死んでしまう。

それが分かっていて、これからイアンと結婚をする。

イアンは、その時間感覚を持っていないけれども、ルイーズを通して、「定まった未来」を受け入れて生きていくことになる。

それは一体なにを意味しているのだろうか。

006

■「時間の流れ」に縛られている私には、ルイーズの見えるその世界も、そこに巻き込まれるイアンの見る世界も、わからない。

けれども、わからないながらも、何か深いものが胸に込み上げてきて、いつの間にか頬に涙が伝っていた。

エイリアンが3000年後の未来のために人間に授けた能力によって、これからの人類が見る世界はいままでとは別の次元のものへと変質していくのだろう。

しかし、信頼できる相手と一緒に生きていること、とか、愛する子供の笑顔をにこやかに眺めること、とか、その瞬間の’いま’は決して変わらない。

ルイーズはその’いま’を愛おしく抱きしめようと思う。

世界が変わってしまったときに、それでも変わらないものがあって、雑多なものに隠されてしまった「大切」なものがそこに立ち現れてくる。

SFとは、日常を捻じ曲げてみせ、そうすることで逆に「現実」をあぶりだしてみせる手法なのだ。

その意味で、ラストを見たときの涙こそが、この映画がSFの本質を突いていることの証拠なのかもしれない。

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                      <2017.05.19 記>

 

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■STAFF■
監督    ドゥニ・ヴィルヌーヴ 
脚本    エリック・ハイセラー 
原作    テッド・チャン 
       「あなたの人生の物語」 
製作    ダン・レヴィン 
音楽    ヨハン・ヨハンソン 
撮影    ブラッドフォード・ヤング 
編集    ジョー・ウォーカー 

■CAST■
ルイーズ・バンクス博士   - エイミー・アダムス 
イアン・ドネリー        - ジェレミー・レナー   
ウェバー大佐          - フォレスト・ウィテカー 
ハルペーン捜査官      - マイケル・スタールバーグ 
シャン将軍           - ツィ・マー 

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2017年5月17日 (水)

■【書評】『昨夜のカレー、明日のパン』、木皿泉。誰もが何かを抱えていて、けれど、明日は必ずやってきて、そこに気が付くときがくる。

ゆるくて深いシナリオライター木皿泉こと和泉、妻鹿夫妻による初めての小説である。

もうね、おかしくて笑っちゃうんだけど、油断してると、つい、うるっときちゃうんだよね。。。

<Amazon>昨夜のカレー、明日のパン

■主人公は若くして旦那に先立たれた奥さんテツコと、息子の死を乗り越えることが出来ていないギフの二人。

この小説は、古い一軒家で暮らす彼らと、そこに関わる人々の群像劇である。

一樹の幼馴染みでCAをしていた「ムムム」改め、タカラちゃん。

一樹に憧れていた従弟の虎尾くん。

テツコの同僚で、彼女と一緒になりたいと願っている岩井さん。

それぞれが、一樹の若すぎる死によってバランスを崩していて、そこに引きずられてしまっている。

その穴は、あまりにも大きいがために、日常のなかで隠されてしまい、とぼけたやわらかいその日常も、どこかぎこちない。

けれども、彼らはなんとか、何かに気づくとか、何かのけじめをつけることで、自分なりの「一樹の死んだ世界」での生き方を探り当てていく。

その、ほっこりした解放感がたまらなく心地よく、たとえそれが本質的解決ではなかったとしても、とてもやさしい気持ちにさせられるのだ。

■木皿泉のドラマはQ10と富士ファミリーしか見てないのだけれど、そういったやさしさにあふれた作家なのだと思う。

そして登場人物の誰もが何かを抱えていて、それでも日常のなかでもがきながらも微笑んでみたりしながら生きている。

この世の中に生きていると、

ああ、あいつはダメなやつだ、取るに足らないやつだ、

とか、つい考えてしまう。いや、それどころか、

その他大勢

なんていう、ほとんど名前も覚える気もない扱いをしてしまう相手もいたりするものだ。

けれど、木皿泉はたとえ、通りすがりの人であっても、いちいち語りはしないけれども、どの人にでもその人が抱える何かがあって、いつかはそのひとがそれを乗り越えていく。そういう希望をすべてのひとに与えている。

■それはファンタジーだと思う。

実際の僕らが生きている世の中は『言ってはいけない』なんて下品な新書を持ち出すまでもなく、どうしようもなく差別的だ。

誰もが前向きに生きていける、そういう世界ではない。

確かにそれは真実だ。

それでもなお、木皿泉の紡ぎだすファンタジーが我々の心を打つのは、脳溢血で不自由なからだになり、生きていても仕方がないとまで思い詰めてしまう和泉さん自身のこころであり、そこに寄り添う過酷さのなかでうつに悶える妻鹿さんのこころ、そこからにじみ出るやさしさゆえなのだと思う。

■一樹とテツコのプーケットでの新婚旅行。

まだ明けきらない道を裸足のお坊さんたちが歩いていく、

それを見て一樹がつぶやく、

 
あ、そうか、

みんな、のぼっていく太陽に向かって歩いているんだ。

 ――文庫版に書き下ろされた短編、「ひっつき虫」より

    
生きていく限り、我々は歩いていく。

歩いていくことが、生きているということなのだ。

そこに優越も、良し悪しもない。

誰もが他でもない、自分の人生を歩いていく、

それだけのことだ。

そして、それはこれからのぼってゆく太陽によって、ひとりひとり等しく照らされ、輝くのである。

                   <2017.05.17 記>

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■過去記事■
■【書評】ひつじの本棚 <バックナンバー>
 

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