難しいことを考えずに楽しみたい、いい意味でのB級娯楽作品である。
●●● 名画座 『キネマ電気羊』 ●●●
No.49 『第9地区』
原題: District 9
監督: ニール・ブロムカンプ 公開:2009年8月
出演: シャールト・コプリー 他

第9地区 [DVD]
■ストーリー■
南アフリカの都市ヨハネスブルグ上空に突如エイリアンの宇宙船が出現した。
その中からは衰弱した大量のエイリアンが発見され、宇宙船の直下には彼らの難民キャンプが作られた。
それから28年が経過、第9地区と名付けられた難民キャンプはスラムと化し、新しい第10地区への移住が始まる。
エイリアンを管理する超国家機関MNUの職員であるヴィカスは、その立ち退き計画を指揮することになるのだが、不慮の事故でエイリアンが隠し持っていた謎の液体を浴びてしまう。

■ドキュメンタリー風にインタビュー形式で作品世界が語られていく。ともすると、陳腐な説明くささに陥りそうな手法だが、テンポがよくて、あまり嫌味を感じさせない。
細かいことはよく分からんが、ともかくエイリアンの移住計画があって、主人公のヴィカスがエイリアンひとりひとりから承諾書を取りつける、なんだかのんびりした話なのか・・・と思いきや、なのである。
■ヴィカスが謎の液体を顔に浴びてしまい、何らかの恐ろしげなものに感染してしまう。
そこから物語が転がり始める。
予備知識なしに見たのだが、ドキュメンタリータッチの客観性とヴィカスの陥った極めてワタクシ的で深刻な事態の対照性が後者をより引き立てていて面白い。

■■■ 以下、ネタバレ注意 ■■■
■黒い液体を浴びてエイリアンの遺伝子に書き換えが進み、次第にエイリアンに変身していくヴィカス。
だが、それは何故か恐怖を伴うものではない。
エイリアンの武器はエイリアンの遺伝子がないと機能しない、という設定が効いていて、ヴィカスはそれを使いこなすことができる。
それが故に、実験体としてMNUにその身を狙われる。
だから、わが身に起きたこと自体に恐怖を感じるどころではないのである。
■変身に焦点をあることも出来ただろうが、ブロムカンプはそうしなかった。
スピードと多様性がこの映画の命だと知っていたからである。
国際機関の陰謀、スラムに巣食うギャング、銃撃戦、エイリアンの超技術、母星への帰還。
それらがそれぞれに魅力を失うことなくヴィカスを中心に渦巻いて、この作品が形作られているのだ。
最後にはモビルスーツまで登場させてしまう、そのサービス精神がたまらない。
■その一方で、この映画をエイリアンの姿を借りて人種差別を描いた作品とみる向きもあるだろう。
南アフリカを舞台としていて、エイリアンを隔離するこの話は、いやでもアパルトヘイトを想起してしまう。
実際、監督のニール・プロムカンプは南アの出身で、無関係ということは無さそうだ。
だが、着想はそこにあったとしても、テーマとしては別であると思う。
■ヴィカスと行動をともにするクストファー・ジョンソンという名のエイリアンがいて、最後には宇宙船で母星に帰っていくわけであるが、彼のその後の行動は分からない。映画の中のコメンテーターが言っていたように、ただ逃亡しただけなのか、仲間を救出しに来るのか、或いは戦争を仕掛けるのか。
ただ確かなことは、ヴィカスに約束した3年後に再び戻ってくるだろうという、そこである。
そこにあるのは異種族間に結ばれた強い友情であり、希望である。
それは人種差別云々という枠組みを切り崩す、個々のつながり、絆である。
■ここで重要なのは、彼が単なる「エイリアン」として描かれるのではなく、「クリストファー・ジョンソン」という名前を与えられているところだ。
ヴィカスに約束をしたのは「クリストファー・ジョンソン」なのだ。名無しのエイリアンでは得ることができない圧倒的な重みがそこにある。
ヴィカスは最後には完全にエイリアンの姿になってしまうが、観る者が安心していられるのはクリストファー・ジョンソンが必ず帰ってきてヴィカスをもとの姿に戻してくれると信じることが出来るからだ。
それ故に、このラストは清々しい。
そこに政治的メッセージの入り込む余地はない。
<2012.05.02 記>

■STAFF■
監督 ニール・ブロムカンプ
脚本 ニール・ブロムカンプ
テリー・タッチェル
音楽 クリントン・ショーター
撮影 トレント・オパロッチ
編集 ジュリアン・クラーク
■CAST■
ヴィカス・ファン・デ・メルヴェ シャールト・コプリー
クーバス大佐 デヴィッド・ジェームズ
クリストファー・ジョンソン(エイリアン) ジェイソン・コープ
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